何人も本意から悪人たるものはなし


 俺とケルティスはなんとか人に見られずに建物の外へ出ることができた。発電所跡からだいぶ離れてから、ケルティスは息をついて背伸びをする。


「いやぁ、危なかったな。だが、結構な情報が手に入った。これを分析すれば奴等の本拠地も丸裸にできるだろ。ありがとな」


 笑顔で背中をバシバシ叩かれ、俺は弱弱しく微笑んだ。心には彼への罪悪感と、己の行いへの切迫感を秘めながら。


 俺は、USBメモリを持ってきてしまったことをケルティスに言い出すことができなかった。言おうとして、できなくて口をつぐむ。事務所までの道のりはずっとそうだった。注意が散漫になっていたせいで道行く少年にぶつかってしまうくらい、俺は自分の中にだけあるこの秘密について、いい得も知れない破滅の可能性を感じ取っていたのだ。





 事務所に着くと、ケルティスは早速所長に報告を始めた。あの周辺には所長の手引きで警察ヤードが監視を行っていたらしく、無事に戻ってきたこと自体を労われることはなかった。


 喜々として報告するケルティスとは対照的に、俺の気分は重く沈んでいた。するとアウラさんがやって来て、心配を始める。


「シンルーさん、大丈夫ですか? 顔色が酷いですよ。何かあったんですか?」


 優し気な、気遣いに満ちた微笑みだった。俺はその表情になぜか、胸を掻きむしりたくなる衝動に襲われる。


 駄目だ、一人じゃもう、耐えられない。俺は無意識に彼女の腕を掴み、懇願するようにその顔を見上げた。


「アウラさんは、アンドロイドは壊されねばならないと、そう思いますか。人間をそうやって突き動かすのは憎しみなのだろうか」


 口をついたその言葉に、アウラさんの顔色が曇るのがはっきり分かった。やってしまった。あの論文を読んでいない彼女に突然こんなことを言っても、気味悪がられるだけなのに。俺は押し寄せる後悔の念と共に発言を撤回しようとする。しかしアウラさんは俺から顔を背け、スマイルス所長へ呼びかけた。


「……所長、少し席を外してもいいですか?」


 低く、落ち着いた声音だった。ケルティスの報告を聞いていた所長は、彼女から何か感じ取ったらしく真剣な眼差しで頷いた。


「許可も降りましたし。シンルーさん、私の部屋でお話しましょう」


 予想外の申し入れを、俺は当惑しつつも受け入れた。





 小物が沢山置かれたシンプルな部屋だった。俺は彼女の寝室に通され、用意された椅子に座る。部屋の作りは俺の所と同じだ。


 小さな丸テーブルの向こうにアウラさんが腰を下ろした。淹れたての紅茶の湯気が、俺たちの間をくゆっている。


 アウラさんは長いまつ毛を伏せて、じっと紅茶を見つめている。俺も自然と口を閉ざしてその様子を見守った。


 彼女はふと目を閉じ、何か考え事をするように沈黙した後、話し始めた。


「シンルーさんの問いに答えるには、少しお話を聞いてもらわねばなりません。私は以前、私達の両親がアンドロイドに殺されたと、そうお話しましたよね」


「……ああ。確かにそう聞いた」


 覚えている。俺がケルティスに連れられこの事務所にやって来たあの日、アウラさんはそう言っていた。だから危険であってもこの仕事を辞める気はないのだと。


「でもそれは半分本当で、半分間違いなんですよ」


「それは、どういう……?」


 言っている意味が分からず、小首を傾げる。アウラさんはまだ迷うように視線を彷徨さまよわせ、やはり紅茶の波紋を見つめながら答えた。


「認識の違いなんです。私はあれを事故だと思ってます。でも、兄さんや他の人は違います。あれを、殺人だと思ってる。それで普段は私もみんなの認識に合わせてるんです」


 彼女は紅茶で唇を湿らせてから、ことの顛末てんまつを語り始めた。


 リギザムス兄妹は事件の日まで、そのアンドロイドを人間だと思っていたという。彼は父親の友人で、兄妹にとっては叔父のような存在だった。彼はそれほどに友人の子供達に慕われていた。心優しく勤勉で、誠実な人柄だったのだ。


 しかしある日、事件は起こる。その彼が手綱を握った馬車が、リギザムス夫婦をねたのだ。その事件は当初、事故で片付けられるはずだった。しかし男がアンドロイドだと判明したことで事態は一変する。


 検事は言った。これは殺人だと。自分の正体を夫婦に知られそうになって、焦った男は夫婦をひき殺したのだと。


 機械であり物に過ぎないアンドロイドには弁護を要求する権利もない。こうして事故は殺人へと変貌した。


 それに一番納得できなかったのは男ではなかった。残された夫婦の子供たちだ。彼等の中で男は、今も優しい人だったから。


 二人はアンドロイドが破壊される前に一度、言葉を交わす機会を得た。手錠をはめられ簡素な麻の服を着せられた男に二人は訊いた。


『あれは本当に事故ではなかったのか』と。


「あの人は、あの優しい目を曇らせて私達を見ていました。そして、言ったんです。『あれは殺人だ。私が君たちの両親を殺した』って。兄さんはそれを文字通りに信じました。信じていた分、裏切られたとアンドロイドへの恨みを積もらせて」


「アウラさんは、違ったと?」


「はい。――――だって、泣きそうな顔をしていたんですよ、あの人。無理に恐い声を出してましたけど、表情までは取り繕えていませんでした。だから私は思うんです。あれは事故でした。偶然起きた、悲しい事故。あの人は、幼く取り残された私達に憎しみという生きる糧を与えるためにああやって、わざと誤解されるように言ったんです」


「アンドロイドは嘘をつけないんじゃ」


「でも、相手がどう受け取ってしまうかを考えて、偽りにならない範囲で言葉を選ぶことはできます」


 淡々と呟く声音はどこまでも透明で、彼女の心に虚偽のないことを俺に教えた。水面から視線を上げ、俺を見つめる瞳。そこに迷いの色はない。これはすでに、彼女の中で結論が出た問題なのだ。


 俺はその様に救われる思いがした。彼女は正しき同情を胸に、アンドロイドに感情を認めている。それは俺が願った心そのもので、だからこそ、俺は重ねて問わねばならなかった。


「……どうしてそう思える? それこそがアンドロイドの狙いかもしれない。夫婦の実子の同情を得れば壊されずに済む未来を演算してはじき出したかもしれない。全ては自分のためのはずだ。だって、アンドロイドには感情なんてないんでしょ? アンドロイドは、ただ人間の思考を再現しただけの合理的な機械なんだから」


 口にする全てが俺の本心ではなかった。これは一つ残らず、己の欲しい答えを引き出したいがための誘導。そう、まるで親の愛を試す子どものような無益な試し行動テスティングだ。


 意味がない。確認作業にしても性質が悪い。もしも望んだ答えが得られなかったら、また傷つくだけだというのに。


 喉がひりつくほど渇いている。目の前に水分があるのに、手を伸ばす気になれなかった。


 きっと、俺の眼には怯えが浮かんでいるだろう。俺を見つめるアウラさんの瞳が、かすかに揺れ動いたのを、確かに見た。


「彼らは確かに機械です。でも、機械は感情を持たないなんて、そんなの誰にも確かめられない。人間だってこの思考は脳内の電気信号のやりとりに過ぎません。なのにアンドロイドの心だけを否定するのはおかしい」


「なら貴女あなたは、アンドロイドに心を認めながら、それを破壊する組織に身を置いているのか」


 胸に去来しようとするものを押し留め、俺は最後にそう訊いた。一歩間違えれば侮辱と取られても仕方ない質問。アウラさんはそれにも、カップに沿えた指を震わせながら真っすぐに俺を見つめて答えるのだ。


「だって、アンドロイドはこの世から否定されています。心があるなら、そんな人生は耐えられない。アンドロイドを産みだしたのが人間なら、それを終わらせるのも人間であるべきです。……私も矛盾したことを言っているのには気づいてます。兄さんを止めることをしないくせに、こうやって綺麗ごとを並べてる。卑怯ですよね」


 口の端に薄い笑みを浮かべ、彼女は視線を落した。俺には彼女が、安易な肯定を求めているようには見えなかった。きっと彼女は、その矛盾を背負って生きる覚悟を、もう決めている。横から赤の他人の俺が口出しする問題じゃないはずだ。


 だから俺の言うべきことは、きっと……。


「俺には、アウラさんの想いを卑怯とは思えない。俺は貴女の言葉に少し救われた。今の時代に生きる人間がアンドロイドへ向ける感情は、たった一つじゃない。それを知れたから、俺は俺の中でぐちゃぐちゃになってた問題の糸口を見つけることができた気がする。ありがとう」


 俺は自分の思ったありのままを伝えた。俺はいつでも空っぽで、想いとか信念とか、そういうのとは程遠い人間だ。その時感じたことしか返せない。だからせめてこの感情には真摯に向き合い、ありのままを伝えよう。


 俺は深く頭を下げる。アウラさんは最後に全てを総括するように、窓の外に広がる灰色の空を眺めながら小さく口を動かした。


「私はアンドロイドそのものを恨んではいません。私が恨むべきだとすれば、それは一人の人間が引き起こした悲しい事故だけです」


「うん」


「きっと兄さんも、本当はあの人の言葉が私たちのための誤魔化しかもしれないと気づいてる。でも、他に怒りを向ける先がないから目を逸らしてるだけなんです」


「アウラさん……」


 俺はつい目を伏せた。彼女の言葉で自分の中の閉ざされていたものがどんどんと開いていく。その高揚と同時に、無理に過去を語らせた自分への嫌悪が湧いてきたのだ。


「シンルーさんが聞きたかったのはこういうことですよね?」


「うん。辛い話をさせてごめん」


「いえ、自分の考えを人に話すのは初めてでしたから、聞いてもらえてむしろ気分が楽になりました」


 それは半分本音で、半分は俺への気遣いに違いなかった。それでも、そう言われてほっと息をつくのを、俺は隠すことができなかった。




 スマイルス所長がケルティスと本格的に話をするというので、その後すぐに事務所は閉められた。これ幸いにと俺は自室に帰って頭の中の整理に努めることにした。


 俺は昔から、決断というものが苦手だった。だから周りに流されて、結局他人任せの後悔だけが残る。


 今回も俺は一人だけの考えで行動を決められなかった。アウラさんの言葉で背中を押されないと、自分の心に浮かんだものを実行できない。


 話を聞いたのがアウラさんでよかった。彼女の意思は、俺の意思を肯定するものだったから。だから踏み出せる。


 俺はいつも答えの出せない人間だ。人生に意味はなくて、存在に価値のない空き缶人間。ならせめて、知ってしまった者の責務として、価値ある者たちへの問いかけだけは正確にやらなくちゃいけない。


 つい持ち出してしまったUSBに入った論文をどうするか。俺が目にしたアンドロイドに関する情報を誰かに託すべきか、それとも捨ててしまうべきか。悩んでいたが、もう決めた。


 アンドロイドは、万人に嫌悪されているわけじゃない。そうは言っても、壊され停止したアンドロイドを素通りしていった通行人や、恋人がアンドロイドと分かって逃げていったあの男性のほうが大多数の価値観なのだと、俺はもう知っている。


 それでも居る。ちゃんと、真実を真実として受け止めて、その先を考えてくれるだろう人は居るのだ。


 俺はポケットに手を突っ込み、中身を階下の者達へ届けようと――


「――あれ、ない?」


 指が布の裏地を撫でる。そこにあるはずの感触がどこにもない。念のため他のポケットも調べ、あげくひっくり返して、俺は膝をついた。


「……どうしよう。なんてことだ」


 どうやらあのUSB、どこかで落としてしまったらしい。


 あの中身は決して万人に知られてはいけない。人間には知られてはいけない、アンドロイドの秘密。


 アンドロイドのAIがという、そのおぞましき真実が刻まれたデータを、俺はうっかり遺失してしまったのだ。




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