第9話 おっぱい

 おっぱいを揉んだり揉まれたり、というのはわりと日常的だ。廊下で挨拶がわりに、放課後の教室でしゃべっている時に、クラス合宿で寝る前に、などなど。ふざけてノリで揉んだり揉まれたりすることもあれば、話をしながらなんとなく隣の子をモミモミなど、いろいろなパターンがある。


 なんで揉むのかというと、よくわからない。理由は人それぞれかもしれないけれど、大きくて、柔らかそうなものがあれば触ってみたいという本能だろうか。大きい子ほど揉まれやすい。いつも誰かしらにつつかれたり、下からポヨポヨさわられている。私もよく触らせてもらう。


 私の場合、大きくもなく小さくもなく中途半端なので、いつもいつもつつかれたりポヨポヨやられることはない。それでも後ろから抱きつかれて揉まれることは日常茶飯事。電車で痴漢にこういうことをやられるとゾッとして、誰にも言えず一日鬱になるのだが、友人にされるのは全く無感覚。ましてや朝痴漢にあった日に、学校に着いて朝一番で友達に揉まれたりすると、むしろ浄化された気分になる。だから誰かのおっぱいを揉むことは人助けになることもあるということではないか。


 おっぱいとは不思議だ。人はなぜそんなに他人のおっぱいを揉みたがるのだろうか。揉む人によって理由は様々だろう。わたしも揉みたいと思うからその気持ちはわかる。感情ではわかるが理性ではわからない。それでも誰かのおっぱいを揉むと、心が気持ちよくなるし、なんだか気分が優しくなる。ただ単にふわふわしたものを触りたいだけということかもしれない。反面、触らせてあげるときは、だいたいほとんど無感覚だ。


 ただ一人揉むのがうまいと評判の友人がいた。実際にこの子に揉まれると、いつもなんか体の奥がゾワっとする妙な感じがする。これが快感というやつなのかなんなのか名付けがわからないけれど、多分快感なのだろう。この子に揉まれると他の友人たちも「おい、やめろよー かんじるだろー」とか「ああん、いい」とエロ声だしたりとか、「わたしのもさわって!」とか、そんな反応で盛り上がり、大騒ぎになる。なんか揉み方が違うのだろう。でもどうやっているのだろう。自分で自分のおっぱいを揉んでみて研究してみたけれど、わからなかった。自分で揉んでも、どうやっても「きもちいい」という感覚は湧いてこない。ひょっとすると普通の人よりは上の部分を揉んでいるのかもという気がしたので、自分で触ってみたけれど、そこは普通に筋肉中心の部位だった。え?筋肉が気持よかったということか?そんなことって・・・


 そういえば、部活の合宿では揉んだり揉まれたりは一回もない。そういう雰囲気じゃないのかもしれない。部活は友達同士っていうのとちょっと違うからな。あと友達同士でもお風呂でナマおっぱいを揉んだりとかもなかったな。流石にそれはちょっとリアルすぎるという感じだったのかもしれない。ナマで揉むのは恋人同士限定ね、ということか。


 こうして我々女どもは、女のおっぱいを揉みまくり、女に揉まれまくって高校を過ごしたわけだが、それにしても高校時代、なんでこんなに揉んだり揉まれたりしたのだろう。大学生になってからも友達同士揉んだり揉まれたりはよくあるけれど、さすがに教室で友達をモミモミしながら世間話ということはない。少しは大人になったということかな。

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女子高生日記 岡玲南 @okareina

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