無学は闇である


「答えろ。お前は人間か」


 呆気にとられて言葉も出ない俺に、赤毛の男はもう一度同じ質問を繰り返した。詐称を決して許さないギラギラとした目付きに、俺は思わず愛想笑いを浮かべる。


「俺は、にっ、人間ですよ?」


 相手の警戒心を解くように、手のひらを広げて敵意のないことをアピールする。その動きが功を奏したのか、男の瞳から殺気が消えた。


「ちっ、そうか。悪かったな。──まぁいい。そうだお前、こんな所で寝てるんなら暇だろ? 暇だよな。ちょっと手伝えや」


 男は俺の襟首から手を離し、名案だと言いたげに片頬をシニカルにつり上げる。そして俺に向かって手を差し出してきた。


「オレはケルティスだ。ケルティス・リギザムス。役に立てばいくらか報償も出すからよ」


 その手を取って立ち上がり、俺は首をかしげる。


「はい? ケルティスさん? 手伝えって何を」


「オレの腕章が見えねぇのか? そういうことだ。はやくしろ」


「いや、ちょっと待ってくださいっ!」


 一方的に言って男は勝手に走っていってしまう。断る隙も、事情を聴く余裕もない。


 俺は何をすればいいのか全く分からないまま、もたつく足を必死に動かして男に着いていく。


 ケルティスは確かに、灰色のコートの左腕部分に腕章を着けていた。薄い紫の布地に交差する剣と鉄砲のような模様が刺繍されている。


 何かの所属を表す腕章なのだろうか。男の言い方からして、有名な組織かもしれなかったが、あいにく俺はそのマークに見覚えがない。


 ケルティスについて走りながら、俺はここが見覚えの無い場所だと改めて気づく。


 まるで目につく全てが石とレンガで出来ているようだった。ガス灯に似た弱い灯りが等間隔で並ぶ。それ以外の灯りはまず見えない。


 俺の見慣れた電光掲示板も、深夜に営業を開始するコンビニチェーンの光も存在しない。まるで数百年前から時を止めた英国の町並みを走っているようだ。


 遠くには、煙突から昇る煙にまかれた高い塔が見える。そこに据えられているのはアナログ時計だった。巨体な時計の針はここからでもなんとか見通せる。


 時刻は夜の九時らしい。すれ違う人が少ないのは、夜で明かりに乏しいせいだろうか。


 目に写る全てが、俺にとっては目新しい。親近感の湧かない町並みに、同郷とは思えない通行人たち。俺の故郷とは似ても似つかない。


 もしかするとここは、何かの撮影現場なのだろうか。俺はそこに迷い混んだのか、あるいはこの光景ごと夢なのかもしれない。男の言葉につい従ってしまったのも、どこか現実味がないせいだ。


 やがてケルティスは段差を登り、町並みから一つ高い橋に出た。ようやく追い付いた俺も息を切らせて男の隣に並ぶ。


 眼下に真っ直ぐ敷かれているのは、この辺りで一番の大通りといったところか。今まで何処にいたのか疑問が浮かぶ程度に人の往来が盛んだった。


「いいか、黄緑色の趣味悪いコート野郎を探せ。見つけたら声かけろ」


 丁度真下を通った馬車を眺めていると、ケルティスはぞんざいにそう言った。そうして真剣な眼差しで往来を観察し始める。質問を重ねるのがはばかられて、俺は仕方なく橋の反対側に回り、彼と同じように通り行く人々から黄緑色を探した。


 通りをぼちぼち歩いていく人々は、大抵が紺や黒のコートを羽織っている。黄緑は見当たらない。なんだか楽しくなって来てなお捜していくと、道の端っこでちらちら動く明るい彩飾を見つけた。


 黄緑色のコートを着た男が、辺りを注意深く見渡しながら人目を避けて通りを進んでいる。


「ケルティスさんっ、アレですか!?」


「おう? おっ、間違いない、アイツだ! よくやった!」


 駆け寄ってきて、俺が指差したほうを注視したケルティスが、そう喜声を上げて手すりから身を踊らせた。


「ちょっと!」


 つい手を伸ばしたが、ケルティスは四メートルはある高さをものともせず、下の石畳に着地する。黄緑男はまだそんなケルティスに気づいていない。ケルティスはそのまま接近するつもりらしい。


 まさか俺までここから飛び降りることなんかできない。慌てて下に通じる道を捜して俺は走った。





 俺が下の大通りまで出ると、事態はもう佳境に差し掛かっていた。


 人波が道の中心を囲んで溜まっている。人の隙間に身体を滑り込ませて最前列まで行くと、人垣ができている理由が分かった。


 相対するケルティスと黄緑男。黄緑男はナイフを片手に、若い女性を人質にしている。


 コートからはみ出たスカートから覗く女性の白い足が、恐怖に震えているのがここからでも分かった。


 黄緑男が顔を青ざめさせて、血走った目で叫ぶ。


「こっちに来るな! ちょっとでもこっちに来てみろ、この女を殺すぞ!」


 唾を散らしながら、ナイフを女性の首もとに突きつけた。女性が悲鳴を上げてさらに身体を縮み込ませる。


 男が後退りを始めた。そのまま逃げる気だ。力の弱い女性を脅して怯えさせるなんて、最低だ。ここまで来て、俺はようやく事態を察した。


 黄緑男はどこからかの逃走者で、ケルティスはそれを追っていたのだ。どちらに正義があるかは、この光景を見れば明らかだった。


 意を決した俺は黄緑男の横に回る。下手に手を出すと、ナイフが女性を傷つけるかもしれない。ケルティスが手をこまねいているのはそのせいだろう。


 だから俺は、男に大声で呼び掛けた。


「そこのお前! こっちだ! こっちに来い!」


 自分に向けられたらしき声に、男の意識が一瞬だけこっちへ向く。


 ケルティスはその隙を見逃さず、黄緑男に突撃して女性を引き剥がした。


(やった!)


 上手くいった。俺が柄にもなくそう確信して歓声を上げかけた、瞬間だった。


 湿った夜の空気が、銃声によって引き裂かれた。


「…………えっ」


 映像はスローモーションだった。大きな身体がゆっくり傾き、地面に倒れる。


 ケルティスの手に握られた拳銃からは、細い煙が立ち上っていた。


 ケルティスが撃った銃弾が、黄緑男の頭蓋骨を割ったのだ。


「なっ、なんで殺したんだ!」


 湧き上がった困惑が、半ば怒りに変わって喉から飛び出す。しかし当のケルティスは、訳が分からないというように頭を掻いていた。


「はあ? おいおいよく見ろ、血なんか出ちゃいない。こいつはアンドロイドだ」


「何を言って……」


 反論しようとして、その違和感に気づく。銃声に驚きを見せたはずの大衆が、ケルティスの言葉で散開していったのだ。


 人々は何事も無かったかのように、もとの通行人へと個性を没していく。


 その様子に俺はさらに当惑していた。なんでみんな、こんなに無関心なんだ? 人が一人死んだっていうのに。


 俺はもう一度倒れた男を見た。確かに血は流れない。いやむしろ、その粉砕された頭部からは、血管には見えない人工的な管がその姿をこぼれ見せていた。


 急に背筋をせり上がってきた寒気に息を呑む。そんな俺の肩を、ケルティスが軽く叩いた。


「まさかお前この腕章を知らなかったのか? どんだけ浅学なんだよ。さては、田舎から出てきたばっかだな」


 呆れたような笑いが俺の耳をつく。


 駄目だ、現状を受け止めきれない。だってこの黄緑男はさっきまで、それこそ人間らしく生きていたのに。


 頭が混乱している俺を置いてきぼりにして、ケルティスは続けた。


「この腕章はアンドロイドの駆除を国連から委託された処理部門が着けるもんだ。つまりよ」


 途切れた言葉に、俺は横のケルティスに目を向ける。彼は青い目をさらに細めて、にやりと笑った。


「オレはアンドロイドの天敵で、奴らにとっちゃ死神なのさ」


 その笑顔で俺は確信した。


 ここは、俺の常識から外れた世界に違いない。そして俺は、


 やっぱり調子にのって首を突っ込むとろくなことがない。だってほら、俺は今、後悔している。


 心が空っぽの空き缶人間は、でしゃばらずにいつも通り、大人しく現実から目を背けていればよかったのに、って。




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