第29話 迷宮のミノタウロス

モロゾフ少尉が指揮を執る掃討班は、統合軍特殊作戦部隊の大半を掃討する事に成功していた。残存勢力との戦闘も終息に向かいつつ在った。

「最後迄気を抜くな!奇襲攻撃が功を奏したが、熟練度は敵部隊の方が上だ。油断すれば形勢を逆転される可能性も有る。」

爽児は敵部隊の情報を映像記録しながら改めて統合軍特殊作戦部隊のNBC兵器人体実験の非人間性に憤りを覚えていた。

人々の生命を、実験データを収集する為のサンプルとしか考えない酷薄な行為を目の当たりにして、怒りが限界を超えて鬱積してきた。

拳を固めて装甲車に殴りつけると、薄く血が滲み出してきた。

不意に、物陰から敵兵士が飛び出して爽児の背後に迫った。

「爽児さん!後ろだ!」

気付いた王虎が叫ぶと、爽児は身体を捻って敵の攻撃を避けながら激しいタックルを仕掛けた。

頚動脈を絞め上げながら詰問する。

「貴様等は・・・人の命を何だと思っている!」

「・・アウター・タウンの住民共は行政府の管理から外れた屑共だ。貴様の方こそ、連中の生命を何だと思っているのだ?連中は我々に依りその無用な生命を更なる世界の進歩の為に活用されて、始めて価値有る存在となるのだ。」

激昂した爽児は、傍に落ちていたレーザーエッジ・ナイフで敵兵士の心臓を刺し貫こうとした。

「爽児さん!」

王虎が爽児の腕を止めた。

「離せ!」

「・・貴方は、殺さないのでは無かったのですか?この様な輩に、貴方が手を汚す価値等在りません。貴方には貴方の流儀が有る筈でしょう。」

「!・・・・そうだな。その通りだ。だが、この連中は赦せない。他のエリアでは既に犠牲者も出ているだろう。必ず非道な人体実験計画の全容を白日の下に曝け出して遣る。こいつは証人として捕虜にしよう。」

爽児が敵部隊員を絞め上げた時、突然銃声が響いた。

「残存勢力か?」

「いえ。どうやら違う様です。あの装備は・・!SPTの様ですね。」

「SPTだって?事情を説明して協力出来ないか?」

「それは無理です。我々の活動も非合法である事は同じですから。」

「・・・そうか。そうだな。では、どうする?」

「モロゾフ少尉の指示を仰ぎましょう。・・少尉、応答願います。」

リストバンド型の通信機を操作して王虎がモロゾフ少尉を呼び出す。

「・・・こちらモロゾフ。どうやら、招かれざる客が来た様だな。我々の作戦は九割以上達成された。残存敵勢力とSPTの交戦を誘導しながらこの場を撤退する。捕まる様なミスは犯すな。撤退経路は来た時の逆順だ。迅速に行動しろ。以上。」

「了解。爽児さん、急ぎましょう。」

「ああ。さあ、一緒に来て貰おうか。貴様は人体実験計画の証人だ。」

「・・俺を捕らえても何も吐かんぞ。俺を証人にしようと試みても、統合軍上層部は俺の存在を否定し、俺と貴様等を抹消しようとするだろう。」

「・・・だろうな。だが、俺達もそれなりの手段を準備している。貴様等の悪行は必ず白日の下に曝されるだろう。」

銃撃戦が至近距離迄迫ってきた。

「爽児さん!早く!」

王虎が地下街路への入口から呼び掛けた。

爽児は、捕虜の兵士を連行して入口へ急いだ。

地下に入ると、澱んだ空気が肌を撫でた。前世紀の遺物である地下街路は大戦時に都市機能を維持する為に地上の施設を模して建設された。入り組んだ立体構造は全体像を把握している者でなければ迷宮の如く感じられる。黙示録の旅団は地下街路の詳細をエリックが設計した小型ナビゲーションシステムに入力して行動している。

立体構造も解析して正確な現在位置を表示する機能が有る。

モニター上で蒼白く輝くラインが進行ルートを示して明滅する。

王虎が捕虜を連行している爽児を促して言った。

「爽児さん、SPTは高度な作戦遂行力を保持しています。地下街路の存在も把握している筈です。直に追撃部隊を編成して来るでしょう。彼等との相違は、我々にはエリックが設計して地下街路の全体像を入力した高性能のナビゲーションシステムが在る事です。彼等は、旧市街の地下街路の様な古い施設のデータを持っていません。例え中央行政府のイオン量子ヨタA.Iオメガにアクセスしても、放棄された管理外区域のデータは残っていないでしょう。この差が、我々の行動を幾らか有利にしてくれている間に帰還しましょう。」

「ああ。・・今聞いた通りだ。俺達は急いでいる。余計な抵抗はするなよ。お前は捕虜としての価値は在るが、人としての価値は皆無の人間だ。扱いは乱暴になるが、おとなしく従え。」

「貴様等の行動こそ、時代の趨勢の奔流に逆らう無駄な足掻きだ。貴様等の唱える人としての心等、あらゆる事象が中央行政府に拠り管理統括されたこの世界に於いては無価値極まりない。何故抗う?全てを委ね、命じられるが儘に生きる事でこそ人は秩序の下に存在意義を見出されるのだ。」

「人間はシステムの一部じゃない。システムに従属する事で得られる安心感は偽りに過ぎず、思考を絶対的な権力に委ねた人類の行く先は堕落と頽廃だ。行政府と統合軍の支配構造は欺瞞に満ちている。だが、俺達は必ずそれを終わらせる。・・歩け。」

爽児達は地下街路を進んで行く。ナビゲーション・システムのお蔭で迷う事無く進路を選択して行ける為、その足取りは速い。

一時間程経過して、一行は行程の中間に位置する地下街路機能制御管理施設の存在する地点に辿り着いた。

「漸く半分か。王虎、少し休憩を取ろう。皆重装備の上に戦闘の疲労が溜まっている。」

「そうですね。では、モロゾフ少尉に連絡します。」

王虎はリストバンドの通信機能を使用して、モロゾフ少尉に連絡を入れた。

「砂漠の狐より荒野の蠍へ。応答願います。」

「こちら荒野の蠍。識別信号を認識した。通信機能制御解除。現在の状況を報告しろ。」

「モロゾフ少尉。我々の分隊は帰還行程の中間地点に到達。戦闘で捕らえた特殊作戦部隊員一名を連行中。現在地は地下街路機能制御管理施設、座標はX98.81Y112.92Z58.66。現時点まで、統合軍及びSPTに拠る追撃は無し。隊員の疲労回復の為、休憩を取る。」

「了解。・・王虎、お前はウォルフと親しかったな。」

「ええ。彼とは親友です。それが何か?」

「奴は死んだよ。銃撃を受けてな。最期に、お前に渡す様に頼まれた物が在る。・・旧式のロケット・ペンダントだ。」

「!・・・そうですか。以前、ウォルフが見せてくれた物でしょう。中に彼の妹のジェシカの写真が収められている筈です。彼は本当に妹を大切に思っていましたから。本部に帰還次第、私が預かります。」

「解った。奴の形見、必ずお前に引渡して遣る。ウォルフは立派な戦士だった。心から哀悼の意を捧げる。・・以上で通信を終了する。」

通信を終えた王虎に、捕虜を拘束した爽児が近付いて声を掛けた。

「王虎。通信の会話が聴こえた。・・ウォルフが死んだって?」

「・・・ええ。」

爽児の脳裏に、生前の快活なウォルフの姿が浮かんだ。

「不条理だな。何故、あんな良い奴が若い生命を散らさなければならないんだ?」

「・・戦争とは、そういうものです。彼の遺志を無駄にしない為にも、我々は統合軍と行政府の傲慢を打ち砕かねばなりません。」

王虎の瞳は深い哀しみの色を湛えていた。

「王虎、親友を失った哀しみは俺にも良く解る。ウォルフの記憶、決して忘れない様に努めよう。彼が生きていた証は、俺達の心に刻まれている。遺された彼の妹のジェシカの事も俺達が見守ろう。」

「ええ。解っています。ジェシカの視力は最新の医療技術でも回復不能な程の重症です。彼女を守るのは私達の・・私の義務です。」

王虎は、決意を秘めた瞳で言った。ジェシカに対する想いが、唯の憐憫からのものでは無い事を窺わせる。

「・・・王虎、君なら必ずジェシカさんを支えていけるさ。」

そう声を掛けて、爽児は自身とリンダの事を考えた。

ウィルの死から随分と時を重ねたが、二人の関係は停滞した儘だ。

進展する機会は幾らでも在ったが、そうする事でウィルの死と言う耐え難い苦痛を受け入れてしまう気がして踏み止まっている。

何時かはその暗澹たる想いを振り払える時が来るのだろうか。

世界の闇を支配する巨大な悪の胎動を暴露して人々に欺瞞に満ちた現実に気付かせた時、この想いから開放される予感は在る。

だが、悲願の成就と引き換えに自身も又多くのものを失うだろう。

生命も僅かな希望も、無慈悲に踏み躙られる過酷な闘争に身を投じながら、爽児は揺ぎ無い決意と覚悟を新たにしていた。

突然、爆発音が響いて衝撃波が襲ってきた。

「何だ?統合軍かSPTが追撃してきたのか?」

「判りません。ですが、彼等にしては我々に追い付くのが早過ぎる気がしますが。・・・まさか、単なる都市伝説の類と思っていましたが、地下街路に棲み付いている迷宮のミノタウロスでは・・・。」

「迷宮のミノタウロス?神話に登場する伝説の怪物か?」

「そう呼ばれていますが、その正体は不明です。それより、応戦しなければ。何者であれ、我々に敵対意思を持っている事は明白です。」

「そうだな。俺は拘束してある捕虜の所へ行く。奴に死なれたら、貴重な証人を失う事になる。」

「全隊員に告ぐ!至急襲撃者に応戦せよ!拡散系の武器は使用するな。同士討ちになる可能性が高い。各自携行しているレーザーガン及び電磁スティックを使え。敵位置を捕捉次第、フォーメーションを組んで囲い込め。」

「了解。」

爽児は、地下街路機能制御管理施設の一角に在るトイレに向かった。

機能停止状態の自動ドアを手動で開くと、捕虜が憮然とした表情で迎えた。何とか逃れようと足掻いた形跡が在るが、配管に繋がれた電磁手錠が頑強に捕虜を拘束している。爽児は、電磁手錠を配管から解き放って告げた。

「来い。不本意だが、貴様の生命を守る事が重要なんでな。」

「先刻の爆発音は統合軍の追撃部隊の攻撃ではないのか?」

「どうやら違うらしいな。迷宮のミノタウロスの襲撃の様だ。」

「何だと?では、例の・・・。不適合種め。大人しくゴミ溜めで余生を送っていれば良いものを。」

「不適合種?何の事だ?何か知っているのか?」

「・・さあな。それより、早く俺を安全な所へ移送するんだな。貴様等にとって、俺は貴重な証人・・なのだろう?」

薄笑いを浮かべて捕虜の兵士は告げた。

「・・・ああ。その通りだ。心配しなくても、今連れて行ってやる。」

爽児は乱暴に捕虜の兵士を突き飛ばした。倒れ込んだ兵士は無様に便器に顔面を突っ込んだ。

「早く立て。時間が無いんでな。・・それとも、便器の味が気に入ったか?」

嗜虐的な気分で爽児は冷酷に告げた。非道なNBC兵器人体実験を繰り返す統合軍の所業を目の当たりにした爽児の心から、捕虜への慈悲は消え失せていた。世界の裏で蠢いてきた邪悪な行為。深い闇の淵を覗き込んで、爽児はラインハルトや黙示録の旅団の抱える悲壮な覚悟を共有する様に心境が変化しつつ在った。

「糞っ!俺をこんな目に遭わせて無事で済むと思うな!」

捕虜の兵士は毒づいて凄もうと試みたが、その言葉は陳腐でその姿は滑稽だった。爽児は腹の底から嘲り哂った。

「はははははっ!何だって?・・・無事に済まないのは貴様の方だ。

捕虜の人権を守る様な考えは既に棄てた。覚悟しろ。貴様は地獄の業火に焼かれる事になる。」

非情に告げた爽児の双眸は、憎悪と侮蔑の焔に満ちていた。

爽児の心底を闇が侵食しつつ在った。己の内に蠢く負のエナジー。それを感じながら、しかし抗おうとはしなかった。倒れた捕虜の身体を憑かれた様に蹴り続けた。気が付くと、捕虜は白目を剥いて口から吐血して痙攣していた。

「・・・俺は、一体?・・!そうだ、俺は捕虜を殺すところだった。」

爽児は、精神が崩壊しそうな危機に直面して激しく葛藤した。

爆音が微かに響いてきた。長居は危険だ。

「仕方ない。担いで行くしかないな。」

気絶した捕虜を肩に担いで、爽児はトイレを後にした。

同時刻、王虎が指揮を執る黙示録の旅団は襲撃者の位置を捕捉して的確な連携で袋小路に追い込みつつ在った。

「王虎、こちらマイケル。対象を追い詰めた。糞っ!腕をやられた。何だ?あいつは・・あの姿はまるで・・・。」

「どうした?マイケル。応答しろ。」

「あ、悪魔だ!畜生!俺は悪夢を見ているのか?」

「悪魔・・・だと?何だ?」

「うあああああっ!!」

通信機から、マイケルの叫び声と共にレーザーガンの発射音が鳴り響いて消えた。

「マイケルに異常発生!各員至急救助に向かえ!」

指示を出すと、王虎はマイケルの許へと急いだ。得体の知れない敵の存在に、苛立ちを覚えた。こんな所で手間取っている暇は無い。一刻も早く帰還して統合軍の軍事科学研究所を強襲する態勢を整えなければならない。統合軍やSPTの追撃部隊に遭遇する可能性も在る。暫く走ると、マイケルの通信が途絶えた地点に辿り着いた。

数名のメンバーが先に到着していた。

「王虎、俺達も今到着した所だ。連携して敵を追い詰めていたんだが、敵に一番近い所に居たマイケルが返り討ちに遭ったらしい。」

其処には、血の跡が残されているだけで、周囲にマイケルの姿を確認する事は出来なかった。だが、何かを引き摺った様な痕跡が通路の先へと続いているのに王虎は気付いた。全身の神経が昂り、感覚が研ぎ澄まされる。微かな呻き声の様な音を、王虎の聴覚は感知した。携行している武器は市街戦用の大型レールガンが一丁である。至近距離で接近戦用のヒートガン等を撃たれたら不利は自明の理と言える。だが、射撃武器の死角から接敵して格闘戦に持込めば王虎は確実に敵を倒す自信が在った。

「皆、市街戦用の装備だと言う事を忘れるな。通路の先は袋小路だが、迂闊に大口径の銃火器を撃つな。マイケルがまだ生存している可能性が在る。・・・先に俺が出る。援護を頼む。」

的確な指示を出すと、王虎は袋小路の通路に飛び出した。転がりながら、状況を視認する。照明も無く薄暗い通路の先に、何か動く影が見えた。床に倒れている影と、その上で動く影。レールガンの照準を動く影に向けて警告する。

「動くな!マイケルを・・仲間を開放しろ。」

だが、動く影は警告を無視して襲い掛かって来た。

銃火器に拠る反撃を予想していた為、王虎に隙が生じた。

他のメンバーに拠る援護射撃の間隙を掻い潜り、王虎に圧し掛かる。

数発は銃撃が標的を捉えた筈だが、動く影は怯む様子も無い。

生温かい息の臭気が漂い、低い唸り声が響く。王虎は自身に覆い被さる敵を凝視した。暗闇に眼が慣れて来ると、それまでは只の影としか認識出来なかったものが輪郭を露にし始めた。王虎の視覚が捉えたそれは、当に悪魔の如き存在だった。鋭い犬歯が並び、耳元迄裂けた口。涎が王虎の顔に滴り落ちる。王虎は、得体の知れない敵の低い唸り声に混じって、言語らしき響きを感知した。

「グルルル・・研究・・俺・・・始末・・・。」

微かで断片的な言葉が辛うじて聴き取れた。

「王虎!今助けるぞ!」

仲間が銃器を構えて短く叫んだ。

「待て!迂闊に撃つな!こいつは、生かして捕らえるんだ!」

王虎は正体不明の獣の如き敵に知性の片鱗を感じ取り、瞬時に判断を下した。都市伝説に於ける迷宮のミノタウロス。王虎は迷信の類を信じない理知的な思考の持ち主だ。人知を超えた怪物等、現実世界には存在しない。ならば、其処から導かれる答は一つ。眼前の敵は何者かに拠って人為的に作られた異形の者。統合軍のおぞましき軍事科学研究の所産である可能性が高い。捕獲して黙示録の旅団本部へ連れ帰り、可能な限り情報を引き出す為に分析を実施する。

「少し、眠って居て貰おう。・・・はっ!」

王虎は瞬時に体勢を入れ替えると、裂帛の気合と共に掌打を放った。

敵の身体構造が少なくとも目視した限りでは人間と類似していた為、急所の位置もほぼ同じであると想定した上での一撃は、確実に敵の意識を喪失せしめた。王虎の無事を確認すると、メンバー達は通路の奥に倒れているマイケルの許へ駆け寄った。血溜りの中で仰臥しているマイケルは、全身を鋭い牙や爪で引き裂かれていた。銃火器の痕も散見される。獣の様な敵は、銃火器類も巧みに使いこなしていたと言う事が判る。マイケルは多量の出血で昏倒状態に在る様だ。幸いにも現在のところ生命に別状は無いが、早急に止血して適正に治療措置を施さなければ死に至る事は明白だ。

「王虎!マイケルの容態が危険だ。早く治療しないと死ぬぞ。」

「そうか。だが、黙示録の旅団本部の設備では治療は難しい。統合軍やSPTの追撃部隊の事を考慮すれば、置いて行くしかないかも知れん。」

「そんな!マイケルは大事な仲間だぜ?見殺しに等出来るかよ!」

「では、マイケル一人の為に我々の復讐が妨げられても良いのか?」

「それは・・だが、仲間の犠牲の上に復讐を果たして満足なのか?」

「マイケルも覚悟の上でこの作戦に参加していた筈だ。自分がマイケルの立場なら、置いて行かれる事を望むだろう。」

「どうした?何を揉めているんだ?」

気絶した捕虜を肩に担いで、漸く合流した爽児が状況を把握しかねて尋ねた。

「爽児さん。・・・敵との戦闘で重症を負ったマイケルの処遇に関して、意見が割れているのです。早急に医療措置を施せば回復の可能性は有りますが、生憎黙示録の旅団本部には医療設備が整っていません。かと言って、シティの病院に移送する時間は有りませんし、正規の医療を受ける為に必要な資格をマイケルは持っていません。我々アウター・タウンの住人は、その存在さえ公的に否定されているのが実情です。行政府の管理下に無い者は、人間とは見做さない。それが、この世界を支配する冷厳なルールです。」

「!そうか、そう・・だったな。君達が選択した、或いはせざるを得なかったのは、飼い殺しを拒絶する過酷な闘争の世界だったな。」

「統合軍の非道の上に築き上げられた欺瞞に満ちた偽りの繁栄。我々は決してそれを享受しません。」

「だが、仲間の生命を犠牲にして迄目標達成を図るのは間違いだ。それでは、統合軍と同じではないのか?」

「そうだ、王虎。爽児さんの言う通りだ。マイケルを見捨てて迄、俺達は復讐を遂げたくない。何とか、本部まで連れて帰ろう。」

「連れて帰っても、到着時には既にマイケルの生命力は尽きているだろう。捕虜二名と重症のマイケルを連れて、統合軍やSPTの追撃部隊を振り切るのは至難の業だ。捕虜は兎も角、マイケルは無理に動かせば却って苦しんで死を迎える事になる。」

非情に思えた王虎の決断が、彼なりの思い遣りに基づくものである事に爽児は気付いた。だが、だからと言ってそれを簡単に認める事は出来ない。絶望の暗黒を否定し、希望の光明を求める。そうする事で、爽児は自身が陥りかけている精神の闇の深淵から這い上がる事が出来る様な気がした。解決策を模索している裡に、爽児はある事を思い出した。

「王虎、若しかしたらマイケルを救う事が出来るかも知れない。」

「・・どう言う事ですか?」

「アウター・タウンでも医療措置を受けられる場所が在るんだ。」

「・・闇病院ですか?ですが、まともな医療技術も設備も備えていない場所では重症のマイケルの治療は不可能でしょう。」

「その点は大丈夫だ。俺の知人が運営している施設で、ある程度の設備も整っている。医師の技術も信頼出来る。此処からなら、時間的にも充分に間に合う距離だ。」

爽児の確信に満ちた言葉を聴いて、王虎は暫く考え込んだ後に決断を下した。

「いいでしょう。爽児さんの言葉に従います。私も、マイケルを死なせたくはありません。本隊のモロゾフ少尉に連絡して、先に本部へ帰還して貰いましょう。我々は、ナビゲーション・システムのルート変更をしてから、爽児さんの言う医療施設に向かいます。」

王虎が本隊に連絡を取っている間、爽児は改めて現状を確認した。

王虎達とマイケルの処遇に関して協議していた時は気付かなかったが、何者かが王虎の陰に倒れている。近付いてその姿に驚いた。

骨格は人類と類似の構造だが、明白な相違が散見される。

肉食獣の如き鋭い犬歯が並んだ口。野獣に酷似した相貌。

「そいつは・・迷宮のミノタウロスか?」

通信中の王虎に代わり、他のメンバーが答える。

「ああ。こいつがマイケルをやったんだ。信じられるかい?この姿で銃火器さえ扱えるんだぜ。」

外見とは異なる高い知性を有している事を覗わせる事実に、爽児は王虎と同じ推論を立てた。過去に取材で関わった遺伝子操作動物の事件が脳裡を過ぎる。戦闘技術を覚えている事から、統合軍の軍事研究の所産である可能性を考えた。

「・・生きているのか?」

「王虎が気絶させたんだ。本部へ連れ帰って解析するそうだ。医療設備こそ揃えていないが、俺達にはエリックがいるからな。それに、今は強力なバックアップが在る。」

「シュトロハイムか。確かに、こいつなら奴も興味を示しそうだ。」

シュトロハイムの実体は爽児の情報網でも掴めてはいないが、断片的に知り得たピースを組み上げると朧げながら全体像が垣間見える。

世界の紛争を闇社会から操り、反統合政府勢力に武器を供給する。

統合戦争に依り国家統合を果たしたとは言え、地域・組織間の紛争の火種は潜在的に存続している。紛争が顕在化すると、統合軍及び行政府が鎮圧に動く。長期に及ぶ戦闘で、シュトロハイムは莫大な利潤を得る。だが一方で、統合政府直轄の巨大複合体軍事企業であるカオス・コーポレーションも同時に巨額の資金を得る。両者は軍需産業面で競合していると言える。故に、自らの存在にとって脅威と成り得る統合軍の極秘プロジェクトに対抗する為の方策として、黙示録の旅団と利潤の殆ど見込めない契約を交わしたのだ。彼我の相互依存関係の所以を熟知しながらも、ラインハルトは危険の高い契約を締結した。統合軍に対抗する為には、回避出来ない選択だった。其処まで爽児が事態を推察した時、王虎が声を掛けた。

「爽児さん。本隊との連絡が取れました。我々が独立して行動する許可が特例として下りたので、迅速に医療施設に移動しましょう。ナビゲーション・システムに目的地の座標を入力するので、地上の目標ポイントを指示して下さい。」

「ああ、解った。アウタータウンの郊外に在る旧スタジアム跡地だ。」

「了解。」

王虎が、ナビゲーション・システムに新たな目的地の旧スタジアム跡地の座標を入力すると、変更されたルートが青く明滅して表示された。

「旧スタジアムには、リニア・ラインのホームが在る様ですね。」

「ああ。この地下街路と繋がっている筈だ。」

爽児の脳裡に悲痛な想い出がフラッシュバックする。自分やキャロルを逃がす為に凶弾に斃れたアレックス。彼が生命を賭して守った幼いキャロルもまた、ザイードの卑劣な凶行で、父親であり爽児の親友でもあるボブと共に爆死した。彼等の生命が二度とは戻らぬ事。その理不尽な現実に爽児は深い憤りを改めて覚えた。統合軍特殊部隊の非道な人体実験作戦阻止の為に、今回のミッションに参加していて忘れ掛けていた広域犯罪組織ザイードの存在。忌まわしき犯罪に因り踏み躙られた多くの人々。その怨嗟の呻き声が爽児の真情に縋り、責め苛んでいる様に感じられた。地獄の底へと続く螺旋に、或いは踏み込んでしまったかの如き悪夢に囚われる。過酷な運命の暗雲を切り払う為には、反吐の出そうな現実を直視して闘う以外に途は無い。爽児の覚悟は更に揺ぎ無いものとなり、自身を衝き動かしていく。

「・・行こう。一刻でも早く。俺達には、立ち止って居る暇は無い。」「そうですね。各員、出発する。」

王虎の号令に従い、黙示録の旅団メンバー達は、各々決意を秘めた表情で再び移動を開始した。

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