真実を愛せ、ただし過ちは許せ
完全に日が落ち暗くなった路地はしんと静まり返っていた。数人の持つランプの火がじりじりと燃える音すら耳に響くような、そんな
所長たちも、ロイドさんたちも、皆が俺に注目し、各々俺の発言の真偽について考えているようだった。
「――――っそれの、根拠はどこにある」
絞り出すように口火を切ったのはやはりケルティスだった。
「人間の思考パターンのデータ化? そんなもんできるわけねえだろ。人間の知能活動の観測は科学全盛期にだって成功してねえんだから。それだったらまだ、完璧なAIを作るほうが簡単じゃねえのか。そうじゃないってんなら証拠を見せろよ。俺はその論文を見ていない。それがお前の妄言でないと誰も証明できないだろうが」
さっきまでの激昂は抑えられ、淡々とした口調だ。その代わり、彼の瞳は暗闇でもその青い輝きを途切れさせることはない。その瞳が俺をじっと見ている。それは最初に出会った時よりも数倍鋭い、敵を見るような目だった。
そりゃそうだ。アンドロイドを機械として処分してきた人に、アンドロイドは人間なんだと説いているんだから。
それは常識と良識の両方を一気に壊してしまいかねないことだ。こっちも慎重にならなきゃいけない。でも、証拠と言われてもいま手元には……。
「ありますよ、ここに」
言って、ロイドさんが取り出したのは指一本分くらいの長さをした長方形の物体だった。間違いない、俺が落としたはずのあのUSBメモリだ。
「ロイドさん、それ……」
「ごめんなさい。準
それでふと思い出す。そういえば帰り道に男の子にぶつかった。あの時スられたのか。探しても見つからないはずだ。あの時は頭がいっぱいで気づかなかったけど、あの男の子、パンを盗んで店主に殴られそうになってた子に似ていたような。
「どうしてそんな真似を?」
「もともと、あなた達にあそこへ行くよう頼んだのは、奴等を潰す何か有益な情報を持ち帰ってくれないかと期待してのことです。だからこれも、見せてもらいました」
「中身を……どうやって」
「……デイブ、お願いできる?」
ロイドさんの呼びかけで、彼が連れていた人たちの中から長身でひょろっとした男性が出て来る。彼は洋服の腹部をまくりあげ、腹を掴んだ手をガタガタ揺らして表皮を開いた。
突然のグロっ!? と思ったが違った。腹の中には黒い配電盤とレンズのようなものが入っていた。ロイドさんから受け取ったUSBを差すと溝を明かりが走り始める。中身を読み込んでいるのだと、直感でそう思った。
「かつてアンドロイドにもその用途によって種類がありました。デイブは娯楽用、USBの読み取りと映写なら可能です。もっとも、実際にその機能を使っているのを見たのは今回が初めてですが」
ロイドさんが説明する間に起動が終わったらしい。レンズから光が放たれ、それが路地の壁に広がる。そこに映し出されたのは、あの論文だった。それがとりあえず二ページ表示される。
場の全員がそれを見上げる。アウラさんが「ぼっ、冒頭から理解できない……」とショックを受けていた。仕方のないことだ。ここに書かれている知識の前提からして、今の時代では使われず忘れられたものなのだから。
内容を理解しようと読んでいるのは、所長とモナドノック先生、そしてケルティスくらいだ。
「ロイドさんは、これを読んだんですか」
傍らの青年に訊く。彼は固い顔で肯定した。
「……はい。街の人間にはすでに説明済みです。全員がこれを受け入れられたかは、定かではありませんが。混乱までは起きていません」
口調から、これは彼らにとっても未知の知識だったのだと分かる。到底信じられないようなこの情報を、彼は仲間にも共有させたのだ。それを受けて仲間が離反しないのは、きっとロイドさんの人徳のためだろう。
俺はそれを、この場にいる全員に説明したくちゃならない。俺は論文が映し出された壁際に立った。映写機の光が眩しい。会社でプレゼンをさせられていた時のことを思い出す。そのせいか、自然と語調が固くなった。
「これはおそらく百八十年ほど前に書かれた論文だと推測されます。論題は『人工実存の実現』。人工実存とは、ここでは人間の魂を機械によって実現することを差します。
最初は正攻法としてビッグデータの学習によってAIの精度を高め、人工実存へ近づける研究が行われました。しかし後に、それは理論で限界があると結論が出てしまった。だから研究者はアプローチの方向性を変えました。それが……三十七ページくらいからです」
ロイドさんに目配せするとデイブさんが表示しているページを進めてくれた。ここからが本題だ。いち早く目を通したらしいモナドノック先生だけが、ほほぉと空気を読まない感嘆を上げている。
「研究者は、AI技術の進化を諦めました。代わりに考えだしたのが、人間の思考を研究することで人工実存を再現するというものです。そして彼らは、人間の人格や記憶を抽出し、データとしてそれを管理する術を編み出しました。彼等はさっそく、それを人間から人間へと移し替えることができるかを試しています。次ページからの実験報告がそれです」
「へぇ。細胞を培養して作った脳に、人から取ってきたその『魂データ』を入力。面白いことするねぇ。しかも成功とは、業が深ぃ」
モナドノック先生が横やりを挟む。説明がかみ砕かれ全員に伝わりやすくなるだろうと判断し、俺は彼に応えた。
「はい。ですが培養ではない生きた人間の脳への入力は失敗しています」
「担当者の所感は……なぁるほどぉ。生者の脳にはすでに彼自身の『魂データ』が入っているから失敗したのでは、かぁ。んでもこれ、当時の倫理観的に大丈夫なのぉ? 『魂データ』取られた人全員が植物状態になって回復してないってあるけどぉ」
先生が大げさに首を傾げる。『魂データ』という言葉は論文に使われていない。モナドノック先生が今考えた造語だろう。分かりやすいので俺も拝借することにした。
「……表ざたにできない実験だったのは確かです。秘密裏に行われたのではないかと。データの入手も、これ以降は植物状態の人間や死体を使っていますし。生きている人間から生きている人間への『魂データ』の移植は全て失敗しています。実験もどこかで打ち切っているはずですが……」
世界大戦以前ならいざ知らず、この論文が書かれたのは猿ですら実験に使いづらかった時代だ。生きた人間をどこから調達して、実験に使ったのか。はたして実験への同意はあったのか、そこまでは書かれていない。
少なくとも分かっていることは、『魂データ』は固有の物だということだ。取り出すときに複製はできない。データを抜いた脳は空っぽになる。そしてデータは他人に移し替えることはできない。臓器の移植と同じで、本人の物でなければ拒絶反応が起きる。
「それよりも今重要なのは、『魂データ』のアンドロイドへの活用です。研究者は『魂データ』から記憶を消しまっさらな人格データだけを生成しました。そこから先は俺もまだ読んでいないのですが、恐らく……」
壁に、俺がまだ読めていないページが映される。そこにあったのは、なんというか分かりきったことだった。『魂データ』を人工実存の完成形たるAIとして発表し、利益を得て、さらに研究を進める。そういう展望が書かれていた。
「なぁるほど、そして今から百四十年前、この技術は『人間と同レベルの思考柔軟性を再現したAI』として偽装され、特許を申請したというわけだねぇ。まるで人間と会話しているようだってぇ当時の声が残ってるけど、そりゃそうだよねぇ。だって、その画面で喋ってるのは、人間の魂そのものなんだから」
そう。そこからはモナドノック先生が語った歴史と同じなのだろう。ただ一つ違ったのは、アンドロイドという存在が本物の心を持っていたことを、当時の人間は誰も知らなかったということだった。
そうしてアンドロイドは人権を求めて反旗を翻した。それは彼らが人間と同等の反応を返すAIだからではない。人間の心を持っていたから、機械としての扱いに耐えきれなかった。
「現行のアンドロイドも同じ製法で作られているのかい」
質問したのはスマイルス所長だった。視線は俺ではなくロイドさんへと向けられている、アンドロイド側の認識を知りたいということだろう。
「そうですね、恐らくは。アンドロイドを作っているアンドロイドも、もはやその技術を理解してるわけじゃありません。ただ昔の設計どおりにボタンを押すだけなのだそうです。みんな生前の記憶はないので、どこかの段階で消去されているはずですし……」
そうして情報交換が始まった。スマイルス所長は、とりあえず論文の内容を受け入れる方向性でいくらしい。それなら俺の役割は終わりだ。デイブさんも映写機の機能を落した。わざわざUSBを俺に返してくれた。
すでに場の中心はスマイルス所長とロイドさんという、二つの派閥の長へと移っている。
「それで、君たちが今更表立って動いたのはどういうわけかな。静かに生きていくだけなら、いつまでも隠れていれば良かっただろう。レグールに唆されたかな」
「いえ、モナドノックさんにはこちらから接触して、ご教授をお願いしただけです。ボクらには仲間を守るための知識が足りなかったから。ボクらが動いているのは、最近アンドロイドの数が急激に増えているからです。奴等の動きも活発だ。『バグ』の件もありますし、これ以上アンドロイドの悪評が広まる前にどうにかしたかった」
「つまり、我々セキュリティーホールと停戦を結びたいと」
試すような視線だった。ロイドさんは臆することなく紫の瞳を見つめ返す。
「いいえ、協定です。こちらが得ている情報は全て開示します。その代わり、どうか対等な協力関係を結んでいただきたい。具体的には、準
スマイルス所長が口の端に微笑を漂わせる。ロイドさんの背後で成り行きを見守っている彼の仲間へ視線を送り、そしてチャーミングなウインクをしてみせた。
「よろしい。互いの利益のため、一時協力関係を結ぼう」
差し出された手をロイドさんが取り、握手を交わす。その光景に俺はほっと息をつく。これこそ俺が望んだ光景、欲しかった景色だ。
アンドロイドが多くの人に受け入れられる世界。もしくは、ただ存在することを邪魔されない世界でもいい。それを叶えれば、そこには俺の居場所もあるんじゃないかと、そう思ったから。
しかしまだ、ここには納得のいっていない人間がいた。
ケルティスは幽鬼のような足取りでスマイルス所長に近づいていく。
「待ってください所長。こいつらの言うことを信じるんですか。アンドロイドが人間だなんて、そんなの与太話だ。たとえあの論文が本物でも、この通りにアンドロイドが作られたとは限らねえ! むしろアンドロイド側の罠だって言われた方がまだ分かりやすい!」
しかしスマイルス所長は取りあわない。
「これはロンドン支部所長としての決定だ。それに、あの論文も彼等の主張も、筋の通っているものだと、僕は思うよ。そうだろう? レグール」
「今回はニアの意見に賛成だねぇ。あの論文も本物だろう。いやぁ私は昔から疑問だったんだよぉ。どうしてアンドロイドにはこれほど明確な個性があるのか、ねぇ。だって元が一つのプログラムなのなら、十人十色に千差万別な性格構造など不可能なうえに無駄さぁ。だって、そんなことしたら制作も管理も大変だろぅ? それが人間から取り出した思考パターンをそのまま使ってるからってぇいうのは、むしろ腑に落ちる。長年の疑問がやぁっと解けた」
縄で縛られたまま先生がケラケラ笑う。その明るさと、ケルティスが浮かべる絶望的な表情には天と地ほどの落差があった。
ケルティスは自分の顔を両手で多い、背中を丸めて震えている。
「じゃあっ、オレたちが、オレが殺っ──壊してきたのは、人間だと? 機械だと断じた存在には心があったと? そんなの――」
顔を曇らせ唇を噛むケルティスに、スマイルス所長が冷たく言った。
「受け入れたまえ、真実はいつだって残酷なものだよ」
冷徹な宣告だった。ケルティスが膝をつく。所長はコートを翻し、ロイドさんへ話しかけた。
「なぜ今、アンドロイドの活動が活発になっているのか、君の見解を聞かせてくれないかな」
「そこまでは……もしかしたら、また戦争を起こそうというものかもしれない。ただ分かっているのは、前回のAI戦争が、人間の手引きで激化したということです。ブリテンを囲むウェールズ、北アイルランド、スコットランドはアンドロイドと取引をしていた。自国が独立できるように。そして諸国は今も、秘密裏にアンドロイドの源材料を各国の工場に供給していて――」
また二人が話題の中心となる。ケルティスはアウラさんに支えられて、いつのまにか路地から消えていた。
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