真の幸福は現在を楽しむこと


「悪いなシンルー、肩借りちまって」


 崩壊現場からの帰り道、俺は足を挫いたケルティスの体重を左半身に感じながら、夕暮れの中を事務所に向かって進んでいた。


 横目で流し見ると、ケルティスは決まり悪そうに顔をしかめている。この距離だとまつ毛の長さがより際立って感じる。アウラさんもだったし、そういう家系なのかもしれない。


 そんなくだらないことを考えながら、俺はケルティスを励まそうと笑顔を作った。


「いやいや、むしろ俺なんかの肩じゃ気持ち悪いだろうけど我慢してほしい」


「いや、なんだその謙遜けんそんの方向性は。意味分からん」


 ケルティスの目が不審なものを見るそれに変わる。何か失敗してしまったようだ。


「最初から思ってたが、お前は挙動不審というか、自信なさすぎだろ。記憶が無いせいか?」


「えっ、どうだろ。昔からこうだった気がするけど……」


 そう、記憶の中にある俺はいつもそうだ。他人に遠慮して、できるだけ迷惑をかけないよう愛想笑いを浮かべてばかり。


 それでも誰かの役に立ちたくて困っている人に駆け寄っては、気持ち悪いとか余計なお世話だとかと罵倒されてたっけ。……よくめげなかったな、記憶の中の俺。


 でもそれは俺が良い人ってことじゃなくて、単に他人への気遣いすら捨ててしまったら自分にどんな価値が残るか分からなくて怖かっただけだ。自分本位の身勝手な善意。そりゃあ、拒絶されて当たり前だ。


 ……この思い出も、全て作り物なのかもしれないけど。今の自分を定義する指標がこの思い出達しかないのだから仕方ない。


 簡単に端折はしょってそう語ると、ケルティスは難しい顔をした後、俺へ穏やかな視線を向けてきた。


「じゃあむしろその記憶のせいだな。

 そいつと本来のお前にどんな関連性があるかは分からんが、それに影響されるのは分かる。だがな、記憶の中の世界は科学の全盛期だったんだろ? そりゃ一人で生きていける時代だ。世の中が便利になりすぎて人間の感性が一番死んでた頃だ。一人で満ち足りてるそいつらにとっては、他人の思いやりなんかわずらわしいだけだったろうさ。

 けど、今は違う。お節介にお節介を返す助け合いでやっと暮らしていける良い時代だ。誰も他人の優しさを疑って拒絶したりしない。だから、そうやって怯えなくていいんだぜ」


 俺は、どこか哀れむように微笑む青年の言葉に妙に納得してしまった。


 記憶の中ではあれだけ邪険にされていた俺だったが、この街で目覚めてからは、一度も他人からの明確な拒絶を受けてなかったから。






 自分が人々に受け入れられていることに改めて困惑と淡い肯定感のようなものを抱いていると、ようやく事務所に着いた。


 空いているほうの手で取手を回す。男二人でごちゃごちゃしながら狭い入口をくぐると、事務机で何やら作業をしていたアウラさんが顔をあげた。


「二人ともお帰り――って怪我してる! えっと、シンルーさん大丈夫?」


 アウラさんは何故か頭に包帯を巻いているケルティスにではなく、服にケルティスの血が付着しただけの俺の方に走り寄ってくる。


 なんで?


「俺じゃなくて、怪我してるのはケルティスのほうだよ」


 勘違いしてるかもと訂正した。するとアウラさんはピタリと動きを止め、唇を尖らせて怒ったような顔になる。


 ……あ、ケルティスのこと無視してたのわざとか。


 案の定アウラさんはケルティスの肩をがっしり掴み、わざとらしいくらいの笑顔で兄に詰め寄っていく。


「そっかー。兄さん大怪我したんだー」


「ちよっ、アウラ! 傷口を触るなっ、撫でるなっ、つっつくな! もう手当ては終わってっから!」


「えぇ? がさつな兄さんが手当てなんか……できてる。どうしたのこれ、もしかしてシンルーさん?」


「違うよ。これは通りすがりの薬屋さんが」


「へぇ、丁寧な処置ですね。これなら、うん」


 遠慮はいらないねと頷いた瞬間、アウラさんの表情が一変した。


「兄さん! 確かにこんな仕事だから怪我をするのは仕方ないよ。でもそんな怪我負うほど危険な目に合いそうになったらさっさと逃げてって言ったでしょ! 死んだら終わりなんだよ!」


 腰に手を当ててお説教が始まった。ケルティスは首を縮めて大人しくアウラさんの怒りを受け止めている。


 けれどいかんせん、アウラさんのふわふわと柔らかな雰囲気のせいで、鋭い剣幕になりきれていない。威嚇してる小動物みたいだ。


「もうっ、今度そんな怪我して帰ってきたら、兄さんのお小遣い減らすからね!」


「そりゃ勘弁してくれよアウラぁ」


 ケルティスが機嫌をとろうと近寄るが、アウラさんは頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。


 うーん。モナドノック先生がアウラさんの怒った顔もカワイイとか言っていたが、これは異論が浮かばないな。


 それにしてもあの二人のやりとりは見ていて微笑ましい。俺には家族についての思い出がほとんどないから羨ましくもある。


 俺にもせめて兄弟がいれば、殆ど帰ってこない母親を待つあの暗い家にも親しみが持てたのだろうか。


 感傷に浸りつつやりとりを眺める俺の視線に気づいたケルティスが、顔を赤くして拳を握った。


「……って、おいシンルー。なに『あっこの人、妹に財布握られてるんだ』みたいな顔してんだよぶん殴るぞ」


「してないよっ。家計の遣り繰りも出来るなんて、アウラさんはすごいなって」


「えへへ。褒めても何もでませんよ~。それはそうと丁度良かったです。はい、これ。シンルーさんのお小遣いです」


「あ、ありが──っとぉ!? いやいや、何を出してるんですか!?」


 褒めたら現金出てきた。それなんてホストクラブ? そんなハイレベルなお世辞を言ったつもりはないし本心だったんだが。


 そもそもお小遣いってなに。俺はアウラさんの家族でもヒモでもないのだが。


 差し出される数枚の紙幣を押し返すと、アウラさんは不思議そうな顔をして首をかしげる。


「だってシンルーさんお金持ってないでしょう? 無いと不便ですよ」


「確かに持ってないけど……受け取れない。まだ返す当てもないのに」


「当てなんて、生きてればそのうち出来ますよ。だから受け取ってください」


 眩しいくらい前向きな意見だ……。確かに俺の素性が分かれば返す目処は立つけど。


「でも……」


 記憶の混濁した怪しい男に現金を渡してしまうのは防犯意識が低すぎやしないか。そして俺もそれを受け取ってしまうのはいかがなものか。


 助かるのは本当だけど、それでなくても寝床の世話をしてもらっているのだ。これ以上二人に迷惑をかけるのは気が引けてしまう。


 そうやって固辞しつづける俺に何を思ったのか、アウラさんは慈悲深く笑んで、ケルティスを指差した。


「いくら兄さんでも、同じ建物で暮らしてる相手が日に日に痩せ細っていくのを見る趣味はないですから」


「シンルーてめえ、オレをどんな目で見てんだコラァ」


「俺何も言ってないけど!?」


 ケルティスが、アウラさんから受けったお金を持った手で、俺の胸を軽く叩く。


「貰うのが嫌なら貸しってことでいいだろ? 出世払いってやつだよ。……てかアウラ、これオレのより多くねぇ?」


「えーごめん。桁を間違えたかも?」


「現金で桁もクソもあるか。もっと上手い言い訳考えとけよ」


 また二人は言い合いに戻ってしまう。

 落とさないようにと押さえた紙幣は、今も俺の手の中にある。なのに話をそらしてしまったのは、意固地になるなという気遣いか。


 お金をしっかり握りしめて、俺は頭を下げる。ありがとうと、溢れるほどの感謝を込めて言うと、兄妹が会話を止めて、ニッと笑う気配がした。




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