疑いは知の始まり


 モナドノック先生の愉快な注釈挟まる絶妙な喋りで、俺はなんとなく、今の時代の現状を理解した。


 人類はAI戦争時に電気文明を捨てた。とはいえ今さら狩猟民族や農耕民族には戻れない。なので今は代わりに蒸気機関を使用しているという。


 この蒸気機関は、人類が科学の知識を深めた分、過去のそれより幾分か洗練された造りであるという。詳しく訊いたらマニア特有の難しい話に入りそうなので、俺は先生の説明を笑ってやり過ごした。


 今さらそんな古めかしい技術で人の世を支えていけるのかと疑問に思うが、戦争以来人口が横這いのままの人類には、意外にもそれでエネルギー効率は十分なのだという。


 先生の説明はそれで終わりだった。おかげで、自分の中の認識と現実のギャップを擦り合わせることができた。やはり知識のある人の説明は分かりやすくて良い。


 しかし俺は先生の話の中で、一つだけに落ちないことがあった。


「おや、納得してない顔をしてるねぇ。疑問や疑いを持つことは人生において大いに役立つ。ほぉれ、言ってみなさい。他人の疑問は研究にも役立つからねぇ」


 何かを察したらしい先生がニマニマしながらほれほれと俺の言葉を促す。彼があまりに軽く言うので、つい俺も深く考えるよりも先に言葉が口をついてしまった。


「母が……いえ、俺の記憶の中で母とされてる人は、AI──人工知能の開発者だったんです。だから俺は他人よりはAIに詳しいっていうか、情報を多く持ってます。だから言えるんです。人間の思考をプログラムで再現するなんて不可能だって」


 人工知能──AIとは生物ではない。機械である以上はコンピューターの延長線上にあるはずだ。


 そして、コンピューターは基本、数学しかできない。より正確に言うなら計算、すなわち「加法足し算」「乗法かけ算」「減法引き算」「除法割り算」の四則演算だ。


 そのコンピューターが人間の思考を完璧に再現できるかというと、そんなの論理的に不可能だ。


 なぜなら人間の思考は単純な計算では証明することができないから。人間の知能を全て計算式で再現することができなければ、完璧な人工知能は生まれない。


 ならどうやれば人間と同じレベルの思考能力と柔軟性を持つAIを産み出せるか。


 それは、偶然に任せるしかないというのが、僕の記憶にある時代の最終的な結論だった。


 機械を適当に弄ってたら、原理は分からないけど人工知能が生まれてしまう。それを分析することで人工知能を再現し量産するという方式だ。


 それこそが一般人の思い描くシンギュラリティの正体だったりする。


 そんなものは空想だ。空想の生物であるドラゴンの生き残りを見つけるより確率が低いだろう。この世が正しく、俺の記憶の延長線上にある時代だというのなら、アンドロイドの存在はやはり異物だ。


 だから俺には、モナドノック先生の語る歴史が、空虚な夢物語にしか聴こえなかった。


 そうたどたどしく説明する俺に先生は、


「そいつはごもっともな事だねぇ。私も原理など知らない。なぁんせ、戦争の時に当時発表されてた書物や論文のデータは全て失われてる。アンドロイド生成技術は今やアンドロイドの専売特許さぁ。だからのこされた後世の私達はこう想像するしかない。つまり、その偶然とシンギュラリティが起きたから、人とアンドロイドは争ったのだとねぇ」


 冗談のように口にしながら、眼鏡の奥の瞳は笑っていない。


「それに、なぁにもアンドロイドが搭載してるAIが完璧とは誰も言ってない。あれはあれで機械らしく、幾つか制限を受けてるからねぇ」


「ロボット三原則みたいなのですか?」


「あぁ? 違う違う。それってあれだろぅ? 人間に危害を加えないとかいう。そんなん理想さ。アンドロイドは一時期軍事利用もされてたから、そんな原則早めにポイッだったらしいよぉ」


「そっ、そうですか……」


 知ったかぶって発言して恥をかいてしまった。顔から火が出るほど恥ずかしい。やっぱり、調子に乗るとろくなことがない。


 思わず言い訳を並べたくなるのをなんとか我慢していると、先生は眼鏡を持ち上げ裸眼で俺を見つめてくる。


「アンドロイドの特徴はぁそうだね、例えばぁ、シンルー君、アウラのことは好きかい?」


「えっ?」


「アウラは可愛いだろぉ? 気が利くし可愛いしボケてるのも可愛い。怒ってふくれた顔なんか最高だ」


「やっ、あの、良い子だとは思いますよ?」


 否定するのも失礼な気がしてつい誤魔化すと、彼はニヤリと意地悪く笑った。


「つまりはそぉういうことだ。答え難い質問に対して論点をすり替える。それは誰にとっても当たり前で、自然な反応だぁ。AIにもそれはできる」


 左手で丸を作り、今度は両手を重ねてバツを作った。


「対して、アンドロイドは答えがYESである問いに、NOと答えることができない。その逆もしかりだぁ。だから相手がアンドロイドか人間か知る一番手っ取り早い方法は、有無を言わさず質問してしまうことなのさぁ」


 丸とバツを交互に作る腕を見ていると、俺の頭に浮かぶ言葉があった。


「──お前は人間か」

「おっ、その通りぃ」


 だからケルティスは、この問いの後に警戒を解いたのか。俺が人間だから。アンドロイドじゃないから。だから彼は、あの時彼にとって唯一人間だと確認できた俺に協力を要請したのだ。


 なぜアンドロイドが嘘をつけないようプログラムされているのか。詳しいことは分かっていない。


 先生は「まっ、そこは当時のプログラマーに訊かない限り今の技術じゃ解明できない謎だねぇ」と笑うだけだった。


「『Are you human?』アンドロイドはその問いにYES と答えることができない。なにせ彼らは自分達が人間でないことを知っているからねえ。まぁ、実際にそんな質問しちゃうと大問題だよぉ。今の時代、人間をアンドロイド扱いするのは最上級の人権侵害に当たる。名誉毀損で訴えられたら確実に負けるからねぇ」


「ケルティスさんと初めて会ったとき、この質問をされましたが」


「…………へぇ。いやぁ、あの小僧にはまだまだ教育が必要だねぇ?」


 数秒の間を置いて再び顔を上げた先生は、瞳の奥に怒りの色を漂わせていた。すごく恐い。失言だったかもしれない。


 ごめんな、ケルティス。強く生きてくれ。







「お時間をとらせてしまい申し訳ありませんでした。お礼は必ず」


 その後も結局二時間ほど居座ってしまった。深々と頭を下げる俺に、先生はからからと笑って近所のおばさんみたいに手を振る。


「いよいよ、誰かと話すのは好きだからねぇ。礼儀正しい子ならなおさらさぁ。そうそう、いい子には一つ忠告しておこうねぇ」


 先生の手が両肩に乗っかる。強く掴まれ身動きができない俺の耳元に、先生は囁いた。


「君がバグだということは、できるだけ他人に悟られないようにしたほうがいいよぉ」


 どういうことかと問い返そうとして、先生の指が俺の首筋をなぞった。それは丁度、ケルティスに教えられた管理番号が刺青しせいされた位置だった。


「私の所に来た労働者のバグ男。その後も周りに馴染めなくて、結局悪魔憑きとか噂されるようになってさぁ。耐えきれなくて自殺しちゃったんだよねぇ」


 低い声音に鳥肌が立つ。すぐに離れてしまったモナドノック先生の顔はやはり笑顔で、今の言葉の内容と合わせて、どうしてか不気味に見えて仕方がなかった。


 身震いしながら外へ通じる扉に手をかける。忠告は肝に銘じておこう。


 ドアノブをゆっくり下ろしたその時、扉の向こうで爆音が鳴った。


 何事かと先生と顔を見合わせて外に出る。すると二つか三つ先の通りから、明らかに工場のものではない黒煙が上がっているのが見えた。



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