第5話
広場に着き、わたしたちはベンチに並んで座った。すぐ横には松明が煌々と辺りを照らしている。
わたしはたこ焼きを一つ取り、口に運ぶ。中身がトロリとしたたこ焼きを望んでいたけれど、このたこ焼きは中までよく火が通って少し硬めだった。
「連藤さんもどうぞ。少し硬めですけど」
「ありがと」
連藤さんは感謝の言葉を言うと、たこ焼きの入った皿をわたしから受け取り、たこ焼きを一つ口に入れる。熱かったのか、口の中ではふはふとすると、やがて咀嚼し始めた。
「ほんとだ硬め。中トロの方が好みなんだけどな」
「わたしもです。ちょっと残念」
ふふ、と笑って連藤さんは皿をわたしに返した。
わたしたちの間に沈黙が流れた。口の中で噛まれるたこ焼きの音と、参拝客の不確かな声だけが聞こえていた。
ぼうっとして奥にそびえる竹を見る。その周りには家族連れや、男女のペアが目立つ。父親と思しき人が竹の枝を抑え、その隙に子どもが短冊をつけている。微笑ましい光景だった。
そういえば、連藤さんとここで会った時、彼女はひとりでいた。冷静に考えれば、参拝客は家族連れや恋人同士になる。もちろん、わたしのような例外も中にはあるかもしれないけれど、どちらかといえば珍しい。連れがいなかったということは、連藤さんもわたしと同じような理由でここに来たのだろうか。
わたしはチラリと連藤さんを盗み見る。すると連藤さんもこちらを見ていたのか、タイミング悪く目が合ってしまった。
あ、とふたりで声を漏らす。わたしは咄嗟に手元を見て、連藤さんにたこ焼きを進めた。
連藤さんもきまりが悪かったのか、食い気味にうなずいて、わたしからたこ焼き
を持っていった。
お互いに正面を見て、連藤さんはたこ焼きをほおばっている。なんとなく連藤さんの方を見られないでいた。
連藤さんが割り箸を皿に置いたのを視界の端に感じ取ったわたしは、
「もう一つどうぞ」とたこ焼きを勧めた。
「そう? じゃあお言葉に甘えて」
そう言うと、また割り箸を手に持った。
田井中さんはさ、と連藤さんは口にたこ焼きを含みながら、もごもごと話し始めた。もしかすると、何もしていない状態では話しづらかったのだろう。わたしにもその気持ちはよくわかる。
「今日、七夕さん来たのって、やっぱりそういうことなの?」
「そういうこと、ですか?」
「うん。ほら、ここって縁結びの神様が祀られてるでしょ。だから田井中さんの目
的もそれなのかなーって」
ああ。わたしは小さく声を出した。七夕さんに来る参拝客のほとんどが縁結びが目的で来ているだろうと推測できる。もちろん、他のことでお参りに来るのもおかしくはなしけれど、十中八九が縁結びを求めている。わたしだって今日はそのためにお参りに来ている。けれど、それを口にしてしまっていいのだろうかと考えてしまう。
わたしが想いを寄せているひとは今、自分の目の前にいる。安易に肯定したことで、その話を深く掘り下げられては対応に困ってしまう。
あまりいい気分ではないけれど、本当のことを言うには早すぎる。そう思って、こういう時のためにあらかじめ買って置いた、安全祈願のお守りを鞄から取り出した。
「安全祈願?」
予想通り、連藤さんは訝しげな表情になった。
「はい。わたしの親友――さっき連藤さんも会った、ナエって子の受け売りです。命あっての今、ですから」
「なるほどね」連藤さんは小さく笑った。
「菊裳さんっていいこと言うね。私も買ってこようかな」
「あ、それならわたしのを連藤さんにあげます」
わたしは安全祈願のお守りを連藤さんに差し出した。
「いいよ。自分で行って貰ってくるから」
「いえ、貰ってください」
「けど、それだと田井中さんのが……」
「わたしはいいんです。それに今日一緒にいてくれたので、そのお礼です」
どうぞ、とすっとお守りを前に向けると、連藤さんは静かにわたしの手からお守りを持っていってくれた。
「ありがとう。大切にするよ」
連藤さんはこちらに微笑みを向け、そのあと視線を安全祈願のお守りに移した。
わたしは、ふうっと安堵の息を吐き、連藤さんを見つめる。その顔は、松明のゆらゆらと動く灯りに照らされて、ほのかに赤みを帯びていた。ふと、参拝客の聞き取れない会話が耳に入ってくる。もしこの場が閑散としていたら、わたしはこの状況の中で冷静にいられなかったかもしれない。恥ずかしいし、緊張もするし、そのせいであわてふためいていたかもしれない。周りに人の目や、声があるのが今のわたしにはちょうど良く感じられた。
連藤さんは、ひとしきりお守りを見終わると、それを手に持ちながら太ももの間に挟んだ。連藤さんには、スキニーパンツがよく似合う。
「実はね、私は縁結びを目的で来たんだ」
突然発せられた言葉に、わたしは生唾を飲んだ。連藤さんの視線は下に落ち、地面のずっと奥を見通そうかとしているように思えた。
「田井中さんは口堅い方?」
わたしは咄嗟にうなずいた。
連藤さんは眉尻を下げると、片方の手に安全祈願のお守りを持たせ、空いた手で、自分の鞄の中身を探り始めた。ガサッと小さな音を立てて鞄から出てきたのは、連藤さんとここで初めて会った時に見たお守りの入った紙袋だった。
彼女はおもむろに紙袋を開くと、中からピンク色を基調としたお守りが顔を出した。それはわたしが安全祈願のお守りと一緒に買った、恋愛成就のお守りと同じものだった。
それを見た瞬間、ひゅ、っと空気が喉を通った。
「恋愛成就のお守り。ずっと昔――と言っても私たちからしたら大した昔じゃないんだけど、いつもは七夕さんって月遅れで開催されてるじゃない? その日、母と参拝に来ていたの、私。それで、たまたま母が昔の知り合いって人に会って、その知り合いの人にも子どもがいたんだけど、親同士で長話をしているもんだから私、その子を誘って笹の木を見に行ったの。今日みたいにビックリするほど大きな笹ではなかったんだけどね、当時の私にはとても大きく見えた。
せっかくだから短冊になにか書いていこうってことになって、私とその子は一緒になって短冊に願い事を書いたの。と言ってもなかなか願い事なんて思い浮かばなくて、私はその子になにかを書いて渡すことにしたのよ。なにを書いたのかは記憶がぼんやりしてて思い出せないんだけど――」
連藤さんは矢継ぎ早にそう言って、恋愛成就のお守りを持ったままの手でまた鞄の中身をあさり始めた。すぐに取り出されたそれは、さっきわたしがたこ焼きを買って戻ってきた時に、連藤さんが物憂げな表情で見つめていた短冊がしまってある水色のプラスチックケースだった。
連藤さんは慣れた手つきで短冊を取り出すと、これ、と言ってわたしに見せてきた。
松明の逆光で見えづらく、わたしは連藤さんに断ってその短冊を貸してもらい、その表面を目を凝らしてよく見た。
そこには少し擦れた鉛筆の字で、だいすき、とひらがなで書かれていた。丸みを帯びた筆跡は、直線が少しだけ歪んでいた。
短冊の左下を見ると、そこには名前らしき、「た い き」と文字が並んでいる。タイキという名前から察するに男性の名前であることが推測できた。
わたしは連藤さんに短冊を返すと、彼女はまた憂いのこもった瞳でそれを見つめていた。
短冊を見た瞬間、わたしの脳裏にある説が浮かんでいた。
わたしが持っている短冊と連藤さんが持っている短冊は非常に似ている。字の擦れ具合も、字の形がしっかりしていないのも、幼い子どもがそれを書いたことを暗示させた。内容も同じ、幸せの言葉。
もしかしたらと思い、わたしは自分が持っている短冊の左下に書かれた文字、名前と思しき文字を頭に思い浮かべた。「れ な」という言葉をある名前と当てはめる。
「れ」んどう「な」お。
その瞬間、わたしの胸が早鐘を打った。みるみるうちに、耳が、顔が、頭が熱くなっていく。
たまたま合っただけかもしれない。でもさすがに出来過ぎている。
わたしは連藤さんが持つ短冊に書かれた左下の名前を思い出し、同じ要領でわたしの名前を当てはめてみる。
「た」いなか「い」さ「き」。
ビリッと身体に電気が走るのを感じた。ほぼ間違いない。記憶は未だにはっきりしないけれど、九十九パーセント、その短冊が誰によって渡され、誰が渡したのかが明確になった気がした。
連藤さんがあの短冊を渡した人物だったんだ。
わたしはドキドキして彼女の顔を見た。けれど、すぐに視線を外してしまった。短冊のことを考えると、彼女を見ることできなくなった。
連藤さんはそんなわたしを尻目に、話を続けた。
「きっと同じような内容だったことは覚えてる。たかが子どものやったことかもしれないけど、私ね、その子に会ってみたいなって思ったの。思い立ったが吉日って感じでね、母に当時のことを訊いてみたんだけど覚えていないらしくて。でも諦めるにはまだ早いと思ってね、それでこうして七夕さんのお参りに来たんだよ。短冊とお守りを買ってね。おかしいでしょ、私」
いえ、と返事をすることは簡単だった。
「自分でもわかってるの。そんな昔のこと追ってる場合じゃないでしょ、って。けど、なんとなく折り合いがつかなくて、このままじゃ先に進めないんじゃないかって考えちゃって。そんな時に、大七夕祭りが開催されるでしょ? もうこれは私にその子と会え、って神様から言われているような気がして――田井中さんは大七夕祭りの伝説知ってる?」
「はい。本祭の一週間前に短冊に書いた願い事を夢に見ると、その願い事が必ず叶うっていうやつですね」
「そう。それを知ってた私はもうこれしかないって思ったよ。でも誰か誘って昔の子に思いを馳せてるんだ、っていうのもなんかキャラじゃないし。だからひとりで来ていたの」
連藤さんは物思いにふけるように短冊を見つめた。想いの詰まった短冊を白く細い指でなぞる。乾いた音がわたしの耳に届いた。
わたしが持ってきている鞄には短冊が入った日記帳がある。それを証拠として連藤さんに見せれば、わたしが連藤さんの言うその子であることをわかってもらえるかもしれない。しかしそれができない。理由なんて言う必要もない。確定したわけでもないし、その子がわたしであったとして、それを知った連藤さんがどういう反応を示すかわからない。もし拒絶でもされたら、わたしはどうなってしまうのだろう。
わたしが逡巡していると、隣で連藤さんは意を決したように、よしっ、と強めに声を出した。
「田井中さん、もしよければ私と一緒に本祭に行ってくれないかな?」
「え?」
思いもよらない誘いだった。
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