幸福は夢に過ぎず
男性カップルは穏やかな空気で通りを真っすぐ進んでいく。ケルティスの言うことは正しかったらしく、彼等に奇異の眼をむける無作法ものは居ない。世界に祝福された二人は、睦まじくデートを楽しんでいた。
「今のとこ怪しい仕草は見せないな」
「やっぱり、アンドロイドとは関係ないんじゃない?」
彼等は露店のアクセサリーを互いに当てては笑い合っては、こっそり相手へのプレゼントを買って微笑みを浮かべる。本当に幸せそうな、ただの恋人同士に見えた。
「そう簡単に判断はできない。アンドロイドは完璧に人間に偽装できる。言動だけじゃ判別はできん。それに、オレの勘だと先に目をつけてたあのターゲットはアンドロイドだ」
ケルティスは監視の目を緩めることなく俺の胸を叩く。油断するなということだろう。俺ももう一度気を引き締め直して二人を観察することにした。
二人は歩き疲れたらしく、一軒のカフェに入っていく。俺たちはいくらか間を置いてから、そこに入った。ケルティスは外出時に腕の腕章を外すわけにはいかないと言うので、男達から離れ死角に腰を下ろす。動きがあれば分かるが、ここからでは会話も身振りも確認できなかった。
「なあケルティス。本当にあの人はアンドロイドなのかな」
「何言ってんだよ。オレが信用できないのか」
「そういうわけじゃない。でも、どうしてもあの人が機械には見えないんだ」
それは、見た目の問題ではなかった。恋人の言葉に嬉し気に頬を染め、ちょっとしたことに感動して笑う。怪我をした猫が通りかかると、まるで痛みが伝わるかのように悲しい目をしていた。
あれが人間でないというのなら、アンドロイドと人間とは何が異なるというのだろう。
視線を落とし、手元の渋い紅茶を見つめる。注文したケーキを大口開けて放り込むケルティスには、俺のこの葛藤は通じていないようだ。彼は当たり前みたいな顔をして、残りのケーキを切り崩す。
「どんなに感情があるように見えても、あれはそういう風にプログラムされてるだけだ。その辺割り切れないとキツいぞ」
「プログラム……」
「ああ。目前の事象について、蓄積した経験データをもとに最もはまる反応を返す。人類の半数以上が美味いと判断するケーキを食べれば『美味い』と言う。万人が感動する光景を見れば目から塩水を流す。そういうプログラミングだ。アンドロイドが本当に感情に基づいてそういう反応を示してるわけじゃない。あいつらの思考はどこまでも機械的だ。人間側が、そこに感情を見出してるに過ぎない。目と口の描かれたポストを可愛いと
「でも…………」
理屈は分かっていても呑み込めないでいる俺に、ケルティスはため息をつきながらフォークでケーキを掬った。
「はあ、いいか、ほれ」
「もごっ」
口にケーキをつめこまれ、驚いて嚥下する。口の中に生クリームの甘さが残った。砂糖が普通より多いのだろう、俺には少し甘すぎる。渋い紅茶で口内環境をリセットしようとカップに手を掛けると、ケルティスにそれを止められた。
「ここからが本題だ。お前はケーキを見た。食べた。美味いと思う。アンドロイドも同じ感想を語るだろう。だがアンドロイドはその過程が違う。あれに搭載されてるAIは、ケーキを視認し、口に入れる。その味が一般に『美味しいケーキ』と言われるに相応しい基準にあると分析をしてから、美味いと反応を返すんだ。結果が同じでもシステムから人間とは違うんだよ」
諭すような言葉を聴きながら、今しがた飲み込んだケーキを思う。ケーキの味に自分がどんな反応を返したか。そこには、確かにアンドロイドのものと隔たりがあるような、そうではないような気もして、判然としない。
俺の顔色を見ずに、ケルティスは押さえていた手を離した。
「理解できたか? だからお前が奴らを人間だと認識しちまうのは分かる。オレらに見えるのは『結果』だけだからな。それでも、奴等を人間と思わないように、そこだけは分かってくれ」
「…………うん」
曖昧に笑って、今度こそ紅茶を流し込む。それでも生クリームの残滓は喉にからみつくようで、上手く唾が喉を滑っていかない。
俺はケルティスの説明を肯定しながら、心の中では全く違うことを考えていた。
(今までの
俺だって、同じだ。アンドロイドと同じじゃないか。
昨日猫を見た時の自分を思い出す。「可愛い」という言葉は、完全に反射から出た。猫の顔を見たわけじゃない。あの時点じゃまだ、猫という存在を認識しただけだったのに。判断の根拠が自分の中にない。一般的意識にだけ依存して言葉を発していた。
そこに自分の意思はなかった。誰かがかつて猫を可愛いと言ったから、俺も同調していただけだ。集合データから判別を下すアンドロイドと、何が違う? どこも違わないじゃないか。ただその思考が、脳の中で行われるか演算回路の中で行われるかの違いしかない。
そう思った瞬間、背筋がぞわっとした。
紅茶に映る顔を覗き込む。薄オレンジ色の液体を鏡にしても分かってしまうほどその顔は青ざめている。それは自分の非人間性に気づいた嫌悪感と、今追っているアンドロイドをいつか壊さねばならないことへの反感によるものだ。
なぜ今、アンドロイドを擁護するような心持が自分に芽生えているのか。そんなのは明白だ。
俺はアンドロイドに同情しているわけじゃない。ただ、アンドロイドを否定することが、まるで己を否定するのに繋がるようで怖いのだ。
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