第30話 交差する思惑

 死臭が発ち込め、血飛沫が飛散し、臓物が散乱する部屋に踏み込んだ時、ラインハルトはロマネンコフ大佐と部下達の死を確信した。闘争の女神は、無慈悲にも戦場の鬼神に死の接吻を施した。デスクの傍らに倒れている大佐の亡骸を一瞥すると、ラインハルトは冷静に現状の分析を始めた。尋常ならざる敵の能力は、遺骸の惨状から推し測れる。

「これは・・・。間違い無い。兄さんの仇の仕業だ。」


 突然、階上から轟音が響いてきた。署長室全体が振動する。

「上は屋上・・ヘリポートか!」

ラインハルトは瞬時に屋上へと続く階段に駆け出した。胸中を暗き復讐の焔が業火と化し燃え盛る。心臓が灼け付く様に鼓動する。抑え難い衝動がラインハルトを支配する。仇を殺す為だけに生きてきた己の宿願を果たさんと、敵の姿を求めて疾駆して行く。メンバー達も慌てて後を追う。屋上の扉を開け放つと、眼前に離陸寸前の機体を確認出来た。黒く塗装の施されたVTOLが一機、ホバリングを開始して高度を上げているところだった。ラインハルトは、携行しているヒートガンを乱射して離陸を阻もうと試みた。だが、攻撃は悉く機体表面で拡散して消滅して行く。

「特殊強化装甲!止められんか!」

憤怒の表情でVTOLを見上げるラインハルトの姿が、操縦席の多重モニターの中で急速に小さくなって行く。

「・・ゴミ共め。我々の崇高な人体実験を邪魔した事を、必ず後悔させて遣るぞ。戦場の鬼神と謳われたロマネンコフ大佐でさえも、新たなる時代の奔流に呑まれ、消えて逝ったのだ。奴に相応しく、名誉も尊厳も認められぬ惨めな死に様だった。」

スコルビンスキー大佐は、心底から愉悦に満ちた哄笑を漏らした。「帰還次第、成功した部分だけでも実験のデータ解析を開始する。敵に奪取された装甲車両は爆破しろ。」

「大佐!実験部隊がSPTと交戦状態に在る模様です。」

「何だと?何故嗅ぎ付けられたのだ?旧世紀の正義に縛られた連中め。愚昧な犬共は駆逐しろ。兵装の差は歴然だ。ロマネンコフの部下達との戦闘で些少の戦力が殺がれていても、SPT如きに遅れを取る事は在るまい。」

 倣岸不遜な態度で命令を下すと、スコルビンスキー大佐は軍司令部に極秘回線で連絡を開始した。

「司令部、こちら統合軍特殊作戦部隊指揮官、スコルビンスキー大佐。NBC兵器人体実験作戦の報告だ。カオス司令に取次ぎを頼む。」

「了解。司令専用回線に繋ぎます。」

「スコルビンスキー大佐か。作戦の成否は如何だ?」

感情の起伏を感じさせぬ冷徹な表情でカオスは訊いた。

背筋に冷たい汗が噴き出るのを感じながら、スコルビンスキー大佐は緊張した面持ちで現況を報告した。

「それが、想定外の邪魔が入りました。元PKTのロマネンコフが率いる部隊との交戦で、当初の達成目標の40%が頓挫しています。更に、SPTが我々の作戦に介入してきました。こちらは当方の残存部隊が殲滅に当たっています。」

「ロマネンコフか。嘗ては戦場の鬼神と謳われた軍人だな。始末は着けたのだろうな?」

「はい。無論、所詮は旧世紀の直情型の軍人です。力に勝る智略と漆黒の使用で苦も無く引導を渡して遣りました。」

「プロトタイプも役に立っている様だな。・・・残るはSPTだな。連中は侮れん存在だ。有能な指揮官と強固な組織力が厄介だ。だが、資金面で窮地に追い込む手筈は既に整っている。犯罪撲滅を訴えている人権擁護局のハインズを暗殺する計画を、アルファに任せる。」

「お言葉ですが、アルファでは力不足ではないでしょうか。以前の戦闘ではSPTに身柄を拘束される失態を演じています。」

「無用な心配だ。今回の暗殺計画は、脳波コントロール装置を取り付けたベータにサポートさせる。失敗は有り得ない。それより・・」

ホログラフィックの映像を通して、カオスの瞳に冷酷な光が宿るのが判った。

「人体実験計画が完全には遂行出来なかった責任を、どの様に取るつもりだ?貴様の処分は、追って通達する。至急、統合軍科学研究所に帰還し、謹慎していろ。」

蒼褪めた顔色になったスコルビンスキー大佐は、掠れた声で答えた。

「・・・了解。」

「以上だ。通信を終了する。」


 傲岸不遜な謀略で戦時に活路を見出し、仲間を犠牲にして自身の出世を謀って生きて来たスコルビンスキー大佐も、カオス司令だけは畏怖していた。智略に勝り、冷酷非情な態度に徹する底知れぬ闇を心中に抱く男。統合戦争で頭角を現し、圧倒的な科学力で統合軍を勝利に導いた立役者。軍事科学者であると共に優れた策略家であり、反統合勢力の追随を許さなかった。故に、戦争終結後の新たな秩序の統治する世界で、軍司令官の地位に就いた事は必然と言えた。

 全てはカオスの計画通りに進んでいる。混沌を解析し、数理的に緻密な道筋を構築して野望の成就を謀る。覇道を歩むカオスを阻む事は叶わないのか。イオン量子ヨタA.Iオメガの開発に拠り世界の全てをコントロールする権限を掌握したカオスは、尚狂気を孕んだ野望を秘めている。直属の部下として間近に接して来たスコルビンスキー大佐は、時折垣間見えるその精神の闇の深さに恐怖を覚えて忠実な下僕の生き方を選択した。世界は悪意に侵食されようとしていた。

 VTOLは静かに高度を上げて暗黒の夜に溶け込んで行った。


 その機影を憎悪に満ちた視線で見送り、ラインハルトは己の力量の不足を唾棄した。不意に、リストバンドの通信回線が開かれた。

「リーダー。こちらエリック。掃討班からの連絡に拠ると、SPTの部隊が戦闘に介入してきたらしい。迅速に撤収しなければやばい状況だ。既に地下街路を利用して撤収行動に移行している様だけど、油断は出来ない。そちらも戦力が消耗しているんだ。可能な限り戦闘は回避して本部へ帰還してくれ。」

「了解。直ちに撤収する。」

ラインハルトは、絶命しているロマネンコフ大佐の遺骸を見ると、メンバーに指示を出した。

「大佐の遺骸を回収するぞ。本部で損傷の詳細を解析すれば、敵の実像に近付けるかも知れん。」

敬慕する兄を惨殺した仇を目前にして取り逃がした事で昂っていたラインハルトの感情は冷静さを取り戻していた。

「大佐の遺骸は俺達が運ぼう。・・・ずっと一緒に戦場で戦ってきたんだ。幾度もの死線を潜り抜けて来られたのも大佐のお蔭だ。他の隊員達はこの場で遺骸の痕跡を焼却する。液化爆弾で署長室ごとフロアを爆砕しよう。」

「・・任せよう。直ぐに出発するぞ。」

迅速に準備を整えると、ラインハルト達は署長室を後にした。

セットした爆薬の起爆信号を発信すると、数刻後に爆音が轟き、建物全体が振動した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る