心によって真実を知る


 ケルティスの後を追うべきか考えていると、俺に話しかける人がいた。


「やぁ、シンルー君。少しお話しないかぁい?」


 ピンクの眼鏡をクイクイ上げて、モナドノック先生が俺へ呼びかける。手首の縄がスマイルス所長に握られたままなのに俺の方へ来ようとしていて、散歩中の犬みたいになっていた。


 俺は一気に緊張が溶け脱力するのを感じながら、仕方なく先生のもとへ駆け寄る。


「いえ、俺は――」


「ケルティスはアウラに任せとけば大丈夫だよぉ。あれでちゃぁんと兄妹だからねぇ。むしろ今君が行っちゃうと、ケルティス強がって強情張るよぉ?」


 もっともな話だった。さすがにケルティスのことをよく分かっている。

 たしかに、今俺が行っても話がこじれるだけかもしれない。


「お話って、なんですか。いやその前に、なんでそんなことになってるんですか」


 観念してモナドノック先生としっかり向き直る。彼の手首の縄を指差すと、先生は嬉しそうに笑った。


「おっ、聞いてくれるかぁい? いやねぇ、ロイド君たちにセキュリティーホールの情報流して、彼らが捕まらないよう誘導してたの、ずっと前からニアにバレてたんだよぉ。ほら、アンドロイドへの助力って禁止されてるだろぅ?」


「じゃあずっと、泳がされてたんですか」


「そのとぉり。君がうちに話聞きに来たのもニアの指示だったでしょぅ? 私が君の情報をロイド君たちに流すと分かっててやったんだよぉアイツ。意地が悪いよねぇ」


「なにさらっと俺のこと売ってるんですか」


「だぁって、君ほど自我を保った『バグ』は初めてだったからねぇ。ロイド君と私の見解ではねぇ、『バグ』はアンドロイドの何かしらの実験の産物というので一致していた。アンドロイドの動向を探る上で、君は最高の餌になると思ったのさぁ」


「で、実際に釣れたと」


 縛られ倒れ伏す男達を見る。俺一人にずいぶん大量だ。


「うぅーん。あんな下っ端じゃ大本には辿り着けないけどねぇ。そこで、ロイド君の最初の質問に立ち返るわけさぁ。一個ずついこぅ。まず、あのアンドロイド達はどぅして君を狙った?」


「それは、俺があのUSBを持ち出したから。きっとあいつらにとっても機密事項だったのではないでしょうか」


「ふぅん。じゃぁ次。どぅして君がいた時だけ、建物の警備がわざと消えて、そのUSBがこれみよがしに残らされていたのかなぁ」


「それは……」


 答えられなかった。自分でも分からないことを、他人に説明できるわけがない。そもそも、その警備がどうという話は俺の知る所じゃない。偶然と思いたいが、先生にこうも言いつのられるとそうじゃない気もしてくる。そしてなにより、俺はあの論文を書いた人間を知っている。何か繋がりがあっても否定はできない。


「君には分からないだろぅ。私にだってわからないさぁ。でも、物事には道理がある。現象には理由がある。君が特別なのも、何かあるはずなのさぁ」


「特別……異質の間違いでは?」


「ヒヒっ。そんな定義に意味はないさぁ! さぁて、どぉうやらあの二人のお話は終わったようだねぇ。協力関係というなら、私も無罪放免にならないかねぇ」


 身体を左右に揺らしながら、先生はスマイルス所長のもとへ駆けて行った。路地に居た人たちが解散しはじめる。


 俺も事務所に帰ることにした。






「あっ、シンルーさんお帰りなさい」


「ただいま」


 事件なんてまるで無かったみたいに、アウラさんは変わらぬ笑みで俺を迎えてくれた。当たり前の帰宅の挨拶は、いまだに俺をくすぐったくさせる。


「シンルーさんも紅茶飲みます? 今レモンティー作ったところなんです」

「じゃあ、頂きます」


 疲れを感じて事務所のソファーに腰を下ろす。するとアウラさんがカップと蜂蜜を運んで来てくれた。上着のポケットから薄紫の腕章がはみ出している。


「アウラさん、狙撃手だったんだ」


「あっ、実は……はい。怖がらせちゃってごめんなさい」


「いやいや、怖がってはないよ。ちょっとビックリしただけ。むしろ凄いよ。俺なんて拳銃も撃ったことないから」


「へへっ。ありがとうございます。でも内緒ですよ? 狙撃手は目立たないほうが便利ですので」


 すごく嬉しそうに笑って、人差し指を唇に当てる。可愛らしい仕草が微笑ましい。アウラさんは俺の正面に腰かけた。


「それにしても驚きました」

「何に?」


「シンルーさんです。あんなことを、大勢の人の前で説明するなんて、イメージと違いました。もっとふにゃふにゃしてると思ってましたから」


 ずいぶんな物言いだった。しかし俺も自分の事を芯の通った人間などとは思っていない。それが的を射た評価なのかもしれない。俺は苦笑し、視線を落す。


「知ってしまった義務だと思ったんだ」


「でも、所長が所長みたいな人じゃなかったら、世を乱す妄言だって邪教扱いされて、警察ヤード呼ばれてたかもしれないくらいの内容でしたよ。たぶん、他の人には話さないほうがいいです」


「そういうものか……。ありがとう、気をつけるよ」


 会話がそれで途切れる。すると俺の頭の中に今日の出来事が浮かび上がっては消えていった。特に心を乱すのはあの論文だ。


 モナドノック先生の言う通り、もしもあの論文がわざわざ放置されていたのだとすれば、どうだろう。アンドロイドたちは俺に何を伝えようとしたのか。俺に何を気づかせようとしていたのか。思いついた仮説は、俺の心を暗くさせる。


「アウラさんは俺の正体が死人でも、こうやって話してくれる?」


 問いは自然に出た。『バグ』についての最悪の可能性。それは俺が遥か昔に死んだ人間で、その魂データがこのウィルバー・ギャレットの脳に入力されたものかもしれないということ。


 もしそうなら俺は、現代に蘇った亡霊と同じだ。


 アウラさんも俺の言葉で同じ可能性に辿り着いたのか、長いまつ毛を伏せて微かに震わせている。


「……でも生きてる人への入力はできないんですよね」


「あの論文が書かれた時点では、だ。俺は俺を、ウィルバー・ギャレットだと思えない。実を言うと、まだ死人の亡霊だと言われた方が納得できるくらいなんだ。こうやって喋ってても、現代を生きるための芯が無い俺は、ずっと死んだままなのと同じだ――――なんてね」


 そう弱音を吐いて、取り繕うように俺は笑った。するとアウラさんがなぜか、カップに触れていた俺の手を握ってくる。


「痛っ」


 突然手の平に鋭い痛みが走って、俺は手を引っ込めようとした。しかし手首を強く握られていてできない。アウラさんの手には、いつのまにか細身のナイフが握られていた。その刃には微かに血液が付着している。見ると俺の手の平にはごく小さい切り傷ができ、そこから一筋の血が流れだしていた。


「アゥっ、アウラさん!?」


 俺は訳も分からず吃音を洩らす。アウラさんは俺の手を引っ張り、自身もテーブルに身を乗り出した。瞬間、腕に温かく柔らかな感触が触れた。湿ったそれが腕を伝って手の平の傷口を舐める。


 理解の及ばない展開に唖然あぜんとしてしまった。ようやく俺の手を放したアウラさんが、どこか俺を責めるような瞳で見つめ、自分の薄い唇についた紅い液体を舐めとる。


「ほら、新鮮な味です。シンルーさんは生きてます。死人の血は臭いですし、アンドロイドはオイル味です。正体とか言われても、私の眼には生きてるシンルーさんしか映ってません。だから――」


 一瞬言葉を区切って、ふっと表情をやわらげた。


「だから、今の自分を否定しないでください。私はあなたしか知らないんです。シンルーさんはひねくれてるけど、心根はとっても優しい人です。私はそういうところ好きですから」


 言って、子どもの様に笑う。不純物など一片も混じらない純度の高い笑みに、俺はただ頷くことしかできなかった。


「でも、そうですね。本当は部外秘なんですけど……所長は今日帰ってこないし、いいかな」


 アウラさんが左端を紐でくくった紙束を持ってきた。


「それは?」


「今までの『バグ』の方々の資料です」


 何気なく受け取り、少しぎょっとしてしまった。そんなものがこの事務所にあったとは。アウラさんが今度は俺の隣に座って、紙束を指差す。


「最初の方の発見は四年前です。それからシンルーさんまで、十二人。全員分あります」


 一枚目が最初の『バグ』で、それからめくるごとに後から発見された者の報告書になっている。一枚目の最後には、すでにその『バグ』が死亡していることが記されていた。


 嫌な予感がしてページをめくる。二枚目の最後も同じ文章で締めくくられていた。全文に目を通すのを止め、末尾だけ確認していく。すると、五枚目まで同じ文が並んでいた。


 六枚目と七枚目は、現在意識を失い植物状態にあると書かれている。今も生活を続けているのはそれ以降。ただし、俺の直前、十二枚目には『自殺』の文字があった。これがロイドさんの言っていたウガルという労働者だろう。


 眉間に寄ったしわを指の腹で伸ばし、また一から見ていく。序盤の死んだ者たちは皆、錯乱状態で意思の疎通も難しい状態にあったらしい。発見後、ひたすら叫んで暴れまわった末に死亡。原因は不明となっている。


 植物状態の者は、そうなる前までは比較的簡単な会話ならできたそうだ。以前の記憶はなく、代わりに今は使われなくなった機械の名称を呟いていたという。


 それ以降の者は、発見が遅くなるにつれて意識がはっきりとしてくる。共通しているのは現代の記憶がないことと、今は失われたAI戦争以前の知識を有していること。この謎の症状には医者も学者も首をひねり、ただ彼らを『バグ』と呼び識別することにした――。


 最後の十二枚目を読み終る。その後にくるはずの自分のレポートを夢想した俺は、紙束をテーブルに放って紅茶で唇を湿らせた。


 真横で同じく紅茶を飲んでいたアウラさんが、俺が全てに目を通すのを見計らっていたようにカップをソーサーへ置く。その目元には、躊躇ためらいとほのかな緊張が漂っていた。


「私、この資料見てなぜだかずっと思ってたんです。なんだか、なって」


「……俺もそう思った」


 同意を示す。それは俺がおぼろに受けた感覚を的確に表す言葉だった。


 最初期の『バグ』はすぐに死んだ。生き残った二名も自我を失い眠り続けている。ようやく己を繋いだ後続たちは、会話がかみ合わなかったり身体機能に差し障りを持つ。それも代が進むごとにやわらぎ、ほとんど普通の人間と差異が無くなっていく。


「これは何かの実験なんでしょうか……」


 こぼれるような呟きに、俺は言葉を返すことができなかった。アウラさんは自分の言ったことが示す本当の意味に気づいていない。


『バグ』が何らかの実験によって生まれたなら、それは俺も同じだ。俺も被験者だということになる。


 しかし俺が十三番目の被験者だとして、いったい何を求めて、どんな実験が行われたのか。本当はすでにその答えが頭にあるはずなのに、俺はそれを正面から思い浮かべることができないでいた。


 真実を知るのが怖い。本音を言えばこのまま何も知らずに、こうしてケルティスやアウラさんたちと日々を過ごしていきたい。


 けれど、さいを投げたのは俺だ。あの論文を見た瞬間、これは俺が終わりを見届けなくてはならない問題なのだと思った。


 いつか必ず終わりが訪れる。でもそれまでのほんの短い間でいい、何も考えずに、真実から目を背けていたい。


 そう願う頭の片隅で、俺はついこう思った。『バグ』が実験の結果にある存在だとして、果たして自分は成功だったのだろうか、失敗だったのだろうかと。



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