苦痛は現実である


「動いた。追いかけるぞ」

「…………」


 ケルティスに促され重い腰を上げる。先に出た恋人たちの背中を、俺は暗い気持ちで追いかけた。


 アンドロイドは世界中の人間から忌み嫌われている。それは、もう理解していた。壊されたアンドロイドから興味を失くし去っていく通行人、国連が作ったアンドロイドを撲滅するための機関の存在。広くも狭くも、アンドロイドの居場所がこの世にないことを示している。


 アンドロイドは壊さなくてはならない。ケルティスを爆殺しようとしたのもアンドロイドかもしれないのだ。ケルティスは俺の恩人だ。それを傷つける存在は許容できるわけがない。


 けれど、どうしても俺はアンドロイドに対する同情を消しきれていなかった。アンドロイドの在り方に、自分を重ねてしまうせいだ。


(違う、あれは機械だ。俺とは違う。俺は、俺は人間で……)


 そう自分に言い聞かせようとする度に、頭の中で声がする。


 じゃあ、人間ってなんだ?

 身体に肉が付いて、血が通っていれば人間か?

 人の腹から生まれれば人間?


 だったら、偽りの記憶だけ持ち、本当の親というものどころか、自分の名前すら知らない俺は、真の意味で人間らしいと言えるのか?


 何度否定を重ねても結局はそこに行き着いてしまう。まるで真っ暗で底の見えない崖を前にして行ったり来たりしているみたいに。


「おいシンルー、大丈夫か?」


 ひそめた声で意識を引き戻される。そこには怪訝けげんそうに俺を流し見るケルティスの姿があった。俺はそれに頷き返し、通りに目を向ける。


 今は余計なことを考えるのを止めて、集中しよう。ケルティスを見張るためについて来たのに、俺が足を引っ張って彼を危険に晒してしまったら本末転倒だ。


「おっ、あの二人別れるみたいだぞ」


「ちょっと目を離した隙に破局!?」


「違うわ。アウラみたいにとぼけたこと言ってんじゃねえ。天然は腹いっぱいなんだよ」


 辟易へきえきした顔のケルティスに頭を小突こづかれる。お兄ちゃん業はけっこう大変らしい。


「どっちを追う?」

「当初の予定通り、だ。二手に分かれる気はないんだろ。最初の男を追う」


 今日のデートはお終いのようで、恋人たちは手を振りあって別々の道に入っていく。俺たちは最初に目を付けていた、アンドロイドと目される男の尾行を続けた。


 ずっと大通りを歩いていた男が突然路地に入る。俺たちも少し遅れて後へ続く。男はすぐ路地を出て、個人営業の飯屋が並ぶ場所へ足を向け、やがて一軒の店に入った。


 飲食店ではない。看板や店先の様子を見るに、金物かなもの店のようだ。


 ここからだと店の中まで見えない。しかしこれ以上出ると、向こうにこっちが丸見えだ。するとケルティスが俺に手鏡を渡してきた。これを持って俺が店の前方に立ち、鏡に映った光景をケルティスがその場で確認する、ということらしい。


 言われた通りの場所に立つ。俺も店に背を向けながら、鏡の中を覗いた。


 男は店の戸棚を物色している。他に客はいない。こうして見ると、ただ買い物に入っただけのようだ。


 しかし男はしばらくして、急にそわそわし始めた。何度か店の外を確認し、自分に向けられる目がないことを確認してからレジへ向かう。


 レジにいたのは、一人の老人だった。六十くらいの男性だ。店主だろうか。男と店主はなにやら小声で会話した後、店主は店の裏に消えて行った。


 俺は不自然にならないよう正面の店に並ぶ商品を眺めるふりをしながら、ケルティスの指示を待つ。ケルティスは真剣な顔をしたまま黙りこくっている。俺は仕方なく、鏡役を続けた。


 三分くらいは経っただろうか。奥に引っ込んだ店主が牛乳瓶くらいのガラス瓶を持って出て来る。男は中身を確認し、金を置いた。


「……ビンゴだ」


 今にも舌なめずりしそうな高揚した顔でケルティスが呟く。事情の分からない俺は、説明を求めて一旦物陰に引っ込んだ。


「何が?」


「あの瓶、中身は特殊オイルだ。表の流通には乗ってねえ。それどころか製造も販売も、国から禁止されてる。特殊オイルはアンドロイドのメンテナンスに不可欠なんだ」


「ということは……」


「間違いねえ。ありゃあ、アンドロイドだ。今日は運が良い。摘発てきはつのチャンスだな」


「はあ? 待て、今日は危ないことはしないって――」


「残念、もう気づかれてる」


 親指をくいっと向けるその方向では、店主と男が青ざめた顔でこっちを見ていた。ケルティスが身を乗り出したせいで、通りからはケルティスの腕章が丸見えだったのだ。


 逃げよう、そうケルティスに言おうとするが遅い。ケルティスは怪我をしていると思えない素早さで飛び出し、まばたきする間に店へ走っていた。


「誰も動くな! セキュリティーホールロンドン支部だ! 動くと抵抗とみなし即刻排除する!」


 腕章を前面に出しながら突撃する。俺はどうしていいか分からず、物陰でおろおろすることしかできない。


「セキュリティーホールがうちに何のようですか」


「禁止物売買の疑いがある。そこのお前、今買った瓶を出してもらうぞ」


 催促されて男は悔しそうに歯を食いしばる。瞳に覚悟を宿した男は、拳を握りしめなにやら逡巡したあと、入り口に陣取るケルティスに向けて突進した。言い訳できない状況に逃げる気なのだ。


「だぁから、動くなって言ってんだろ」


 冷たい言葉の直後、銃声が響く。ケルティスが男に発砲したのだ。勢いに倒れた男が棚に激突して尻餅をつき、店主が椅子から転がり落ちる。


 男は肩を撃たれていた。


「なんだお前、血にしてはオイル臭ぇなあその赤いの。こりゃ手っ取り早く聴いたほうがよさそうだ。――Are you human?」


 その問いは差別の蔑称にすらなるから、人間相手には決してするなとモナドノック先生が言っていた、例の言葉だった。人間ならば、簡単にYesと答えて終わりだ。しかし、あの男が本当にアンドロイドならば……。


「――――わたしは、…………人間、では……ない」


 耳に届いたのは絞り出すようなかすれた声だった。じゃあ、あの男はケルティスの睨んだ通りアンドロイドで。


「うそ、だろ」


 俺の真横に紙袋が落ちる音がした。横を見ると、男の恋人が立っている。きっと渡し忘れたプレゼントを渡すために追いかけてきたのだろう。いつの間にそこにいたのか、気がつかなかった。


 彼は店の様子で全て察してしまったらしい。


 恋人は信じられないという顔で口を両手で覆い、肩を震わせている。その瞳には、衝撃や苦しみよりも、嫌悪が色濃く渦巻いている。


「の、ノーマン……」


 男が恋人に手を伸ばす。届くはずもないその手に、恋人は悲鳴を上げて後ずさった。


「にっ、人間じゃ……アンドロイドだったなんて、僕は知らなかった! 知らなかったんだ!」


 首を何度も横に振りながら、恋人は後退していく。誰に向けての言葉かと思えば、男に銃を向けるケルティスへの弁明らしい。ケルティスがちらと視線を向けると、恋人はぎゃあと叫んで逃げ出してしまった。


 数秒で通りから姿を消す。落とした紙袋を拾おうともしなかった。


「……アンドロイドとそうと知りながら接触することは禁じられている。違反者は十年以上の懲役が待っている。金での解決はできない」


「ノーマンは嘘をついていない。あいつは、わたしを人間として愛してくれた。知らなかったんだから、罪には問われないだろ?」


「ああ、厳重注意程度で済む。お前はそれでいいのか」


「騙してたのはわたしだ。夢を見ちまったむくいさ」


 肩を押さえていた男が瞳から透明な液体を零し始めた。顔の輪郭りんかくに沿ってあごまで流れた水が、玉になって床に落ちる。その顔は、必死に笑っているように見えた。


「あの爆発事故、お前らの仕業か。お前も昨日現場にいただろ」


「いいや、わたしはたまたま通りかかっただけだ。少なくとも、わたしの仲間の仕業じゃないな」


「そうか、ありがとよ」


「いいんだ。最期くらい正直にいたかったから――」


 男の言葉は、そこで途切れた。ケルティスの銃弾がその頭を撃ち抜いたのだ。頭蓋の半分がぺしゃんこになって、男は動作を停止した。


 身体から力が抜け瞳から光が消える。もうそこに生命の影はない。人の形をした壊れた人形だ。


 ただ男の眼だけが壊れた蛇口みたいに、しばらく涙を流し続けているのだった。



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