第18話 逃避行

 爽児はサングラスを掛け、襟の高い外套を身に纏って変装していた。

まだ、例の一件は報道されてはいないが、念を入れての変装だ。

「お待たせ。爽児さん。注文のマティーニよ。」

「ヴァ、ヴァレリー。俺の名前を呼ぶ時は静かにしてくれ。」

「はいはい。でも、その変装、大袈裟ねえ。よっぽど危ない事件にでも首を突っ込んでるの?」

「ま、まあそんなところさ。」

「あっ。若しかして、この間話していたアウター・タウンの行方不明者事件の関係?早速調査しているって訳ね。」

「あ、ああ。」

それは嘘ではなかった。思い掛けない災難に見舞われているとは言え、本業を疎かにするつもりは無い。だが、この状況はメタルボウル現役選手時代にも経験しなかった事態だ。うろたえている自分は、他人の眼には如何に滑稽に映るだろうか、と爽児は考えた。

どの様にこの窮状を打開しようかと思案を巡らせる。

最新式の情報端末サングラスを操作して、滅多にアクセスしない芸能関係の情報サイトをチェックする。眼前のモニターには、雑多な情報の洪水が映し出される。次々に切り替わる画面の中に、心配していた情報が現れた。扇情的な見出しが躍る。

大女優ミレーヌ・ロッケンマイヤーと元メタル・ボウラー緑野爽児の熱愛発覚!高級ホテルで朝まで密着!と表示されている。記事の内容は、下世話で卑猥な憶測に満ちた典型的なものだった。

爽児は激しく動揺した。予想していた事とは言え、若しこの記事をリンダが眼にしたら、と考えると苦痛だった。今はまだ一部のサイトでのみ扱われている情報に過ぎなくても、程無く一般にも広がるだろう。芸能関係の記者達の節操の無さは、業界では有名だ。

土足で獲物と見定めた者の私生活に臆面も無く侵入してくる。

自分達が特権を与えられた存在であると言わんばかりに。

爽児だけではなく、周囲の者の生活迄掻き回す事は必至だ。

連中がリンダに余計な事を言ったら、と考えると名状し難い怒りが湧き起こって来るのを感じる。


 「暫く留守にする。事が片付く迄は、君のカクテルも愉しめない。」

「あら残念。気を付けてね。私は、何時でも待っているから。ところで、ロッキーはどうするの?」

「ペットホテルに預けるつもりだ。」

「それなら、私が預かりましょうか?可愛いから、一度抱いてみたかったのよね。」

「有難う。・・ロッキーは、幸せ者だよ。」

 ミレーヌとの事態の報道が広がれば、自室に迄取材陣が押し寄せて来る事も予測される。平穏な生活を乱されたくは無い。

ほとぼりが冷める迄は、自室には戻らずに仕事をするつもりだ。


 情報端末サングラスの映像を、データバンクに切り替える。

初老の、眼光鋭い男の上半身と詳細データが映し出された。

 SPT襲撃事件の時、リンダを通じて得たWBNの裏情報を解析して、ザイードの幹部グレゴリオと密談していた男の素性を既に割り出していた。統合軍特殊作戦部隊指揮官、ジャン・スコルビンスキー。

階級は大佐。正規の方法では、決して知る事の叶わない情報だが、爽児は裏社会の情報屋に高額の報酬を支払って入手に成功した。

情報屋は、アウター・タウンの一角で死体となって発見された。

爽児が変装して自室を長期間離れるのには、そういう事情も有った。

 大佐は非合法ドラッグ、エンジェル・キッスの密売に関与している可能性が高い。だが、この件が大佐個人の犯行なのか、組織的犯行なのかは判然としない。その点についてこれから調査する予定だ。

 一方、例の一件の後でミレーヌから得た情報も確認する必要が有る。

詳しい経緯は話せないけれど、と前置きしてからミレーヌが爽児に語った内容は、正確であればザイードの広域犯罪の根幹に関わるものだった。しかし、現在迄に爽児が収集した情報との間には微妙な矛盾点が存在する。事実確認の為には、どうしても調査しなければならない場所が在る。エンジェル・キッスの生産工場が建造されたアウター・タウンのポート・エリアに在るドックだ。夜の闇に紛れて潜入調査する為に既に準備している。


 「ヴァレリー。そろそろ御暇する。今夜のマティーニも最高だった。」

「あら。有難う。爽児さん、仕事が片付いたらまた寄ってね。」

 爽児は、ヴァレリーの心からの微笑みを背に、今時珍しいアンティーク調のドアを開いて表に出た。夜空には、僅かな星が都市の煌びやかな照明に掻き消されそうに輝いている。

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