人間は生まれながらにして知らんことを欲す


 途中までアウラさんたちに送ってもらい、最後の一本道を一人で進む。初めて知ったが、馴染みない町並みを、知らない場所目指して歩くのは存外怖い。


 目的地を通りすぎてしまってはいないか何度も振り返ってしまう。


 七回目の地図確認の末、俺はスマイルスさんに教えられた目印を見つけた。


 風見鶏の代わりに芋虫に食い荒らされたリンゴがついてる黒いポスト。風が吹くたびリンゴが回るが、二つの円を合わせた十字の形なのでどこが風上か判別できない。


 これ、なんのために付けているのだろうか。いぶかしみながらも、俺はその診療所の扉を叩いた。


「失礼しまーす……」


 居るはずの住人に届くくらいの声量を出しつつ中を覗く。


 ここは町の診療所なのだと紹介を受けた。なんでもここの医者はケルティスの勉強の師であるらしい。


 半身滑り込ませて人を探す。学校の保健室みたいな造りだ。窓際に診療のためのデスクがあり、奥には衝立で仕切られたベッドが二つ置いてある。


 今は患者もいないらしく、診療所は時の止まったような静寂に満たされていた。人の姿も見えない。留守なのだろうか。


 扉を開けっぱなしにしておくのも気が引けて、とりあえず中に入ってみる。すると、奥でどたばたと音が聴こえてきた。その音はどんどん近付いてくる。


 音は壁の裏側にまで到達し、そこで跳ねた。床に大きな荷物を滑らせる振動と共に、彼は姿を表す。


「ややややっ! 誰だぁ何者だぁいっ? 怪我人ならばそこの椅子へ。知識者ならば奥の応接間で議論を闘わせてぎったんぎったんにしてやるのもやぶさかじゃぁないねぇ」


 床に倒れたポーズで隣の部屋から黒髪の成人男性が滑ってくる。


 ──なんか濃いの出てきたんですが……。


(…………はっ。意識飛んでた)


 危ない。一瞬呆気にとられてしまった。たぶんこの人がここの医者なのだろう、白衣着てるし。言動はアレだが頭も良いに違いない、眼鏡かけてるし。


「あのっ、スマイルスさんからご紹介に預かりました。ここに来れば知りたいことを教えてくれると……」


 寝転がった男性の前に膝をつき、預かってきたメモを渡す。彼はそれを横向きのまま受け取り、ズレた眼鏡を押さえて目を通した。


「へぇ、ニアの奴から。珍しいなぁ、人を送ってよこすのはケルティス以来だ。そこに座りたまえぃ」


 男性はようやく立ち上がる。そうすると印象よりも背が高い。今の俺の身長がいくつかは分からないが、この男は百九十くらいはありそうだ。顔は鼻が低くて東洋系なのにがっしりした体型だった。


 言われるままに腰を下ろし、彼は俺の対面の椅子に座る。白衣も相まって診察を受けてる気分だ。聴診器がないのがおしい。


 俺が落ち着きないのに気づいて、男性は自己紹介を始めた。


「私はレグール・モナドノック。本業は学者だがぁ、暇潰しに町医者をしている。ちなみにニアとは乳児期からの付き合いだぁ」


 明るいピンクに塗られた眼鏡の縁を持ち上げながら笑う。それが癖なのか、彼の語尾は時々間延びする部分がある。


 俺は彼をモナドノック先生と呼ぶことにした。モナドノック先生は机に肘をつき、逆の手を俺に向ける。


「ふっむ。まずは君の事情を聞かせてくれないかなぁシンルー君。話はそこからだ」






 こういうタイプの人に隠し事をしても良いことはない。俺は自分の中にある記憶のことや、この町に見覚えがないことを包み隠さず話した。


「なーるほろねぇ……」


 眼鏡のつるを押さえてモナドノック先生は宙を睨む。口調は冗談めいていたが、先生の瞳は真剣そのものだ。……と、いきなりニヤリと笑ってウインクを炸裂させた。


「そだね、ただ教えるんじゃぁ面白くない。余興代わりに、君が最も疑問に思っていることを当ててみせよう!」


 びしぃっ! と両の手で俺を指差す。別に面白さは欲していないけど……。先生は差した指を頭の上に持っていき、ムムムっと電波でも受信するようにうめきだす。


 人差し指がくるくる動き、やがて二本がピタッとくっついた。


「君の疑問は『ここは未来の世界のはずだ。けれどこの時代には電気の明かりがどこにも見えない、明らかに文明技術は衰退している。それなのにどうして、アンドロイドなんていう科学の到達点みたいなものが存在しているのだろう』、でしょぉ?」


「なっ……!」


 あまりに正確な指摘に、まるで心を読まれたみたいでドキリとする。そしてなんですかそのどや顔は。ちょっと腹立たしいですよ。


「なんでそれを……」


 俺は恐怖すら感じておののいてしまう。先生は意地悪く笑ってあっさり種明かしをしてくれた。


「あっ、別に予知とか読心とかいう非科学的なもんじゃないよぉ? 簡単なことでねぇ。単純に、私が他の記憶喪失者とも会ってるってだけ」


「────! 他にもいるって本当だったんですね」


「そ。確認できてるのはぁ、この四年間で君含め十三人だ。彼らは現代に関する知識を失った代わりに、学者くらいしか知らないはずの過去の知識を持っている。ちくはぐなその存在を私達は便宜上『バグ』と呼んでいるけどねぇ」


「『バグ』……」


 まるで機械みたいな扱いだ。赤レンガの町並みには似合わない。

 それだけバグである俺たちは異質で異常なものなのだろうと、そう思えてしまうのが悲しかった。


 先生は気落ちした俺を気遣う素振りもなく、楽しそうに自分の話を続けている。


「いっそ君や彼らが過去からタイムスリップしてきたってんなら話は早いんだけどねぇ。残念ながら彼らは皆、数日前まで現代の人間として普通に働いてた。だから、彼らに宿る過去の記憶は偽物だって分かるんだよねぇ。それはそれで興味深いけど。そもそも過去の人間の首筋に無粋な管理番号が振られてるわけないし。夢もロマンもあったもんじゃぁない」


 現象につい理屈をつけたくなるのは学者の悪い癖だよぉ、と先生は肩を落とす。


 気持ちは分かる。俺も奇跡やら必然やらをただの偶然にしか思えないタイプだ。そういうのを純粋に楽しんで喜べる人種が羨ましくなるときもある。モナドノック先生に親近感が湧いてしまった。


 先生は顔をぱっと上げるともう気分を切り替えたらしい。口の端をによによ歪めた彼特有の笑みに戻っていた。


「ま、それはさておきだねぇ、君の疑問に答えるには、世界の歴史ってものをほじくり返さないといけない。お付き合い頂ける時間はあるかな?」


 眼鏡を持ち上げる先生に、俺は黙って頷いた。彼はしたりと口角をつり上げ、両の指を合わせる。


「よろしい。私はケルティスと違って順に話す大切さを知っている。だから遡るのは君の知識に合わせて、今から百四十年くらい前までにして、そこから始めよう」


 こうして、レグール・モナドノック先生は俺に世界の真相というものを語り始めた。



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