真実へ向かう道は、なんぴとも阻み得ない


 その後俺は二日間、事務所の三階で待機を命じられた。外出は許されない。スマイルス所長は俺がアンドロイドに襲われた件を重く見ているらしかった。


 さすがに二日間も事務所と自室の往復だけで過ごすと暇でしょうがない。事務所には必ず誰かがいたが、みんな忙しそうで声をかけるのがはばかられた。


 俺はとりあえず自室に引っ込み、キッチンのほうに積まれていた本を読んでいた。様々な言語の本があったが、俺に読めたのは英語の本だけだ。他にも何か読める言語があるような気がしたが、置かれた本の中にその言語は見当たらない。


 堅い皮の表紙をなぞり、ベッドに倒れ込む。俺がこうしている間にもアンドロイドの活動は活発になっているらしい。所長とロイドさんが事務所でそう話し込んでいるのを何度か見た。


 自分にできることが何もない虚しさが、俺をさらに暗くさせる。本日幾度目かのため息をもらしたその時、部屋のドアをノックされた。


 返答も待たずに入ってきたのはケルティスだ。


 硬い表情でドアを閉めたケルティスが、俺には目もくれずツカツカと部屋の中ほどまで来て椅子に座る。どうやら気まずいらしい。俺も気まずい。彼と直接顔を合わせるのは、あの路地でのやりとりぶりだった。


「…………ここ二日間の報告がある。そのままでいい、聞け」


「俺に……?」


「所長から、お前にも報告しとくべきだって言われた。お前は十分当事者だ。知る権利と義務がある」


 そう言いながら目を合わさない。俺はなんとなく、彼の顔をじっと見つめてみることにした。


 そんな俺の態度に口をへの字にしたケルティスは、一拍置いて説明を始めた。


「この二日間でアンドロイドのテロが五回あった。死者こそ出てねえが、民間人にも被害が出始めてる。ロイドたちと手分けして街を回ってるが、数が多くて手に負えねえ。それでも何体――何人か捕まえて話を聞けた。あと、あの路地で捕まえた奴等のほうも解析が進んでる」


「解析って……どうやって」


「ロイドんとこのアンドロイドだ。言語機能は壊されてたが内蔵のデータは無事かもしれねぇって、蓄積してたデータを覗けるってケーブル? を伸ばして解析してた。…………科学はすげえな。あれを捨てる覚悟を決めさせたAI戦争って、どんだけ地獄だったんだって思うわ」


 もう俺の視線を無視するのも面倒になったのか、ケルティスが俺を見返し大きなため息をついた。


「ああ、科学はすごかったんだ」


 間違った方に発展しすぎた結果が、今の時代なわけだが。


「お前を襲った奴等には、命令に違反できないようプログラムが仕込まれてたらしい。お前を捕まえてどっか連れて行くつもりだったみたいだ。肝心のその場所がまだ分かってねぇ。新しく捕まえた奴等も、ただ暴れるよう命令されたんだの一点張りだ」


「待ってくれ、プログラム? そんなことができるの?」


「できないはずだと、ロイドたちは言っていた。そういう知識はAI戦争で失われてる。しかもアンドロイドのプログラムなんて、アンドロイド自身にも理解できてないものなんだと。あいつらはただ昔の工程をなぞってアンドロイドを作ってたに過ぎない。その仕組みは、それこそ現代の研究者が百人、何年もかけて分析してやっと半分理解できるもんだ。そんな存在に、いったい誰がどうやってプログラムなんか仕組んだのか」


 俺は自分を見つめるケルティスに頷いた。過去の記憶を持つ俺も、そんな複雑なプログラムは組めない。だがやった人間がいるのは確かなのだ。よほどアンドロイドのプログラムに秀でている者の仕業だろう。


「ま、今の俺たちに一つだけわかるのは、たぶんそいつが黒幕だってことだけだな。報告はそんだけだ」


 終わりと言った割には、彼は部屋から出て行かない。それどころか腰を浮かせる様子もない。何か用があるのだろう。俺はケルティスが何か言うのを待つことにして本をめくった。


 どれだけ時間が経っただろうか。ケルティスはようやく、喉の隅から何とか吐き出すように口をひらいた。


「…………あの時は、悪かった」


「どの時?」


「あの路地でのことだ! 分かって言ってんだろてめぇ、ぶん殴るぞ。だから、怒鳴って否定して、悪かったって言ってんだよ」


 顔を赤らめ、ケルティスが声を荒げる。とうてい謝罪する者の態度ではない。俺はそれに笑って本を閉じた。


「気にしてないよ。あれが、正しい反応だろ。簡単に受け入れるほうがおかしいんだ」


 何よりケルティスは、アンドロイドを憎んでいたから。それが急にアンドロイドは人間と同じで感情を持ってるなんて言われても受け入れがたいだろう。


 俺があっさりあの論文を受け入れたのは、俺が現代の意識に疎かったことと、ケルティスのように信念を持っていなかったからに他ならない。空っぽだったから注ぐのは安易だった。


 俺はずっと流されるまま生きてきたから。むしろ最近の頑張りは俺らしくないことばかりだったのだ。そうだ、俺らしくない。以前の俺なら、ケルティスがジーナさんに拳銃を向けたとき間に割り込むことなんかできなかっただろう。あの時は本当に、身体が勝手に動いた感じだった。


 あれは不思議な感覚だった。俺はずっと、諦めてしまうのがクセになってるものとばかり思ってたんだが。俺がそう自分の胸に手を当てて考えていると、まだ部屋にいたケルティスが空気を一新させるように言った。


「つうかさ! なんかアウラの様子もおかしくねぇか? お前と目が合うたび顔赤くしてるし」


 吹っ切れたように見えてもまだ気にしているらしい。絞り出した話題が身内のことだった。どんだけ不器用なんだ、この男。


 しかしケルティスの言うことはもっともだ。俺は手の平にできた切り傷を見た。ほんの小さな傷だ。すでに塞がっている。俺はそこを這っていった生暖かな感触を思い出して、ちょっと呼吸を止めた。


「ったぶん、今更恥ずかしくなったんだと思う」

「? なんか分からんが、そうか」


 再び満ちる沈黙。先に耐えられなくなったのはケルティスだった。


「だあっ、くそ! そうじゃねえ、そうじゃねえんだよ。オレが言いたいのはな!」


「うん」


「言いたいのはだな……」


「…………」


「……オレは、ずっとアンドロイドは悪だと思ってたんだよ」


「知ってる」


「アンドロイドは機械だ。だから感情なんてなくて、そう見えてんのは全部プログラムされたもんだと」


 ぽつぽつ話始めた彼に俺は頷いた。


「そう説明してくれたの、覚えてるよ」


「アンドロイドの目的は、人間になることだと教えられてきたんだ。自分たちこそ人間に相応しいって、機械のくせに創造主を否定すんだって」


 俺は本の表紙を撫でた。そこにも書いてあった。アンドロイドは人間に成り代わろうとしている、悪だと。そう小さい頃から教えられて、ケルティスは実際にアンドロイドのせいで両親が死んだのだ。劇的な何かに触れない限り、その認識はくつがえりはしない。


「だがよ、ロイドんとこのアンドロイドは、みんなそんなこと望んじゃいなかった。あいつらは、ただ人間らしく生きて、人間らしく死にたいんだと。繁栄じゃない、滅んでいきたい。ただ望むのはそれだけ……。自分たちが過去に死んだ人間の意識だって知っても、やつらは変わらずそう主張する。……オレたち人間は間違ってたのか? アンドロイドを誤解していたのか? でもオレは、全部背負えるほど強くねぇ」


 ケルティスが組んだ指に視線を落す。つむじがここから丸見えだ。髪が赤いからか薄暗い室内に映えて、なんだか花火のようだった。


 ああ、はかないな。これは迷って、悩んで、ちゃんと前へ進んでいける人間の輝きだ。俺は彼の背中を押すように、気づけば呟いていた。


「きっと、人間だから間違えることもあって、人間だから強かったり弱かったりするんだ」


「――――そうか。そうだよなぁ……」


 アンドロイドも、俺たちも。同じように間違えることがあって、だからこそ正しさを追い求める。アンドロイドは自分たちが消える道を選んだ。なら、人間は彼らに何をしてやれるのだろう。何をすれば、正しいと言えるのだろう。


 答えは、まだ。

 いや、俺なんかに出せる答えじゃないのかもしれない。ならせめて、彼の出す答えを一番近くで見たい。


 突然小さな破裂音がして、外がにわかに騒がしくなった。なんだろうと窓から下をのぞく。通行人は皆空を見上げている。俺も顔を上げた。すると、見渡す街並みの至るところで、紙切れが空を舞っていた。まるで空砲で打ち上げられた紙吹雪だ。


 その中で一番近くを舞う紙切れが一枚、近くに降ってくる。いつの間にか横から身を乗り出していたケルティスがそれを掴んだ。


「なんだこりゃあ。読めねえな。中国語チャイニーズ……いや、これは東の……」


 紙には何か書かれているらしく、ケルティスが難しい顔でぶつぶつ言っている。俺はそれを横から覗き込み、直後拳銃で眉間を打ち抜かれたような勢いで後ろへ跳び退すさった。


 心臓が痛い。長距離を走った後のようだ。全身の血流が早くなっているのが分かる。俺は頭を真っ白にして、ベッドに尻餅をついていた。


「どっ、どうしたおい」


 心配したケルティスが声をかけてくる。しかし、俺の視線はあの紙に釘付けになったまま動かなかった。


「…………ほんごだ」

「あ?」

「……日本語だ。そこに書かれてるのは、日本語だ」


 言葉はまるで悲鳴のように。自分でも驚くほどかすれていた。ケルティスが俺の発言を受け、紙の文字を見る。そして俺に聞き返す。


「――Japanese日本語?」


 ケルティスの声が遠く聞こえる。なんだか耳がおかしいな。きっと混乱してるんだ。記憶が一気に脳裏に噴き出して頭が痛い。


 ケルティスが手に持つ紙切れが、表面をこちらへ見せている。窓の外を見れば、同じ文章が書かれた紙が何枚も舞っていた。


 そこに書かれていたのは、俺の故郷固有の言語。イギリス人ウィルバー・ギャレットには読めないはずの言葉だ。


 漢字と平仮名を組み合わせた文章。その内容はこうだ。


『待つのは終わり。帰って来なさい、望月もちづきしるべ


 その名で全て思い出した。これはこの身体になる前の俺――を呼ぶ、最終通知だった。


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