誤謬を犯すは人間の性なり


 わけも分からないまま、礼をしてやると言うケルティスに連れられて夜の町を進む。


 曲がり角で帽子を深く被った男達とすれ違いながら、俺は徐々に確信へと変わっていく予感に胸を押さえていた。


 町を観察して分かったのだが、ずっと電球の明かりだと思っていたものには、実際に火が灯っている正真正銘のガス灯だった。だからあんなにも明かりが弱いのだと納得する。


 そんなとっくの昔に淘汰とうたされた古い技術をどうして使っているのか。もし、使わざるを得ない理由があり、それしか使えない事情があるのだとすれば、ここはやはり、俺の常識からは大きく外れた空間ということになる。


 正直に言えば事態の把握どころか場の基礎知識さえない状態に不安を覚えている。初めて入るカフェで作法が分からず右往左往するあの感覚に近い。とにかく逃げ出したい。それが本音だった。


 けれど今の俺には、ケルティスしか頼る人間がいない。自分から人に声を掛ける度胸などない俺は、強引に俺を引っ張って行く青年に甘えて、思考を止めて足だけを動かしていた。


 石造りばかりでどこも同じに見えてくる道をぐるぐる進み、やがてケルティスは一棟の建物の扉を開ける。


 一戸建ての棟を真ん中で半分に割ったような細長い様相で、三階建てに数戸が入った造りのようだ。戸口が狭い代わりに奥行きがある。灯りのついているのは一階の広い事務所風の部屋だけで、上の階には人気がない。


「アウラ、帰ったぞ」

「あっ、兄さんお帰り」


 中に居たのは、二十代の前半くらいか、ケルティスと同じ紅髪碧眼の女性だった。髪を肩口よりも短く切り揃えているせいか、女性というよりも活発な少女と言ったほうがしっくりくる容姿だ。


 どうやらケルティスの妹のようである。家系なのか睫毛まつげが長いのは同じだが、瞳の大きな彼女は細目のケルティスとは違い、それがいやに似合っていた。


「そっちの人は依頼人? あいにく所長はさっき帰っちゃったよ?」


 机の整理をしていたのか、妹さんは手元の書類をまとめながら嘆息した。それをケルティスは唇を尖らせて否定する。


「ちげーよ、オレの客だよ」

「まさかお友達?」

「だから、それもちげー」

「だよねー! 兄さん私と違って友達いるわけないしね」

「うるせぇ。コイツ喉乾いてるだろうし、コーヒーでも淹れてやれ」

「りょーかい」


 身内らしい軽いやりとりを終え、妹さんが隣の部屋に向かう。俺の前を通るとき微笑んで控えめにお辞儀をしていった。


 その仕草は俺に、彼女は礼儀正しい子なのだという印象を与えるに十分だった。


 事務所の右手側には数個の事務机が並び、衝立ついたてを挟んで残りは、こうして客を通す応接用の空間がある。


 俺は促されるままソファに腰かけた。ケルティスは机を挟んで対面へ座る。


 外と同じく光源の弱いランプに照らされた薄暗い部屋に俺が恐縮していると、アウラと呼ばれた女性が、にこやかにお盆を運んで来てくれた。


「はいどうぞ。ごゆっくり」

「どうも、ありがとうございます」


 俺とケルティスの前にコップをそれぞれ置いていく。俺は喉の渇きを潤そうと、その取っ手に指をかける。


 しかし触れて気づく。肝心の中身が入っていない。


(空っ!?)


 何これどういうこと? 嫌がらせですか。遠回しに帰れと言われてるのか。それともお前みたいな空き缶人間のためにわざわざ挽く豆はねぇかすみでも飲んでろってことでしょうか。


「今コーヒー淹れますね」


 しかし女性は悪意の無い笑みでまた裏に戻っていく。そして黒い液体が半分ほど入ったコーヒーサーバーを持ってきた。


 ……え、淹れてからコップ持ってくればよかったのでは?


 ケルティスも同じ疑問を抱いたのだろう。眉の端をひきつらせて、コーヒーを注いでいる妹さんに質問する。


「アウラ、なんで先にコップ持ってきたんだ?」

「えっ? だって喉乾いてるなら、早く飲みたいかなって」


 いや、コップだけ渡されても。中身ないと飲めないけど。気持ちが先走ったというか、器を先に用意してみたということか。


「あの、妹さんって……」

「気にするな。いつもあんなんだ」


 またアウラさんが裏に消えてから小声で聞くと、ケルティスは眉間のしわを揉みながらため息をもらす。やっぱり……、妹さんはちょっと天然が入っているのかもしれなかった。


 ご厚意に甘えて熱いコーヒーを冷ましながらちびちびと飲む。妹さんのおかげで変な沈黙が続いている。なんとも居心地が悪い。


 俺と違って一息にコーヒーを飲み干したケルティスも、それは感じていたのだろう。コップを乱暴に置いて勢いよく切り出した。


「とにかく、報償うんぬんの前に一つ確かめておきたいことがあんだよ。……お前ってもしかして、何かわけありなのか?」


 それはまるで、俺の心を見透かしたような問いかけだった。




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