明日に依存して今日を失う


 翌日は、午前中が事務所対応だった。ロンドン市民からアンドロイドの情報を集め、心当たりのある人と面談をするのだ。


 スマイルス所長が面談を担当し、衝立ついたての向こうでアウラさんがタイプライターを打ち調書を作成する。


 調書は本来ケルティスの仕事なのだが、彼は昨日の件で傷口が開いて一日安静を申し付けらている。それに代わったアウラさんの役目を引き継ぐ形で、俺はいわゆるお茶くみをしていた。


 相談に来る人は意外に多い。所長が今三人目の相手をしている。しかし成果はかんばしくない。アウラさんの手もさっきから止まったままだ。


「だからですよ、所長さん。あの女は絶対アンドロイドなんですよ。ええ絶対です。前から怪しいと思ってましたが、もう限界です。調査してください」


 衝立の向こうで、女が興奮した様子でまくし立てている。さっきから聞いていても、容疑に根拠がない。調査に踏み出すほどの案件ではないようだった。

 スマイルス所長はそれにも、丁寧に微笑んで対応している。


「お話は分かりました。その件はこちらでお預かりしましょう。もしその女性がアンドロイドなのでしたら、私どもが責任を持って排除いたします。それでよろしいですね?」


「はい、もちろんです。盛大に調査してください。絶対に何かありますから。なんならアタシから社長に言って調べてもらっていいんですよ」


「いえ、そこまでお手を煩わせることではありません。女性がアンドロイドでしたら消えるだけ。そうでなければ、彼女は人間ということです。騒ぎ立てることはありません」


「でも……」


「全ての判断は私共がいたします」


 スマイルス所長の言葉は、口調は柔らかいのに有無を言わせない圧力がある。さすがの女もそれで口をつぐんだ。


 さっきの人もそうだったけど、どうして彼らは調査という部分にこだわるんだ。俺は不思議になって、退屈そうに背伸びしているアウラさんに質問した。


「どうしてこの人、こんなに調査してくれって言うんだろう?」


「それはですね、相手が気に喰わないからですよ」


 アウラさんは欠伸あくびを噛み殺しながら言う。まつ毛に溜まった涙を拭ってさらに続ける。


「セキュリティーホール直々に調査されるってことは、アンドロイドと何かしら関わりがあるかもってことです。実際は違っても、調査されたってだけで信頼はがた落ちでしょう。だから、嫌いな相手はみんなアンドロイドじゃないかって騒ぐんです。相手を直接アンドロイドだって批判するのは名誉毀損きそんですけど、怪しいところは裁かれないんで悪口と化してたりしますし。お前の筋肉はゴム製か? とか脳みそシリコンなのかーとか」


 頭に浮かぶのは、パン屋の盗人少年だった。たしか彼も店主にシリコンがどうのと怒鳴られていたはずだ。変な言い回しだと思ったけど、あれは酷い悪口だったのだ。スマイルス所長が止めたのもうなずける。


 同性愛も、肌の色も、あらゆる偏見が消えた時代で新たに生まれた最上の差別にして蔑称。それが、アンドロイド扱いなのだろう。


「ところで、なんで砂糖もあるのに蜂蜜入れるの?」


 アウラさんは脇の小瓶に入っていた蜂蜜を自分のカップにそそいでいる。


「疲れたのでハチミツティーにしようかと」


「アウラさん、それコーヒーだけど……」


 さっき自分で淹れてたよね。コーヒーを淹れてたこと忘れたのかな。淹れた後に紅茶が飲みたくなって、カップの中を誤解してしまったとか。


 アウラさんは、可愛らしく頬を染めながら苦笑する。


「やっちゃいました。紅茶入れてるつもりで豆をいてしまっていたみたいです」


「そこからかー」


 予想以上だった。そこで間違うのか。あなどれない子だ。


「シンルーさん、飲みます?」


「ええっ、俺?」


 蜂蜜入りコーヒーを? 飲んだことないけど……味はどうなんだろう。そしてなぜ俺に勧めるんだ。


「だってシンルーさん、なんだか昨日帰って来てからずっと疲れてるみたいですし。甘いものを適度に取ると、疲労回復なんですよ」


「……じゃあ、頂こうかな」


 やっぱり、アウラさんは侮れない子だ。気を付けていたのに顔に出ていたらしい。

 蜂蜜コーヒーはなんだかまろやかな味がした。





 昼の休憩時間になり、俺は裏口先で一人考え事をしていた。どうしても、昨日のことが割り切れずに俺の中に残っている。


 羽織っただけで腕を通してないコートのポケットから、それを取り出す。青色のネクタイピン。あのアンドロイドの恋人が落としていった紙袋に入っていたものだ。


 何度目をこすっても、甘いものを飲んで落ち着いても、目に焼き付いた光景が胸をくすぶる。


「俺みたいな空き缶人間より、彼等のほうがよっぽど…………」


「よっぽど、なんだぁい?」


「えっ」


 予想外の声に俺は弾かれるように顔を上げた。そこには、ピンクの眼鏡をかけたガタイの良い男性がいた。言わずもながレグール・モナドノック先生だ。


「先生、どうしてここに?」


「ちょぉっとニアに用があって、今帰る所だよぉ。それよりシンルー君、ちょっと見ないうちにうつった?」


うつってほどでは……」


 あとそんな動詞は聞いたことない。女子高生じゃないんだから変な造語は止めてくださいよ意味わからん。


「君たち昨日、アンドロイドを一体破壊したんだってぇ?」


「たちって……。全部ケルティスの功績です。俺はその場に居ただけで。ケルティスには会いましたか?」


「もっちろぉん。最近調子のってるみたいだから、おきゅうをすえてあげたよ」


 先生がふふっと笑う。笑みが邪悪だ。ケルティスは無事だろうか。


「でぇ、君が落ち込んでるのはそのアンドロイドのせいかなぁ? アンドロイドの破壊専門部門の事務所に居候してて情けないなぁ」


「仰る通りで」


 苦笑してしまう。モナドノック先生は俺をあざけるように笑い、背中を叩いてくる。


「たかがロボット一体壊したくらいで何だい? 情でも湧いちゃったのかなぁ。奴等の言うこと全部プログラムに過ぎないのに。感情の籠もらないシステム会話に騙されて、機械なんかにそこまで入れ込むなんて馬鹿なんじゃ――」


「……違います」


 思うよりも、先に口が動いていた。


「あの人はただの機械じゃなかった。大切な人のために泣きながら笑える存在が、人間じゃなくて何だって言うんだ。少なくとも俺なんかよりはよっぽど人として生きてたっ」


 急に頭に血がのぼって、気づくと俺は先生に噛みついていた。背中を叩く手を払いのける。先生は驚いたように眼鏡の奥の瞳を丸くしたかと思うと、すぐまたニヤニヤ笑い出した。


 その顔に面食らって言葉を切ると、先生は嬉しそうに俺の頬をつまむ。


「さっきの空き缶人間というのは、君のことかぁい? なるほどぴったりだねぇ。名前も分からず、素性も思い出せず、どこまで信じられるか分からない記憶しか縋る物のない君にはぁ相応しい呼び名だ。けどねぇシンルー君。素性さえ分かれば己が見つかるかもぉなんて憶測に頼って、今日をないがしろにしちゃぁいけない」


 先生は眼を細めて、俺のほっぺたを伸ばすのをやめた。代わりに俺の肩に両手を置き、静かに微笑む。


「君が何者だろぉと、君は今ここにいて、そうやって思考している。周りに同調しきれずアンドロイドについて悩んで、アンドロイドを侮辱する言葉に自分のことみたいに怒った。確かな己がある。君という存在の根拠は名前かぁい? それとも記憶かぁい? 違うね、今君が思考する理由それだけさぁ」


 さとすように語る。先生の言葉が俺の中に染み込んでいく。それは一つの肯定だった。俺がかつて求めていたものだった。


 しかし、同時に自分の中に後ろめたい物が広がるのを感じる。


 俺の悩みは、そんな高尚なものじゃない。ただ、自分の頭をプログラムに沿って動く機械みたいだと思って、でもアンドロイドのほうがよっぽど、俺より人間らしいと感じて。だから、俺より優れた物が否定されてそれは違うと反発しただけだ。


 先生に認めてもらえるようなことじゃない。……それでも、こうやって自分勝手に考える俺は、確かにここにいるということは分かる。記憶だけが、俺の存在根拠じゃない。そのはずだと思えるのは先生の言葉のおかげに違いなかった。


 もう帰るつもりらしく、先生は立ち上がって屈伸する。腕を回して背伸びの運動。いちいち動きがうるさい人だ。


「君がアンドロイドについてもぉっと知りたいというなら、このままケルティス達と共に行動すると良い。なぁんせ、最もアンドロイドと接触する機会の多い者達だぁ。私の勘では、君は渦の中心だ。誰も知らない真実まで辿りつくかもしれない」


「真実?」


「希望的観測ってぇやつだ。気にするなぁ。そうそう、私としてはねぇシンルー君。君がアンドロイドへ抱くその同情や哀れみは、きっと捨てないで欲しぃ。この時代には貴重で貴いものだと、私は思っているよ」


 ニアには内緒だけどね、と残して、先生は本当に帰っていった。




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