第36話 接触禁止令
リンダは、土砂降りの雨の中からWBN本部ビルに駆け込んだ。
行政府管理官から呼び出しを受けたので、取材先から大至急帰還したのだ。レインブロックフィールドも携行していなかったので、頭から爪先までずぶ濡れだ。身体を拭く暇も無く、管理官の執務室へ向かう。WBNは、行政府が統括する公的報道機関だ。膨大な量の情報が、行政府の厳重な報道管制の下で取り扱われる。報道の自由は無いと言っていい。厳しい制約の中でも、リンダ達は可能な限りの報道を行って来た。どうしても報道出来ないネタは、爽児達フリーランスのジャーナリストにリークする事も在る。爽児の場合は、メタルボウルのトップ・プレイヤーだった事でS級市民の認証を受けている。故に、シム・ラベリングの識別チップ埋蔵手術を免除され、IDで行動する権限を与えられて居る。但し、偽造IDは重罪だ。最悪の場合、極刑も在り得る。爽児は自分の立場を活かし、WBNでは扱えない事件を取材して報道しているが、それでも限界は在る。爽児が、裏社会のネットを利用しようと考えた背景には、行政府の構築した堅固な情報統制基盤の存在が在る。正にその情報統制を管理しているのが、リンダを呼び出した行政府管理官だ。執務室の前に到着したリンダは、緊張した面持ちでインターフォンのスイッチに触れた。
「リンダ・マーレイです。只今到着致しました。」
カメラがリンダを捉える。暫くして、男性の声で応答が在った。
「入室を許可する。入り給え。」
ドアが静かにスライドして、リンダは執務室の中に足を踏み入れた。
正面の窓際に痩躯の男が立って居る。その人物が振り返ると、冷徹で事務的な表情でリンダに告げた。
「今日君を呼び出したのは、君の個人的活動に関して問い質す為だ。君は、ソージ・ミドリノと言う人物と接触しているな。」
少しの間、逡巡してからリンダは答えた。
「ええ。彼とは古くからの友人です。・・・それが、何か?」
「今後一切の接触を禁ずる。」
「!・・・それはどういう事ですか?」
「上層部からの通達だ。君が情報をその人物にリークしていた疑いが掛けられている。公的報道機関のWBNとしては、看過しかねる事態だ。」
「待って下さい!彼との関係は個人的なものです。プライベートな関係まで管理されるお積もりですか?」
「これは正式な命令だ。従わなければ君を解雇して禁固刑に処さねばならん。」
有無を言わせぬ言下の圧力を感じさせる声で、非情な言葉が告げられた。
「!・・・・・解りました。彼とは、今後一切接触しません。」
「・・その言葉が真実である事を祈っているよ。では、下がり給え。」
「それでは、失礼致します。」
管理官の警告はリンダの心に重く圧し掛かった。爽児と会えない。その現実が胸を締め付ける。何時かはこの様な時が訪れるであろう事は覚悟して居た。だが、まだ早い。現時点で繋がりを断たれては、ウィルの死に関する巨大な闇を白日の下に曝す事が困難になる。しかし、解雇処分を受ける様な事態になれば、有益な情報を得る手段を失う事になる。WBNの記者として統合行政府に忠誠を誓う事と引き換えに特権的地位を保障されていたからこそ、爽児の役に立つ事が可能だったのだ。上層部への忠誠心に疑念を抱かれた今、リンダの今後の行動には間違い無く監視が付けられるだろう。爽児が、現在はラインハルト達黙示録の旅団と行動を共にしている事も不安を掻き立てる。ラインハルトの心の闇は深い。何れ周囲を巻き込んで破滅への道を歩む事にはならないとは限らない。だが、自分には何も出来ない。もどかしく、腹立たしかった。自分は所詮無力な飼い犬に過ぎないのか。統合行政府に反逆するカウンターグループを陰ながら支援するのは限界なのだろうか。全てはウィルの無惨な死から始まった。あの事件が無ければ、統合行政府の管理統制体制に何の疑念も抱かずに生きていられただろう。世界の混沌とした闇の部分を知ったから、敢えて危険を冒して迄爽児達に協力してきたのだ。様々な事を考えながら、WBN本部ビル最上階の展望カフェテリアに移動した。珈琲を飲みながら、憂鬱な表情で下界を眺める。
不意に、声を掛ける者が居た。
「どうしたんだい?暗い顔して。管理官に呼び出されたみたいだけど、何か在ったのかい?」
リンダと同じ報道局に所属するロバートだった。リンダと同年代の若者で、映像編集に携わって居る。快活な若者で、周囲の評判も良い。リンダは素っ気無く答えた。
「何でも無いわ。プライベートに関して、有り難い御忠告を頂いただけよ。」
ロバートは碧眼を輝かせ、愛嬌を振り撒いて尚も話しかける。
「プライベートで制限を受けるのは皆一緒だよ。WBNは、行政府直轄の報道機関だからね。・・・ねえ、気分直しに街に繰り出さないかい?塞ぎ込んでたんじゃ、明日からの取材にも影響が出ると思うしさ。いい店を見付けたから君と行きたいんだ。」
些か図々しい誘い文句を平然と口にする。
「・・・ありがとう。でも、遠慮しておくわ。」
「やっぱり、噂の彼氏が気になる?メタルボウルのトッププレイヤーだったんだって?僕じゃあ、彼の代役は務まらないけど、本心から君を心配してるんだ。激務で問題も抱えてるんだから、気分転換は必要だと思うよ。」
リンダはロバートの指摘通り、職務やプライベートの問題で疲れきっていた。故に、一時の安息を求めてこの若者に付き合ってもいいかなと言う意識が芽生えてきた。唯、飲みに付き合うだけだ。何等やましい感情は無い。
「・・・そうね。いいわ。ネガティブな感情を引き摺っていたら、精神衛生上良くないものね。」
「本当かい?やったね!それじゃあ、今夜早速出かけよう。実は、既に予約してあるんだ。きっと気に入って貰えると思うな。」
「手回しの宜しい事ね。何処のお店なのかしら?」
「ザクセンシティのスポーツバーさ。丁度、今夜のメタルボウルの試合を観ながらカクテルと美味い料理を堪能出来るんだ。」
「そうなの・・・。」
リンダの脳裡を爽児とボブの事が過ぎった。表情が曇る。
「嫌なのかい?だったら、別の店を探すけど・・・。」
「いえ、いいのよ。ご一緒させて頂くわ。」
「良かった。それじゃあ、後で連絡するよ。僕は仕事の残務処理が在るから、これで失礼するね。」
爽やかな感じで微笑むと、ロバートはカフェテリアを後にした。
リンダは深い溜息を吐いた。
「・・・爽児。私、待つのに疲れてるのかな・・・。悪い女ね。」
自嘲気味に呟くと、残りの珈琲を口に含んだ。
エスプレッソでも無いのに、何時もより苦い味に感じられた。
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