第1話 舞い降りた雪姫

 超軍事大国アルカンドルフの掲げる国家統合革命に因り、惑星全域に大規模な戦乱が発生してから数年後、全ての国家を超えた統合政府が創設された。


 巨大複合体である軍事企業、カオス・コーポレーションは、イオン量子ヨタA.Iオメガを開発、都市の全機能を制御し、統合政府の管理統制政策を堅固に確立した。


 統合政府に因る管理を拒む者、何らかの理由で管理の枠外に弾き出された者達は、戦禍の傷跡の残る管理外区域の廃墟に移住する様になり、独自の文化を形成した。


 電子回路網が毛細血管や神経細胞の様に都市を覆い尽くし、住民の生活の全てが統合政府管理下に置かれる世界において唯一、喧騒と猥雑が支配する街、通称アウター・タウン。

其処は、様々なカウンターカルチャーを生み出し、アンダーグラウンド・ソサエティに流通させる。

その文化的活動の一端として、廃墟を利用して建設された、サイバー・トランス・ディスコは、アウター・タウンの深い夜の闇に鮮やかにその姿を浮かび上がらせている。


 光と音の溢れる店内、ホログラフィスクリーンの下では、今夜も数十組の男女が踊っている。

スクリーンには、妖艶な姿態を挑発的に動かして踊り、誘惑の微笑を浮かべる美女が映し出され、音楽は客の恍惚感を高める様に周波数をコントロールされて流れる。

バー・カウンターでは、非人間型バーテンロボットが客の注文に応じて、自動でリキュールを配合し、グラスに注ぐ。


 ホール内を見渡せるVIP席に、場の雰囲気にそぐわぬ男達が居た。スーツ姿だが、剣呑な殺気を放ち、高感度マイクと骨伝導イヤホンで密談を交わしている。

初老で体格が良く、眼鏡を掛けた男が言った。

「これで今回の取引は成立だ。帰って、そうロッザムに伝えろ。」

グラスを傾け、カクテルを飲み干すと、緑色の液体が入った、数本の試験管の様なカプセルが収まった小型のケースの蓋を閉めながら、もう一人が答える。

「わかった。新しいエンジェル・キッスは、最高の品質だ。そちらの期待にも十分に副えるだろう。」

 エンジェル・キッスとは、非合法ドラッグの最高峰であり、正式名称はアシッド・ドリームと呼ばれている。通常、携帯用のコロン容器型のスプレーで舌下に噴霧する事に依り、即効で人体に吸収される。毛細血管を巡り、脳関門を通過した分子は、摂取者に恍惚感を伴う幻覚を見せる。ニコチンと似た分子特性を有し、脳内に受容構造を形成する為、常習性が有る。脳に負荷が蓄積して機能障害が発生し、廃人となる常習者が後を絶たない。それでも闇市場に流通し続けるのは、アウター・タウンの絶望と閉塞感が、住民に一時の甘い夢を求めさせるからだ。


 エンジェル・キッスの流通を取り仕切っているのは、アンダーグラウンド・ソサエティを支配するマフィア、ザイードの首領メイソン・ロッザム。

男の一人は、ロッザムの配下である。眼光鋭く、一分の隙も無い身のこなしから、幹部クラスの人物である事が窺い知れる。バーテンロボットに新しいリキュールを注がせながらもう一人に言った。

「代金は、予定通りに7億ファルドをザクセンシティでダミー企業を通じてロンダリング入金しろ。解っているとは思うが、絶対に裏切るな。先日、我々を欺いた潜入捜査官は、微塵の肉片になって、ロッザム様の虎の餌にされた。」

静かに席を立つと、薄笑いしながらもう一人の男が答える。

「心配するな。貴様等と我々の関係は、一蓮托生だ。常に、我々が貴様等の組織の後ろ盾となり、その代償として貴様等が我々の為に働く。上層部は、貴様等を必要としている。」

注がれたばかりの琥珀色のショートカクテルを飲みながら、ロッザムの配下は言った。

「今迄通り、と言う事だな。」

初老の男は、感情を感じさせない眼で相手を一瞥して、

「では、是で失礼する。」

そう言うと、踊り狂う男女の群れの中を抜けて、店の外に消えた。


 「さて、俺はもう少し楽しんでいくか。」

 VIP席を出て、スクリーンで踊る美女に見入る男に、群衆の中から女が近づいて来た。

踊り子に負けない美形である。ブロンドの髪に、エメラルドグリーンの瞳、均整の取れた艶やかな姿態。舌で唇を湿らせながら言った。

「お連れさんは帰ったようね。ねえ、今夜は一人?良かったら、私と付き合わない?私、渋い人に惹かれるの。特に、貴方の様に危険な香りのする男に。」

媚びる様にその瞳を潤ませて、男の腕に胸を擦り付ける。

「俺を誘うとは、良い趣味をしている。ここに居る男達は、軽薄無能な猿共ばかりだ。」

口元が緩んでいる。女の姿態を舐める様に見る。

「ここは喧しいわ。静かな所で、甘い夜を過ごしましょう。それとも、ヴァーチャル・ヴィジョンの女とのお楽しみの方が好みかしら?」

 甘い吐息が、耳元を擽る。

「解った。女は生身に限る。ヴァーチャル・ヴィジョンやセクサロイドは、俺の趣味じゃない。」

男がそう言って席を立つと、女がさりげなく腕を絡ませる。

「良い場所が有るの。今から行きましょう。身体が奥から疼くの。」

男性客達の羨望の眼差しを受けながら、男は女を伴って店を出た。


 店を少し離れると、光は殆ど存在しない。24時間眠らないシティと違って、行政府管理外区域であるアウター・タウンの夜の闇は深い。

狭い路地裏に入ると、女は歩を止め、上目遣いに男を見つめて言った。

「ねえ、ここで、お願い。」

「ここでか?好き者な女だな。まあ、俺も嫌いじゃないからな。」

男は上着を脱いで、近くの消火栓に掛ける。

「待って、その前に、あれを頂戴。持っているのでしょう?ケースに入っているのを遠くから見たのよ。快感を高めたいの。」

「見ていたのか・・。」

一瞬、迷う男の眼前で、女は胸元を大きく開く。男は生唾を飲み、

「まあ一本ぐらい良いだろう。見本だからな。」

そう言うとケースの蓋を開き、中に納められていたカプセルを女に手渡した。

「どうも有難う。」

 女は微笑み、スプレーヘッドにカプセルをセットすると、舌下にではなく、メタルポーチから取り出したカードの様な物に噴霧した。カードからは、警告音が鳴り響き、表面に有る小型ディスプレイはレッドゾーンの最大数値を表示した。

女の胸元に手を這わそうとしていた男は、突然の事に動きを止めた。


 艶然とした先刻迄の女の態度は、一瞬で豹変していた。毅然とした態度で、射抜く様に男を睥睨する。

「ザイード幹部、グレゴリオ・ヤコブセン。貴方を、禁止ドラッグNo.86アシッド・ドリーム不法所持の現行犯で、逮捕します!」

男は女の胸元から手を引き、狼狽した。

「お前、捜査官か!・・・だが、女の細腕で俺に敵うものか。お仕置きに薬漬けにした後で、約束通り可愛がってやるぜ。」

すぐに落ち着きを取り戻した男は、嫌らしく口元を歪ませて、女に掴みかかる。

女の喉を捉え、頚動脈を締め上げると、勝ち誇った様に笑う。だが、その刹那、男の愉悦の笑いは苦悶の表情に変わった。男の両腕が、凄まじい力で捻じ曲げられ、堪らず悲鳴を上げた。

「ぐぅああっ!」

「甘く見ないでね。私の握力は800kg有るわ。もっと出力を上げましょうか?全身をサイバネティクスで強化した私は、貴方の全身の骨を砕く事も出来るのよ。」

「何だと、ではSPTか!」


 SPTとは、サイバネティクス・ポリス・チームの略称で、彼等は高度化した凶悪犯罪に対処する為に創設された統合行政府警察機構の特殊部隊である。バイオエレクトロニクスやサイバネティクス技術に依り、有機体と無機物の融合した強化ボディを有する。

「御名答。観念しなさい。もう一人の方も、仲間が身柄確保している頃よ。」

愕然として、グレゴリオは項垂れた。電子手錠を取り出してその手に掛けると、女のリストウォッチから、発信音が鳴った。視線認識デバイスに眼を向けると、電子情報処理を実行可能な網膜スクリーンに男が映った。

「あら、リチャード。こちらは、容疑者の身柄を確保して、拘束したところよ。そちらはどう?まあ、只の人間のオジン相手じゃ楽勝でしょうけど。」

「ローラ、気を付けろ・・。俺の方は、不覚を取った。まさかこんな・・・ぐっ・・。」

画面に映った男は、掠れる様な声で呻くと、気を失った。

「リチャード!?一体何が有ったの?リチャード、応答して!」

だが、リチャードからの応答は無く、突然破壊音と共に通信機の画像音声受信が途絶えた。

地面に倒れているグレゴリオが、不敵に薄笑いする。

「そうか・・。例のあれだな。早くこちらも頼むぜ。」

ローラが聞き咎めて、険しい表情でグレゴリオの襟元を掴んで言う。

「“あれ”ですって?一体何の事!?答えなさい!!」


 突然、夜の静寂を破る音と光条が彼女を襲った。瞬時に反応して攻撃を避けるローラ。だが、腕を擦過した光条に因り、動力系にエナジーを供給するラインが損傷し、有機的擬似血液が流れ出る。一瞬、気を取られた。その闘気の間隙を衝いて、それはローラの背後に迫っていた。敵の生体反応を感知してローラが振り向くより早く、それは攻撃を仕掛けた。SPTの強化された反射速度を遥かに凌駕する速度で、心臓の裏側に当たる背部に、衝撃が加えられた。衝撃と共に何らかのエナジーが迸り、ローラの全身の動力系に影響が及んだ。電子制御機構の連鎖反応で、脳機能を含めて身体活動が鈍化する。

続けて、第2撃、第3撃と、間断無く攻撃が加えられる。ローラの特殊強化バイオメタル製ボディが、損傷の度を増して激しく軋む。反撃を試みるが、動力系の出力低下に因り、威力は殆ど無い。為す術も無く地面に倒れ込むローラ。

「ぐっ!こ・・こんな事って・・。」

薄れ行く意識の中で、一瞬だけ月光に照らされた襲撃者の姿が見えた。

薄い純白のアーマーに身を包んだ、しなやかな肢体。白銀に輝く髪が夜風に揺れる。

「女・・・?私と同じ・・・・。」

何時の間にかグレゴリオが立ち上がり、ローラを見下ろしていた。

「今度は姉ちゃんが地面に倒れ伏す番って事だ。良い格好だな。」

足でローラの腹部を蹴る。襲撃者の女が、割って立つ様にして遮った。

「下らない事している暇は無いわ。もうすぐ、SPTの援軍として、行政府機動警察が来る筈よ。機動性はSPTにも遥かに劣るけれど、数は多いわ。」

「この女はどうする?放置するのか?まあ、そういうのも嫌いじゃないが。」

下卑た笑みを口元に浮かべるグレゴリオを制して、襲撃者の女は言った。

「始末は、私がつけるわ。貴方は、早く組織に戻りなさい。」

残念そうな表情で、グレゴリオは渋々頷くと、慌てて躓きながら路地から走り去った。


 襲撃者の女は、ゆっくりとローラの傍に歩み寄る。機能低下で殆ど状況が見えないローラは、襲撃者が近づいて来る姿を微かに視認して、死を覚悟した。

襲撃者の女は、ローラの傍に来ると屈み込む様にして腕を伸ばした。

そして、彼女の動力系が機能している事を確認して、立ち上がり、踵を返した。

「な・・何故?」

 ローラの問い掛けに、何も答えなかったが、月光に照らし出されたその桜色の眼光は、どこか虚ろで、哀しい光を帯びていた。ローラを一瞥もせずに、流麗に跳躍すると、闇に消えた。

視覚が霞み、ローラの意識は、ブラックアウトした。

 路地裏に機動警官隊が駆け込んで来て、意識を失って倒れたローラを発見したのは、それから数分後の事であった。

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