応援コメント

第18話 小説が読者に求めるハードル『教養』」への応援コメント

  • 小説には教養が必要。常々思うところでした。

    そのハードルは、漫画やアニメよりも高い場合が多いので、相対的に考えて小説は厳しいだろうなとは思っていました。

    小説を読まない、あるいは小説をなるべく気軽に読みたいと思う方々を振り向かせるものとして、‟頭を使いたくない読者”をメインターゲットとした小説、読みやすい小説は、現代のニーズに合っていると思います。

    ただ、そういう小説だからといって、難しい表現や長い文が全然ないというわけではないと思っています。

    いわゆる読みたい小説にも、程度の差があると思うので、読みたい小説を読んでいるうちに、教養が少しずつ身について、“頭を使う読者”をメインターゲットとした小説、便宜上あえて言いますが、読みにくい小説という物も、読めるようになっていくのでは? と思っています。
    楽観的かもしれませんがね。

    すると、前よりかはハードルが低くなって、いろんな小説を読めていくんじゃないかなとは思いました。

    なので、読みやすい小説と読みにくい小説は点と点で結べ、LINEノベルの回でもあったように、ユーザーにとっての読書を習慣化したいという導入を担う小説が、読みやすい小説であり、読みにくい小説と言われている物も読めるようになる。そういった未来を描いていると、読んでいて思いました。

    小説を読む幅が広がれば、読者が増え、様々な作品を読んでもらえる土壌を築いていこうとしてるんだと感じています。

    他にも、読みにくい小説と感じる理由はあると思うので、一概には言えないですが、
    少し頑張れば読めるものが読みやすい小説で、何作も読んでいくうちに教養が身につき、読みにくい小説だった物が、気づけばハードルが下がっていくと(正確には、高いハードルも飛び越えられるようになっていた、ですかね)、
    1つのラインが出来上がって、小説の市場規模を拡大させることができるのではないか、と考察しました。

    なので、読みやすい小説も、読みにくい小説も、コンテンツを発展させるにはどちらも欠かせない物のように思いましたね。

    作者からの返信

    國灯闇一様

    コメントありがとうございます。

    仰るようになれば良いのですが、そうも上手くはいかないのではないかと私は考えています。
    読む内に慣れてくる事は勿論あると思いますが、だからといって一段上の少々小難しい話を読者が受け入れ求めるか。それはまた別問題だと感じるからです。
    頭を使う作品に需要はないという話ではなく住み分け、つまり、読めるけど好みじゃない、と。

    そういった意味では、頭を使う作品は現在ニッチになっているのではないかなあと思います。