正義とは、強者の利益に他ならず



 俺は狭い室内を緩慢に行ったり来たりしながら、脳内では慌ただしく思考を巡らせていた。


 USBメモリを失くしてしまった。それ自体はまだ許容できる。道端に落としてもアレが何なのか分かる人間はこの時代にほとんどいない。そも知っていて拾ったとしても、中身を見る環境がほぼ皆無なのだ。


 一番の問題は、アンドロイドのAIに関する情報ソースを失ったという点だった。それでなくても俺は世間的に、意識が混濁して謎の記憶に悩まされている『バグ』なのだ。根拠もなく何かを主張しても妄言だとしか思われない可能性がある。


 これでは、ただあの地下に侵入者があったと相手側に知らせるだけになってしまう。せめて俺が手に入れた情報が本物だと、しかるべき立場の人間に知らせなくてはいけないのに。


「…………探しに行こう」


 それしかない。道は全て覚えている。発電所跡を遠く離れてから一度確認した時にはまだポケットの中にあった。落としたとすればあの後だ。きっと危険はない。


 俺は脱いでひっくり返したコートをもう一度羽織った。







 まるで石畳に砂金でも挟まっているとでも言いたげなくらい、俺は足元を注視しながら少しずつ進んだ。日はとっくに暮れ始め、太陽はその頭を隠し、残光だけが街を照らしている。


 すでに一度探した場所を、俺は再度練り歩いていた。記憶にある場所を一巡し、それでも目当ての物が見つからなくて今歩いてきた道に取って返す。


 焦りはどんどん大きくなっていた。これだけ探しても見つからない。今日は雨が降っていないはずだから遠くに流されたわけじゃない。人が踏んで粉々になったならその欠片くらい見つかるはずだ。しかし無い。もう、誰かが拾って持ち去ってしまったとしか考えられなかった。


 首が痛くなってもまだ地面に視線を注ぎ続ける。どうしてここまで必死になれるのか自分でも不思議だった。頭に浮かぶのはケルティスとアウラさんの顔だ。きっと俺は、彼等を裏切りたくなくて、失望させたくなくて、得たはずの成果を見限れないのだ。


 ケルティスが普段使う道は裏道が多い。だからすれ違う人間も多くない。背後の大通りで、点灯夫が街灯に火を点けて行ったらしい。足元がにわかに明るくなった。俺の身体の部分だけ影が落ちている。その真黒く切り取られた影に、別の誰かの影が重なった。


 通行人が来たのだと思って道を譲ろうと脇に退ける。すると影もついて来た。怪訝に思って顔を上げる。そこには前にも後ろにも数人の男達がいて、俺を路地に閉じ込めるように立ちふさがっていた。


 俺を見つめるいくつもの視線にどきりとする。彼等の手には警棒のようなものが握られていた。ただの通行人ではない。俺に用があるらしい。それもとびきり物騒な用事が。


「誰だ、あんた達。俺に何か用ですか」


 問いかけるも返事はない。背後の集団がじりじりと俺に迫ってくる。近づいてきた分だけ距離を通ろうとすると、自然と路地の奥へと誘導されていく。まずいと思った。さらに人気のない場所へ連れて行く気だ。


 この人数差だと抵抗に意味はなさそうだ。ひとまず彼らの思惑通りについていく。必死に打開策を考えるがどれも現実的じゃない。大声を上げた瞬間に殴り掛かられそうな空気だ。脳裏に諦めがよぎり始めた時、ついに一人の男が集団から離れ、俺へ詰め寄ってきた。


 ゆっくり縮まる距離に、心臓が早鐘を打つ。もう駄目だ。そう全てを諦めて目をつぶると、鼻の先を突風が駆け抜けた。


 俺の背後に陣取っていた連中から悲鳴と驚きのどよめきが上がる。何事かと目を開けると、目の前でひるがえったスカートがふわりと揺れ動いた。


 宙に舞っていた赤い液体が遅れて純白のスカートに付着する。連想した血の鉄臭さの代わりに、オイルの様な鼻につく香りがした。どうやら俺に近づいてきた男が吹き飛ばされ、背後に並んだ男達をボーリングのピンのようになぎ倒したらしい。


 なびくスカートを煩わし気に払って、俺の窮地を救ったらしい女性が俺の顔を仰ぎ見た。


 クセのあるブロンドの髪が微かな明かりを反射して闇に輝く。表情の乏しい顔にはそばかすが散っていた。


 その顔には見覚えがある。つい一週間ほど前に、ロイドさんの自宅で会った。


「ジーナさん……?」


 思い出した名前が口をつく。そうだ、彼女はロイドさんの妹さんだ。俺が当惑の視線を向けると、ジーナさんは口元だけに薄く笑みを浮かべてくれた。


 しかしその笑みは長くは続かなかった。男達が俺たちを捕まえようと迫ってくる。建物を背中にして、ジーナさんと二人、三方を男達に囲まれてしまった。


「……シンルーさん、頭下げててっ」


「えっ? はっ、はい!」


 抑揚の抑えられた囁きに疑問を浮かべた直後、真横で金属の折れる音がして、俺は慌てて指示に従った。


 下げた頭で目線だけを上げると、ジーナさんが片手で火の灯っていないガス灯をへし折るところだった。


 まるで枯れ枝のように手折られたガス灯の頭をさらに砕き、二メートルほどの棒きれに変えてしまう。彼女はそれを振り回し俺たちを囲う男達への牽制けんせいとした。


 すさまじい怪力だった。手の平に収まりきらないくらい太い棒を軽く操っている。隙を突こうとした男が薙ぎ払われて吹き飛ぶ。勢い余った鉄棒は建物の壁にめり込み、赤いレンガの一つに大きなヒビが走った。それが頭の上を何度も通り過ぎるから肝が冷える。


 気づくと、男達は片側に追いやられていた。大通り側に固まった男達は、それでも撤退する気はないらしい。じりじりと、ジーナさんの棒に触れない範囲でこっちの隙を執拗に狙っている。


 どうにか後方へ逃げるべきではないか、そう俺が考え始めた時、逃げようと思った方向から足音が響いた。運の悪い通行人か、もしくは男達の仲間かと身構える。するとジーナさんが俺を振り返らないまま言った。


「ご安心を。お兄ちゃんたちです」


「それってロイドさん?」


「そうだよジーナ! お兄ちゃんが来たよ!」


 張りつめた空気を弛緩させるとびっきり明るい声に振り返る。そこには確かにロイドさんがいた。後ろに五、六名の人間を引き連れて。その中にはあの準貧困街スラムで見かけた男性もいた。どうやら全員、あの街の人達らしい。


「遅い」


「いやいや、ジーナが早すぎるんだよ。シンルーさん見つけてすぐ走ってっちゃうんだもん」


「シンルーさん尾行されてたから、仕方ない」


「ボクらの眼じゃそんなの遠すぎて見えなかったよぉ」


 ロイドさんが泣きごとを言う間にも、人員は道を固めるように分散していく。半分は男性で、残りは若い女性だ。俺を挟んで反対側に居る男達とにらみ合いになる。男達はジーナさんの振り回す鉄棒のために人数を減らし、こちらと同数になっている。


「ロイドさん、ジーナさんって……」


 尻餅をついたままロイドさんを見上げた。ジーナさんのあの怪力は細腕からは考えられないものだ。説明を求める俺の視線に、彼はなんでもないというように軽く答えた。


「ああ、ジーナは希少な戦闘用アンドロイドなんですよ」


「戦闘用……? それって――」


「いいえシンルーさん。妹の可愛さについて語れないのは残念ですが、ボクはそんなことを話すために貴方を助けるんじゃありません」


「うわっ」


 襟を掴まれ無理矢理に立たせられる。ロイドさんに張りつくように腰を抱えられ引き寄せられた。ジーナさんが男達の追撃を後ろに跳びのいて躱し、ロイドさんの横に立つ。


 男達が、俺がロイドさんといるのを見て舌打ちを漏らした。ロイドさんはやはりと呟き、男達を指差す。


「シンルーさん、貴方はどうしてこの男達に襲われそうになっていたのですか」


「それは、俺にもなにがなんだか……」


「どうして貴方がケルティスさんとあの建物に侵入したときに限って、見張りだったあの男たちはわざと身を隠し、調査されるがままにしたのです」


「えっ? それ、どういう」


「そしてどうして、貴方はあのUSBを持ち出すことができたんですか」


「なっ……」


 俺は思わず息を呑む。なぜロイドさんがそのことを知っている? 男達にもどよめきが起こった。どうやらUSBのことは、男達にも重要なことらしい。いきり立った一人が俺に向かって来る。


「ジーナ」


「うん、お兄ちゃん」


 ロイドさんの小さな声に、ジーナさんが男の迎撃に出た。一瞬で二人の距離が縮まる。しかしジーナさんが棒を振り上げると、男はまだそれに触れてもいないのに後方へ倒れた。異変を察知したジーナさんが飛び退く。すると赤いオイルを足から流してうずくまった男の肩が再び弾かれたように跳ねる。またオイルが飛び散った。


 いったい何が起こっているのか、最初に理解したのはロイドさんだった。


「狙撃だっ、いったい何処どこから――いや、誰が」


「それはもちろん、我々セキュリティーホールさ」


 大通りの方から低く響くような声が割り込んできた。あの男達ではない。男達のさらに向こう側。


 またどこからか弾丸が飛んでくる。今度は直接人を狙ったものではなかった。まるで海を割るように、狙撃を避けて男達が二手に裂かれた。それで、向こう側が俺たちにも見える。


 そこには粗暴な瞳を輝かせる紅髪の男と、見るからに高級そうなコートを羽織った金髪の男が立っていた。


 俺がその二人を見間違えるはずがない。


「ケルティスっ、それにスマイルス所長! ……と、あれは」


「――モナドノックさん。貴方がどうして」


 二人の後ろにもう一人、人影があった。ロイドさんの言葉に、スマイルス所長の後ろに隠れるようにしていたモナドノック先生が出て来る。しかし何かがおかしい。先生の手首には縄が巻かれ、その端を所長が握っている。まるで捕まった泥棒のような扱いだ。


「ごめんねぇ、ロイド。いやぁ、私たちの繋がり、バレちゃったぁ」


 テヘっと先生が笑う。それにロイドさんが奥歯を噛みしめたのが分かった。先生はさらに、場を代表するかのように真っすぐ立ち、ロイドさんを諭すように微笑んだ。


「それにねぇ、ロイド。シンルーくんにそんな矢継ぎ早に訊いてもぉ、答えは返ってこないよぉ? だって彼、何にも知らないんだもん。訊くならそっちの、アンドロイドたちだ」


 お茶目に言うモナドノック先生に、男達は汚い雄叫びと共に動き始めた。俺たちと、セキュリティーホールの面々の両方に攻撃を仕掛けてくる。いよいよアンドロイド処理業者に正体を明かされ、捨て身になったのだ。


「ケルティス、彼等とはひとまず共闘を」

「…………了解しました」


 所長がこんな時でも優雅な所作を崩さないままケルティスへ指示を出す。所長の視線を受けたケルティスとロイドさんも不承不承としながらも頷いた。


「仕方ない、ジーナ!」

「分かった。お兄ちゃんは下がって」


 乱戦が始まる。獣のように駆けるジーナさんと、銃弾が味方に当たるのを避けるためか肉弾戦を挑むケルティス。そして二人をフォローするかのようにどこからか絶妙なタイミングで狙撃が入る。


「この場はセキュリティーホールが預かる! 大人しく投降しない者は相応の負傷を覚悟しろ!!」


 ケルティスが男の足を払って投げ飛ばしながら叫ぶ。しかしそれで止まる者は一人もいない。ケルティスはそれに上等だというように拳を握った。




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