知覚することは、苦しむことだ
「お前、ここに来るまでなんか様子が変だったろ。やたら周りをキョロキョロ見てるし、アンドロイドを知らねぇし。さすがに田舎者ってのにも限度がある。事情があるなら話してみろよ。なんなら報償は相談料でってんならこっちも楽なんだがな」
ケルティスは苦々しい顔つきで、頬を掻きながらそう提案してきた。
正直に言うと、人を頼るのには抵抗があった。自分なんかのことで他人の手を煩わせるのが申し訳なかったからだ。
それに、相談というのは大抵、益のある助言を得ることを目的とせず、躊躇いがちな背中を押して欲しくてするものだ。今の俺とは事情が違う。
けれど見当もつかないのは事実。心配してくれているのを無下にするのも失礼だ。
それに、彼が報償の話をしてくれたのが大きかった。お金や物を貰うより話を聴いてもらうほうが、相手の負担にはならないと思えたから。
なので俺は、先に湧いてくる頼ることへの罪悪感をなんとか堪えて話を切り出すことにした。
「……ここは、どこですか」
「何言ってんだ?」
「冗談じゃないんです。俺はこんな場所知らない。あんな人間みたいに動くアンドロイドも見たことない。俺が居たのはもっと──」
勢いのまま言おうとして、なぜか言葉が浮かばなかった。あれ? もっと……もっとって、何がだ? 俺は何が言いたいんだ?
まとまらない思考に困惑していると、ケルティスが組んだ指の間から真剣な眼差しで俺を見つめてくる。
「なぁお前、自分の名前言えるか?」
「そりゃ、俺は……えっと、……し…………る?」
当たり前に浮かぶはずの文字が頭に浮かんでこない。音だってさっきまで確かに捉えていたはずなのに、言語化しようとすると端から零れてもう思い出せなくなっていた。
自分の名前だけじゃない。故郷の光景も、母親の顔も映像としては思い出せる。けれど、具体的な名称が、輪郭が、全く出てこなくなっていた。
なんなんだ? 俺の脳みそはどうしてしまったっていうんだ?
予想外の出来事に頭がうまく回らない。パニックが息苦しさを呼び、足りない酸素のせいでさらに心臓が速くなる。様々な思考の欠片は単語として浮かぶだけで、どうにも深く考えることができなかった。
なんとか自分を落ち着かせようとする俺を尻目に、ケルティスは難しい顔つきで何か考え込んでいる。
彼の様子はさっきまでの乱雑な印象から打って変わって、深淵を覗く学者のようであった。
思考を終えたケルティスが、人差し指で机をコツコツ叩く。
「ここはグレートブリテン王国の首都、ロンドンの端っこだ」
「あれっ、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国じゃないんですか?」
グレートブリテンと名のつく国の正式名称は確かそうだったはずだが。
「そりゃ昔の話だ。ブリテン以外は五十年前のAI戦争でどさくさに紛れて独立しただろうが」
またしても聞き覚えのない出来事に、俺はまた頭を抱えた。五十年前なら俺は生まれてすらいない。けれど、そんな歴史を習った覚えはなかった。
助けを求めるようにケルティスへ視線を向けると、彼はため息なのか深呼吸なのか判然としない吐息をもらして、今度は俺を指差す。
「たぶんお前の記憶は欠落してる。お前の他にもな、ここ数年、たまに見つかるんだ。記憶がない、自分の名前も思い出せない。なのに自分はここじゃない別のどこかに居たんだって主張する奴。……それはお前の本当の記憶じゃない。医者の見解は記憶喪失に意識の混濁。言っちまえばそれだけだが……。そうか、お前もか」
記憶喪失……。その言葉は俺に衝撃を与えた。本当の記憶じゃない? こんなにも、手に取るように自分の人生をつまびらかにすることができるというのに?
しかし衝撃が和らぐにつれ、俺の心には納得がいきつつあった。確かに思い出せる記憶は全て、自分の名前と同じように曖昧で、確固たる核が無く、ぼんやりしている。
簡単に言ってしまえば、遠すぎて現実味がない。だから改めて偽物の記憶と言われても、思ったほどの拒絶感はなかった。
己の心の動きに呆然とする俺に、ケルティスが席を立って適当な紙を差し出した。
「監理局に知り合いがいる。お前の管理番号はこっちで──って、そういうのも忘れてんのか」
しまったなと頭を掻いて、ケルティスは紙を引っ込めた。万年筆の蓋を指先で転がして、俺の後ろに回る。
「人間はみんな、生まれたときに管理番号を与えられる。アンドロイドと区別できるようにな。刻印は首の後ろ、その付け根辺りだ」
ケルティスは俺の後ろ髪をかき上げ、首筋を指でなぞった。そのまましばらく動きを止める。俺の首筋を見ながら何かメモを取っているようだった。
メモを書き終わったケルティスは対面まで戻るのが面倒になったのか、俺の横に腰を下ろす。なぜか肩に手を回される。中学生の頃、先輩から一度だけカツアゲされた時のことを思い出してちょっと怖かった。
「政府の役所が番号と照らし合わせて個人情報を管理してっから、それでお前の素性がわかる。ただ申請に数日かかるから、それまではここに居るといい。この上は事務所の貸家でな。部屋は空きまくってるから遠慮すんな」
「い、いえ。さすがにそんなご迷惑でしょうし」
いきなりの申し出に、俺は恐縮してしまう。行き場の無いのは確かだが、こんな何の役にも立たない穀潰しを置いておいても、招き猫の代わりは勤まらないと思います。
そうやって肩を縮める俺の背中を、ケルティスはばしばし叩いてくる。
「いやな、お前が見つけたあのアンドロイド。あれ何回も逃がしてる奴だったんだよ。今回は本当に助かったんだ。どうせ行く当て無いだろ? これで貸し借り無しってことで、好意を受け取ってくれよシンルー」
「はっ、あの、シンルーって?」
「お前が言いかけただろ? 呼び名がないと不便だからな。本名が分かるまではシンルーでいいだろ」
ケルティスは適当にそう言って、ニカっと笑った。
事務所の二階にはリギザムス兄妹が住んでいるらしい。三階は現在無人で、物置小屋と化しているという。
「ごめんなさい、兄が強引で。あれでもいろいろ考えて喋ってるんです。それを説明し忘れるだけで」
「あっ、いえ。お心遣いは伝わってますから」
妹さん改めアウラさんに部屋へ案内してもらう。階段を昇るとすぐ扉が二つ並んでいた。アウラさんが右側のドアを開けたので、その後に付いていく。
「なら良かったです。というよりシンルーさん。たぶん私のが年下なんですから、そんな
「そうですか? でもそれを言うなら俺のほうこそ、記憶も名前も曖昧で、積み重ねた時間や経験という意味ならアウラさんよりよっぽど薄っぺらいから。俺なんかに敬語使わなくていいよ」
部屋は埃っぽかった。アウラさんが小さな机にランプを置き、窓を開ける。どこか煙の薫りがする新しい空気が部屋に入ってきた。
俺はその横に立って彼女を見下ろしてみる。
アウラさんは線が細く、体の凹凸がはっきりしていた。
最初は変な人だと思ったが、こうして見ると思いの外しっかりしていて話しやすい女性だ。
アウラさんは簡単な身支度を整えてくれながら、俺の言葉に小首を傾げる。
「でもなんでしょう。やっぱりシンルーさんのほうが年上なイメージが……。うーん? なんでだろ、老けてるわけではないのに…………。あっ、そうか! シンルーさん、童顔なのに目が埃被ったビー玉みたいだから、年上に感じるんだ!」
「へ……そっ、そうか~」
なんだか胸の辺りが辛くなって、話題を変えることにした。
「そういえば、ケルティスさんがやってるのって危険な仕事だよね。アウラさんも同じ仕事してるんですか?」
俺はさっきケルティスが倒したアンドロイドを思い出していた。血走った目でナイフを振り回す男の顔。その恐ろしい形相は夢に出そうなほど印象深い。
やはり、こんなふわふわした女性が危険な業務についているのは、どうにも心配だった。
しかしアウラさんは控えめに笑って、首を横に振る。
「いえ、私はほとんど事務員です。兄さんのオマケで働かせてもらってて。私たち兄妹は進んでこの仕事に就いたんですよ」
「それって……何か事情が?」
「私たちは両親を殺されたんです、アンドロイドに。だからどれだけ危険でも、この仕事を辞める気はありません」
彼女の語る事情の重さに、俺は二の句が継げなかった。そうしている間にもアウラさんは支度を終える。
それじゃあ何かあったら呼んでください。彼女はそう言って、ドアの向こうに消えてしまった。
「…………やってしまった」
俺は調子に乗って聞きすぎたのだ。俺の質問は十中八九、彼女に嫌なことを思い出させてしまっただろう。
いっそ俺なんか喋らなければいいのにという後悔が、また俺の心に穴を開けていった。
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