第4話



「お待たせしてすみません」


「ううん、大丈夫。それよりお守りは買えた?」


「はい」


 それならよかった、と連藤さんは言うと、何故かわたしから視線を外すことなく、細く整えられた眉を困ったように下げた。


 わたしは自分の顔に何かついていたのだろうかと不安になり、また顔が上気してくるのを感じたけれど、視線は連藤さんの長い睫毛に縁取られた切れ長の目を捉え続けた。


 あのさ、と連藤さんの唇が動き始める。わたしは生唾を飲んだ。


「どうして敬語?」


「え?」わたしは思わず訊き返してしまった。


「いや、いいんだけどね。なんか気になっちゃって」


 連藤さんは目を弧に細めて言った。上げられた彼女の右手は、自身のその艶やかな黒髪を上から下に撫でている。


「私たち同じ学年なんだし、敬語じゃなくてもいいんじゃないかなって思ってね」


「ああ、それは……」


 わたしは俯いた。たしかに敬語を使う必要はない。けれど、わたしにとって連藤さんは憧れのひと。そのひとが目の前にいて話しかけてくれていると、自然と敬語になってしまう。意識して砕けてみようとしても、それが逆に緊張を強めてしまい思うようにいかない。


 思い詰めているわたしを見て悪いことをしたと思ったのか、連藤さんは、ごめんごめん、と謝ってきた。


「ほとんど初対面で気さくにする方が難しいことよね。さっきのは気にしないで」


「違うんです」


 わたしは羽織っていたカーディガンの裾を握った。掌からうっすら汗が滲んでいるのがわかった。


 連藤さんは振り返ろうとする動きを途中で止めて、顔だけわたしの方に向けていた。


「なんて言うかその、わたしにとって連藤さんは……」


 顔が熱くなる。視線は連藤さんの足元で固まった。黒色を基調としたピンク色のラインが入っているスニーカーは連藤さんの雰囲気にピッタリと合っている。靴紐はきっちりと蝶々型に結ばれていた。


「私がなに?」


 連藤さんの声が聞こえてわたしははっとした。今何を言おうとしてた? なんか告白する直前のようだった気分だ。


「あ、あれ!」


 わたしはあわてて前方を指差した。つられて連藤さんが首を振る。


 わたしが指し示した方を探るように見ていた連藤さんは、こちらに視線を戻すと疑問の表情を浮かべた。


「笹の木! 笹の木の方に行きましょ」


 わたしは勢いに任せて言い切ると、連藤さんの返事を待たずに笹の木を目指して歩き出す。連藤さんは当惑しているようだったけれど、黙ったままわたしの後をついて来てくれていた。


 わたしは歩いている途中、内心ドキドキしていた。不自然なところで話を区切ったりしたから、絶対に変な奴だと思われてる。もしかしたら、その後言おうとした話を推測して勘づいてしまっているかもしれない。それが気にかかり、連藤さんの様子を見たくとも見れなかった。


 笹の木までは授与所からそれほど遠くなく、考え事をしているうちにいつの間にか着いていた。参道ではあまり気にしなかったが、笹の木がある広場までくると参

拝客の多さに驚いた。


 無数にある大きな杉に囲まれた広場は、三百メートルトラック程の広さがある。広場の中央には竹と呼ぶ方がふさわしい高さまで育った笹の木が、まるで始めからそこにあったかのように地面から天へと伸びている。その竹を囲うように松明が設置され、枝の下の方には五色の短冊が所狭しとつけられていた。松明の外側には本来の大きさの笹の木がいくつもあり、竹を中心として円を描き、それが何重にも立たされている。その光景は、綺麗に整えられた竹やぶにしか見えなかった。


 通常の七夕祭りはここまで手の込んだものではない。中央の竹ですら一回り小さいものを使っている。


 わたしはその光景に圧倒されて、何かに誘われるようにフワフワと中央の竹まで足を運んだ。


 松明の光が暗闇に慣れたわたしの瞳を強く刺激する。眼前の竹は、圧巻という言葉以外で表しようがなかった。


「すごいね。初めて見た」


 隣では連動さんが息を飲んでその光景を見つめていた。


 わたしは大きくうなずいて、はいと小さく言った。


「せっかくだから私もなにか書いていくことにする。こんなスゴイの、この先三十年は見られないんだし」


 連藤さんは、ほら、と言うが早いか、わたしの手を取ると、竹の下に設けられている会議用テーブルの方へ一直線に走っていく。その表情は幼い少年を思わせた。


 わたしは一瞬握られた手を意識したが、今は憧れのひとというのは気にならなかった。連藤さんのこんな姿を見れたのが新鮮なことで、他のことが頭に浮かび上がってこなかった。


 会議用テーブルの前で二人で並んで白い短冊を手にする。一緒に用意されていたマジックを連藤さんに渡し、わたしは少しだけ考えてササッと願い事を書いてしまう。それを竹の枝に縛りつけると、離れたところで連藤さんが書き終わるのを待った。


「早かったね。もう決まってた?」


 後から来た連藤さんは、少し驚いた様子でそう訊いてきた。


「はい。内容は秘密ですけど」


「それはお互い様だね。聞かないことにしよう」


 連藤さんはそう言って笑った。わたしもつられて笑顔になる。


 今日のことは菜依に感謝しなくてはいけない。多少強引だったところもあるけれど、付き添いで来てくれたこともあるし、こうして連藤さんと大七夕祭りで一緒にいられることは菜依の機転のおかげでもある。我ながらいい友人を持ったと思っていると、ふとある考えが浮かんだ。お参りの時にもそうしたけれど、同じ願いを短冊に書いても罰は当たらないだろう。


「連藤さん、ちょっと待っててもらってもいいですか?」


「ん? 別に構わないけど、どうしたの?」


「もうひとつお願い事が浮かんできたんです」


「なるほどね。田井中さんって結構よくばり?」


 連動さんは冗談ぽくそう言ってくるので、わたしは、


「かもしれません」と笑いながら言って、また会議用テーブルの方へ行った。



 短冊も飾り、特に目的もなくなったわたしたちは相談の末、少し屋台を見ていこうということになった。


 わたしと連藤さんの位置は先ほどと異なり、隣り合って歩いている。自分の憧れのひとがすぐ隣にいることが非日常的に感じて、わたしの視線は四方八方に落ち着きなく散らばった。たまに連藤さんの横顔が目に移り、その端整な顔を見ると急に耳が熱くなった。ジワリと額と掌に汗が滲み、わたしは何度か手の甲で軽く拭った。


「あ、わたあめだ。せっかくだし食べようか?」


 突然連藤さんが立ち止まり、わたしは驚いて肩を揺らした。その瞬間に手と手が触れあってしまい、わたしは無意識に身を引いてしまった。


 連藤さんを見ると、小首を傾げてわたしを見つめていた。


「そ、そうですね。食べましょう」


 わたしが咄嗟にそう言うと、連藤さんは満足そうに目を弧に細めて、わたしのぶんまで買いに行ってくれた。


 わたしは一人になった時間を心を落ち着けるために使った。さっきのはさすがにまずかった。もう少し冷静な態度で連藤さんと接しないと変な奴だと確定してしまう。それだけは阻止しなくては。


 わたしは深い呼吸を繰り返した。早鐘を打っていた心臓が徐々に普段の動きに変わってくるのがわかる。次に息を吐いた時に、連藤さんがわたがしを持ってわたしの側まで来ていた。


「どうした? 体調悪い?」


「いえ、大丈夫です」


 ある程度治まった鼓動を意識して、なるべく平静を装って答えた。


 連藤さんは、ならよかった、と言ってわたしにわたがしを渡してくれた。


「いくらでした、これ?」


 わたがしを一口食べた連藤さんは、口内で溶けていく砂糖の余韻を味わっているようで、少ししてからわたしの問いに答えてくれた。


「ううん、いいよお金なんて。私の奢り」


「でも、それじゃあ」


「こういう時は素直に貰っておくべきだよ」


 連藤さんは笑顔でそう言うと、また一口わたがしを口に含んだ。わたがしの甘さ

に笑顔がとろけてしまいそうで、これでもかというくらいに、その味に酔いしれて

いた。


「じゃあ、お言葉に甘えて」わたしは言ってわたがしを口に入れる。強烈な甘さが一瞬で口いっぱいに広がった。


 雲のように軽いわたがしはすぐになくなってしまった。連藤さんは割り箸についたわたがしの断片を名残惜しそうにペロッと舐めていた。


「次はなに食べようか?」


「わたし、たこ焼きが食べたいです」


「お、いいね。じゃあ一皿だけ買ってこようか」


「いえ、今度はわたしが買いに行きます――一皿でいいんですか?」


「うん。私の分はいいから」


「そうですか……。じゃあ、分けてあげますね」


 ちょっと待っててください、と言い残し、たこ焼きが売られる屋台を目指した。


 八個入りのたこ焼きを手にしたわたしは、連藤さんの元へ急いで向かった。待たせていては連藤さんに悪い。


 人込みをかき分け、連藤さんの姿を視界にとらえた。彼女は何かを手に持ち、それを憂いがこもった目で見ている。さっき買ったというお守りであろうか。連藤さんはまだわたしに気がつかない。


 ゆっくり近づいていくわたしは、連藤さんが手に持つそれをしっかりととらえた。それは白く、短冊のようなかたちをしていた。しかし結ぶための紐はなく、会議用テーブルに備えてあった短冊とは違うもののようだ。


 わたしはおそるおそるといった感じで、連藤さんを呼んだ。


 彼女はわたしの声に気がつくと、水色のプラスチックケースにそれを入れて、鞄の中にしまった。


「すみません、お待たせしてしまって」


「いいよ。それより立って食べると危ないね。どっか座れるところに移動しよう

か」


「それなら、さっきの広場に行きましょう。備え付けのベンチがいくつかあったと思いますから」


 そうだね、という連藤さんの返事を聞き、わたしたちは広場を目指した。


 連藤さんは特に焦った素振りは見せず、平然としたままだった。さっき手にしていた短冊のようなものが気になったが、今は見なかったことにした。


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