第2話 誰にも言えないままの怖かった体験
世には痴漢や性犯罪の被害にあって、苦しんでいる高校生はたくさんいる。そしてその多くの場合は、周りの人に打ち明けることさえできない。ひどい目にあった時ほど自分の中に留めざるを得ない。これは苦しいことだ。
わたしは、幸い電車でひどい痴漢被害にあったことはない。通学路線に長時間電車が混雑する区間がなかったのが幸いしたのかもしれない。それでも、それなりの痴漢にはたまに遭遇した。電車を降りる間際に後ろからお尻を揉んでくる。後ろから固くなった男性のものを押し当ててくる。揺れた拍子に胸を軽く触ってくる。そのくらいだ。そのくらいと言っても、とても嫌なことだった。男の人にアレルギーを持つようになってしまったのは、自分の場合、こういう経験が原因しているように感じている。でも、これくらいなら、まあ周りの人に打ち明けられるレベルだ。
ところがわたしにも一つ、いまだに人に打ち明けられていない性的被害経験がある。それはとても怖いことだった。しかもとても奇妙なことだった。
高校2年の一学期の期末試験が近づいた頃だった。夏の始まりの陽気だった。学校の帰り、新宿の駅の構内のある通路を歩いていた時、突然後ろから男が近づいてきて「いうことを聞け。」といってきた。訳が分からず振り向くと、帽子にマスク姿の男がピッタリとくっついて歩いている。そしてふと横を見ると、わたしの脇腹にタオルに包んだ大きなナイフを押し当てている。何が起きているのか分からなかった。なにしろ、人通りのかなり多い新宿の駅のある一角なのだ。冗談なのか本気なのかもよく分からない。でも男の様子からすると本気のようだ。その気迫が感じられた。
男は脅すように歩く先を命令してくる。ナイフを押し当てたまま。男に言われて、通路の物陰に連れて行かれた。驚くほど雑踏からは死角になっていて、たくさんの人がそばにいるのに、人々からは全く見えない一角だった。わたしはここでようやく恐怖を感じた。
男は「静かにいうことを聞け。行くことを聞けば何もしない。騒いだらこれだ。」といって、ナイフをわたしの首筋に強く押し当ててきた。この時のナイフ感触は今でも首筋に蘇ってくる。男はまず、制服のブラウスの前を開けるように命令してきた。ここで、わたしはこの男が強姦魔かもしれないという第二の恐怖を感じた。でもこんなところで?ためらっていると首筋のナイフのがより強く押し当てられてきた。わたしは震える手でブラウスのボタンを上から三つほど外した。次に男は、ブラジャーのホックを外せと要求してきた。わたしは手を後ろに回し、ブラウスの上から後ろのホックを外した。すると男はわたしのブラジャーの肩紐を引っ張りして、いつの間にか手にしていたハサミでその両方を切断し、わたしの胸からブラを強引に引き剥がした。あまりにも手際が良いので、手慣れた強姦魔にちがいない。そう思うと、生きた心地がしなかった。わたしから引き剥がしたブラジャーを、男は丁寧に自分のカバンにしまったのがみえた。
その次に男が要求してきたことは、下の下着を脱げ、ということだった。この時、恐怖は絶頂になった。ああ、もうだめだ。でも、逃げられないだろうか。大きな声を出せば誰かに聞こえるだろうか。でも、首筋のナイフは痛いほど押し当てられている。それにブラウスは前がはだけていてブラも取り去られている。こんな姿を誰かに見られるのは恥ずかしすぎる。まずは言われた通りに下着を脱いで、それから隙を見て逃げようか。でも、恐怖で足がガクガクしていて立つのがやっとだった。
わたしは言われた通りに、下着を脱ぐことにした。スカートに手を入れて下着を下ろした。下着を足から抜くために片足立ちになった時、男は後ろから突然わたしの制服のスカートを全て持ち上げて、今度はナイフをわたしの太ももに押し当ててきた。ああ、だめだ、これじゃあもう逃げられない。どうずればいいの。とガクガク震えていると、男はスマートフォンを取り出して、後から手を回して、下着をぬいでむき出しになったわたしの下半身の写真を撮り始めたではないか。こんなところでこんな風に、このまま性暴力を受けてしまうのだろうか。写真を撮っているのは後で私が告発しないように黙らせるためだろうか。
頭が真っ白になった。するとその男が、「おい、そのパンツよこせ」と言ってきたので、脱いだものを渡した。するとその男はそれをカバンにしまったと思うと、「じゃあな。ありがとうよ」というなり、あっという間に立ち去っていった。
え、なんだったんだろう。わたしはへたり込んでしまった。でも、こんな死角にいつまでも止まっていると危ない。制服のブラウスの前を閉めて駅の雑踏に戻った。恐怖で手足の感覚が戻らない。帰りの電車に乗ったあたりでようやく、自分が下着を上も下もつけていないことに改めて気づいた。下はまだしも、上は夏服の制服なので、下着をつけてないことがあからさまに目立ってしまう。下の下着だって、何かの拍子でスカートの中が見えてしまったら何も履いていないということがわかってしまうではないか。恥ずかしくて惨めで電車で座っていても、立っていても、歩いていても、さっきの恐怖と今の恥ずかしさで打ちのめされてしまいそうな感覚だった。下着をつけずに外を歩くことの恥辱がこんなにも強いものだということはこの時思い知った。スカートに入ってきた風が直接触れる。歩くたびにブラウスの中で揺れる胸が布とこすれあう。本当に惨めだった。
結局、あの男の目的はなんだったのだろうか。こうやって、女子高生を恐怖に陥れて、ついでに下着を奪い去って辱めることが目的だったのだろうか。あとで考えれば、いくら死角と言ってもあの場で強姦行為にまで及ぶのには無理があっただろう。でも、本当は強姦目的だったかもしれない。なにか不都合が起きて逃げただけだったのかもしれない。なんなのかは、わかるはずもないのだが、さらにこの体験がわたしを苦しめたのは、このことを誰にも話せないということだった。本当は警察に相談したり、親や友人に話すべきだったと思う。なにしろ下半身の裸の写真が撮られてしまってもいるのだ。でも、あまりにも奇妙な被害ゆえに、羞恥心が強く邪魔をして結局言えずじまいだった。
これは今でもわたしの記憶の中でわたしを強く支配している。恐怖の命令をする男の声、身体を拘束してナイフを押し付けてきた男の身体、男が放っていた男の体臭。わたしを支配しているこういう記憶が、わたしを男嫌いにしてしまったのかもしれないと感じている。もう、将来、男の人と普通に接することができなくなってしまったのではないかと。
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