三話 遭遇
人間とは取引をする動物である
思いもよらない発言に言葉を失う俺とは対照的に、ケルティスは冷静だった。ロイドさんの発言を吟味するように眉間を寄せ、鋭い目つきで彼へと臨む。
「ロイド、最初にこれだけは聞いておかなくちゃいけない。……それは冗談か、本気か」
「本気です。準
根性の無い者なら縮み上がるだろうケルティスの眼光を受けても、ロイドさんは一切視線を逸らさない。その瞳に覚悟を見て取ったのか、ケルティスは息をつき頭を掻いた。
「……疑って悪かった。詳しく聞かせてくれ」
負けたと言うように手を広げるケルティスにロイドさんは真剣な様子で頷き、語り始める。
「セキュリティーホールの職員さんならご存知でしょうが、ロンドンではここ数年、『バグ』と呼ばれる人間が発見されています。まるで過去から来た人間のように現代の記憶を失くし、アンドロイドが存在する以前の記憶を持つ。一時期は陰謀説と共にけっこう話題になりましたよね。でも彼らは、記憶がおかしくなる前は現代に生きる善良な市民に他なりませんでした。準
自分以外のバグの存在に俺は息を呑んだ。一瞬だけケルティスの視線を感じる。それはすぐに消えたが、ケルティスは俺の事を慮ってくれているらしい。頭の中ではバグだということは隠せと忠告してくれたモナドノック先生の言葉が浮かんでくる。俺はロイドさんに気づかれないよう密かに拳を握った。
ロイドさんは俺たちの様子には気づいていないようで、暗いトーンのまま続ける。
「心優しい、労働者の一人でした。ボクも何度か話したことがあります。それが突然おかしなことを言い出し始めた。本人も混乱しているようでしたが、傍から見ているボクらのほうがよっぽど驚きました。姿は同じでも、その性格も喋り方も、以前の彼とはまるで別人だったんですから。結局彼は住んでいた場所から悪魔憑きと言われて追い出され、自殺したと聞きます」
頭の中に、今度ははっきりとモナドノック先生の声が響いた。
『私の所に来た労働者のバグ男。その後も周りに馴染めなくて、結局悪魔憑きとか噂されるようになってさぁ。耐えきれなくて自殺しちゃったんだよねぇ』
繋がる二つの情報に鳥肌が立つ。脅しくらいに感じていたことが、いっきに目前に迫った思いだった。明日の我が身、そんな言葉がよぎるくらいに。
ロイドさんは急に俯いた俺を訝しみながらも、今は話を最後まで伝えることを優先させたらしい。俺を気にしながらもケルティスを見つめる。
「その『バグ』の彼が『バグ』となる直前、出入りしていた場所があります。彼が死んでから、街の仲間と協力してずっと見張っていました。そして先日、そこから出てきた黄緑色のコートの男が、アンドロイドとして貴方に処分されるのを見たんです」
また、俺に身近な話だった。ケルティスに破壊された黄緑のコート男。それは、俺がこの時代に目覚めて初めてケルティスと出会ったきっかけだった。ケルティスも思い出しているのだろう。記憶を引っ張り出すように宙を睨んでいる。
「あそこに居たのか。気づかなかったが」
「でしょうね、橋の上から見ていただけですし。でもこれで分かったでしょう。あの労働者の彼――ウガルが出入りしていた場所に、アンドロイドも立ち寄っていた。絶対に何か繋がりがあるはずなんです。ボクたち準
そうして話を最後まで聞き終わって、ケルティスはまた黙考し始めた。
「……そうだ、最初の問いは何だったんだ」
思い出したようにケルティスが顔を上げる。そういえば何か言っていたな。そう、アンドロイドとは何なのだろうと、俺が抱いていたのと同じ疑問を彼は口にしたのだ。
ロイドさんはそこを掘り返されるとは思っていなかったらしい。一瞬だけ目を見開いた彼はしかし、視線を落して唇を噛んだ。苦し気に眉をしかめる。
「……ウガルがおかしくなったのは、きっとアンドロイドのせいです。アンドロイドはウガルに何をしたんですか? アンドロイドは、ウガルを騙して何かの実験に使っていたんだ。それでウガルはあんなことに……。そうに違いないんです。アンドロイドは、ボクら人間を使って、何をやろうとしているんでしょうか。ケルティスさん、どうかウガルの
震える声でそう零すように懇願する彼は泣き出しそうな顔をしていた。俺はその悲痛さに胸を殴られたような気持ちで、任せろと断言して腰を上げるケルティスの影が動くのを目線だけで追うことしかできなかった。
ロイドさんの自宅を後にしても、俺の気持ちは重いままだった。自分以外のバグを知る人間の存在と、バグの発生に関わるかもしれないアンドロイドのことで頭がいっぱいだった。
それは、宙ぶらりんな俺の正体に関わる問題だからだ。
とぼとぼと歩く俺の肩を、ケルティスは案じるように叩く。
「ロイドの言うことは気にすんな。バグとアンドロイドに何か関係があるのか、調べてみないと分からない。それを調べるのはオレたちセキュリティーホールの仕事だ」
「あぁ…………」
しかし彼の気遣いに俺は気の抜けた返事しか返せない。自分の中を溢れる感情の渦にどうしていいか分からなかった。
するとケルティスは気まずげに俺の周りを一周し、言い出しづらそうに切り出す。目の前に差し出されたのは一通の通知書だった。
「こんな時に言うのは、お前を余計混乱させることになるかもしれない。でも、隠してても仕方ない。――――今朝、監理局から連絡があった。お前の素性が分かったよ」
その知らせが俺にとって救いとなるか、それとも絶望をもたらすのか。未来は見えず、過去すらあやふやで頼りない。
とにかく何か自分のことが分かればこの不安から逃れられるかもしれないと、俺は縋る思いでその紙を受け取った。
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