偏見は判断を持たない意見である


 爆破事件の翌日、朝からケルティスは新聞片手に紅茶を飲んでいた。今日はさすがに出かける気は無いようだ。頭に包帯を巻くような怪我をしているのだから当たり前だが。


 新聞の一面にはあの爆発現場の記事もある。


『爆発により建物一棟が崩壊。アンドロイド、セキュリティホールへの警告か』


 見出しはこんな感じだ。目撃者へのインタビューも載っている。ケルティスはそこに目を通すと、舌打ちを漏らして新聞を畳んだ。


 紅茶を飲み干し、逡巡しゅんじゅんするように新聞と外とを見比べている。かと思うと肩を回したり手をプラプラさせたり、落ち着きがない。


 やがてピタリと動きを止めたケルティスは、下手に出るような珍しい笑顔を浮かべ、いそいそと出掛ける準備を始めた。


「よしっ、シンルー。オレは出かけるから後はよろしく頼む」


 輝く笑顔で宣言するケルティスに、俺は出来る限り微笑んで答える。


「外出するの? 駄目」


「なんでだよぉ」


「アウラさんに今日は大人しくしててって言われただろ」


 ケルティスの顔がどんどん怖くなるけど、アウラさんに見張りを頼まれたのだから引くわけにはいかない。当のアウラさんは所長のスマイルスさんと仕事に出かけてしまったけれど。


 徹底抗戦の体を取る俺にさすがのケルティスも攻めあぐねている様子だ。自分で言うのもなんだが、俺は自分の決意は簡単に曲げるけど他人からの頼まれごとを放棄したことはない。今日の俺はケルティス監視人間なのだ。


 自分の意思がスカスカの空き缶人間としては、こうして任務があると落ち着くなぁ。


「オレは今行かなくちゃいけないんだ」

「駄目だよ。何しに行くとしても、相応の理由がないと」


 ケルティスの性格は分かっている。彼はたびたび説明をすっとばして自分の我を通そうとするのだ。そうはいかない。俺を倒したくば説得してみろと胸を張る。


 するとケルティスは自分の言葉足らずにいまさら気づいたのか、面倒臭そうに頭を掻いた。


「チッ。シンルー、これを見ろ」

「今朝の新聞?」


 さっき見ていた記事だ。


「ここに『セキュリティーホールへの警告』とある。あれが本当にアンドロイドの仕業なのか、警告なのかは分からん。だが、この記事を見た市民は文字通りに受け取っちまう。なのにセキュリティーホールロンドン支部の人間が引っ込んでたらどう思われると思う?」


「……怖くなって隠れた」


「その通りだ。ロンドン支部の人員は六人。オレらの他に三人いるんだが、今はフランスの大規模作戦に駆り出されてる。所長とアウラはこの記事書いたバカの所に圧力かけに行ってる。今日動けるのはオレしかいねぇ。だから市民を安心させるためにも、大人しくしてるわけにはいかないんだ」


 俺は思わず唸った。ケルティスの言い分はもっともだ。俺だって物騒な事件が起きてる界隈で警察が署に引っ込んでたら文句の一つも言いたくなるに違いないと考えてしまったからだ。しかし、だからと言って怪我人のケルティスを外に出すわけには。


「頼む。無茶はしない。警邏けいらだけだ。約束する」

「んん~………………わかった。俺も行く」

「よおし! そうこないとな!」


 彼の駄目押しに、俺は仕方なく頷いた。というかここで却下しても、トイレの窓とかから脱出してしまいそうだからあまり意味はない。


 実を言うとアウラさんから任されたのは見張りだけで、ケルティスを外に出すなとは言われていない。アウラさんもその辺り考えてのことだろう。こうなったら、危ない目に遭わないよう見張っておくしかない。





 そう思っていたのに、なぜこうなるのか。


 外へ巡回に出たはずのケルティスと俺は、なぜか人の尾行をしていた。物陰に隠れてターゲットの行動を見張る。


「ケルティス……言ってたのと違う」


「仕方ねえだろ。アイツを見つけたのは偶然なんだから」


 答えながらもケルティスの視線は往来の向こうの男に釘づけだ。


「ありゃあ、最近オレをつけまわしてた奴だ。昨日の現場にもいたぜ。今日はこっちに気づいてない。チャンスだ。せめて自宅を特定しときたい」


「危ないことは……」

「しねぇよ。たぶん」


 たぶんじゃねぇよと叫びたくなったが、それで目標に見つかったら本末転倒だ。胃が痛くなってきたが耐えるしかない。


 それにケルティスは尾行慣れしているらしく、こっちの存在を絶妙に相手に覚らせない。邪魔にならないようにしておけば危ないことにはなりそうにもなかった。


 帽子を目深に被った目標の男は、噴水の前で誰かと待ち合わせをしているようだった。目立った動きがないので、見張っているこっちが飽きてくる。だがケルティスは目を爛々らんらんと輝かせて男を見つめていた。すごい集中力だ。


「あっ……」

「しっ」


 目標の男が誰かを見つけたように片手を上げた。待ち人が来たらしい。男に近づいて来るのは、男より少し若い、三十手前くらいの男性だった。こっちも帽子を被っている。二人は互いに駆け寄り、笑顔で会話をした後、手を繋いで歩き出した。


「ははぁ、カップルだったか」


「えっ、男同士だろ?」


「は? それがどうした。何か変か? ……まさか同性愛嫌悪者ホモフォーブの同性愛排除論者じゃねえだろうな。どんな思想を持つかは勝手だが、いちおう国連の人間の前でそういう差別発言はやめとけ。国連はありとあらゆる人種差別を許さない」


「そっ、そんなんじゃないよっ」


 睨みつけるような視線に慌てて否定する。そして、意外な事実に困惑していた。


 この国では同性愛は普通のことらしい。僕の記憶ではまだ、彼らはヘテロさん方から異常だと非難される側だったけど。


 ……まて、ケルティスは今と言ったか。じゃあ、世界的に認められてるってこと? 認識のギャップに首をひねっていると、俺は自分の勘違いに唐突に気がついた。


(そっか。ここは記憶より未来の世界だった。科学技術は衰退してても、人間が進めてきた意識の改革は続いて、さらに発展してるんだ)


 かつて身分制度が廃止されたように、男女差についての誤った偏見が正しい形に均されていったように、抑圧されてばかりだった人たちは立ち上がり、長い時間をかけて権利を勝ち取ってきた。同性愛についても同じことが起こったのだろう。


 だから同性愛が普通だと認識されてる。この百何十年の間に、彼等は同性愛の権利を勝ち取って行ったのだ。


(未来って言われても実感湧かなかったけど、そうか。やっぱり人類はちゃんと発展してたんだ)


 俺自身、同性愛については本人の意思を尊重すべきだとずっと思っていた。この件に限らず、他人の考えを根拠なく自分の主観だけで非難し排斥する社会がずっと嫌だったのだ。けれどは違う。人間の多様性が当たり前に受け入れられている。


「案外、ここは良い世界なのかもしれないな」


「はっ? なんか言ったか?」


「いや、独り言」


 耳ざとく俺の呟きを拾うケルティスに笑って返す。ずっと、機械がないこの時代を不便なだけの世界だと思っていた。けど違う。人間はちゃんと、正しい感情を正しいと認める力を持っていたんだ。


「なんか知らんが、ターゲットが動いた。さっさと追いかけるぞ」

「ああ、分かった」


 込み上げる感動を一時引っ込め、俺はケルティスの背を追いかけた。


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