ACT.6 復讐者の生まれた日(Ⅰ)


 ライ・コーンウェルは、10年前に世界の終わりを見た。

 そして、その世界の終わりが、全ての始まりだったと言えよう。


 まず、俺の記憶の始まりは、深紅に染まった世界の中であった。

 平凡に、そしてそれなりに幸福に生きてきた当時7歳の少年が、初めて命の危機を感じ、心が壊れそうなほど深い悲しみを抱え、今にも崩れ落ちそうな心を湧き上がる憎悪を持って辛うじて保っていた時に、俺は覚醒した。

 絶体絶命の状況だからこそ、俺という潜在意識の底で眠っていた存在が強制的に呼び起こされ、それでいながら幼い少年が持つにふさわしいくない強い感情のせいで、覚醒と同時に俺は、ライの意識との同化――ひいては乗っ取りに失敗した。

 今世のライと前世の俺。

 交わることのなくなった二つの記憶は、一つの身体の中で二つの人格を形成する結果となった。

 そして、覚醒したばかりの俺は、状況がわからず戸惑うだけでライとの意識の交代が、できなかった。

 ――ここでそれができていたのなら、或いは最初の段階でライとの同化ができていたら、その未来はだいぶ違っていたのだろう。

 だからか、俺は自分が覚醒する前のライの記憶は断片的にしかわからない。

 けれども、それは幸福といって差し支えなかったと思う。


 豊かな草原で、近所の友達と思いっ切り走りまわり、転げまわってはケラケラと屈託なく笑い合う。

 日が暮れると4つ年上の姉が、ライを迎えにきて、夕焼けに染まる道を手をつないで帰りながら、今日の出来事を姉に報告する。

 笑顔で今日の遊びを報告する弟を、姉はいつも微笑ましく見つめていた。

 そして家に帰ると、母が迎えてくれた。

 台所からは、大好物のシチューの香りがして、自然とライの顔がほころぶ。

 その笑顔を見て、母が作ってよかったと笑い、姉がこの子は単純なんだからと笑う。

 ライ少年の世界は、色鮮やかに輝いて、笑顔であふれ、今は幸福に満ちて、未来は希望でしかなかった。


 あの日――後世で【アルドラの乱】と呼ばれるその日を境に、彼の世界は炎と血の赤で塗りつぶされたままになった。


▽▲▽


 気が付いた――“俺”が覚醒した時最初に目に飛び込んできたのは、赤だった。

 それは、血の色。

 優しかった母が、血だまりの中に沈んでいる光景。

 それは、炎の色。

 いつも笑顔を絶やさなかった姉が、無き叫びながら火にくべられる光景。

 世界が終わる光景を、ライ少年は姉に押し込まれた棚の中、その隙間から見ていた。


 いつもの晩御飯の時、何かを感じた母が、外を見に行ってすぐに血相を変えて戻ってきた。

 そして家財をドアの前に移動させ、バリケードを作りながら子供たちに今すぐ裏口から逃げろと叫ぶ。

 何事かわからないライを状況は置いてけぼりにして進む。

 逃げる準備を調えた姉が、お母さんも早くと叫ぶ。

 ――バリケードがその意味もなさずに、一撃でぶち壊されたのはその瞬間だった。

 はじけ飛んだ木材は、母の足に深々と刺さり、彼女が逃げることは不可能になった。

 そしてその時、姉は襲撃者と目が合った。

 襲撃者は、その姉を見てにやりと笑った。

 その瞬間、姉は自分の命運を悟ったのだろう。

 物陰にいた弟だけでも助けようと、襲撃者の死角にあった棚の中にライを押し込んだ。

 結果的に言えば姉のその判断は、見事だったと言えよう。

 事実、押し込まれたライは彼らに見つかることはなかったのだから。

 ――もっとも、だからこそこの先の惨事を、ライは全て目撃することになってしまったのだが。

 襲撃者たちは、姉を捕まえ羽交い絞めにするとイスに手足を括り付け固定し、イスの足場に木材をまとめ油をかけ、そこに火をつけた。

 その行為は、彼らにとって決して必要な行為では――殺しではなかった。

 いわば遊び、余興。

 現に、燃え盛る炎の中で泣き叫ぶ姉を見て、彼ははげらげらと嗤い転げていた。

 外では男が、何かを叫んでいた。


「俺こそが、この世界を手中に収めるべく神より派遣された使者! 英雄だ!!」「この村は革命の尊い犠牲になったのだ」「今この時が革命の狼煙!!」「世界の王、アルドラの誕生祭だ!!」

 

 そんな光景を見たライは、どう思ったのだろうか。

 深い悲しみを感じた、どうしようもない絶望に打ちひしがれた――だが、ソレだけではなかった。

 そんな悲嘆などより、強い感情が、彼の中で蠢いた。





 ――それは、憎悪だ。


 火にくべられた姉の傍らで、嗤う彼らの顔をライは、幼いその眼に焼き付ける。

 一人残らず、その顔を覚える。

 ――誰ひとりとして忘れない。

 いつか、僕が貴様らを一人残らず皆殺しにしてやる。

 どこまでも、どこまでも追いかけて、追い詰めて、火にくべてやる。


 猛り狂う業火よりもなお激しい憎悪の中で、そうして“俺”は覚醒した。



▽▲▽



 ――そして全てが終わり、朝を迎えた。

 誰もいなくなったその村にライは一人残された。

 棚から出て、家の外へ向かう。

 そこにはかつての故郷はなかった。

 燃え残った家と教会、あちこちに転がる村人だったモノたち。

 その光景を、ぼんやりと眺めていると、不意に遠くから馬の蹄の音が聞こえてきた。

 音は、やがて村の入り口で止まり、代わりに金属質な足音に変わった。


「――――。」


 その足音の方向を、疲れ果てた様子でライは見つめる。

 壊れた民家の影から現れた、その足音の主は、黒騎士だった。

 夜を集めたような不思議な色合いの鎧と、厳めしい修羅のような形相のヘルム。

 そして盾と剣を背負った、そんな騎士だ。

 黒騎士は、ライの姿をみるとゆっくりと駆け寄ってきて、其の場にしゃがみ込み、ライと目線を合わせる。

 そしてその騎士は、ライに向ってこういった。


『すまなかった』


 しわがれた、それでいて厳めしい声だった。

 しかしその声色には、深い悲しみと後悔がにじんでいた。


『私が、もう少し早く駆け付けていれば、君たちを助けられたかもしれない。本当にすまない』


 それは、悲痛な声だった。

 ライは、それを聞いてその騎士の顔面に拳を叩きつけた。

 無言で、ひたすらに殴り続けた。

 たかが7歳の少年の全力、それをヘルムごしに受ける騎士は、痛くもかゆくもないだろう。

 むしろ、痛いのはライの拳だった。

 だが、自らの歯を砕かんばかりに食いしばり、静かに涙を流しながら拳を振るい続ける幼い少年の姿を見ているその騎士も、痛かった。

 やがて、我慢の限界に達した騎士は、ライを抱きしめた。


『すまない、本当にすまない――!!』


 その声は、少し濡れていた。

 騎士の声、そして鎧越しのぬくもりを感じたライは、何かの糸が切れた。

 張りつめていた、緊張の糸が――凍らせていた心が氷解する瞬間だった。


「う、うあぁぁぁあああああ――!!」


 とうとうライは、泣き叫んだ。

 心に残った悲しみも絶望も何もかもを吐き出さんばかりに声を上げた。

 そんなライを黒騎士は、強く強く抱きしめる。


 誰もいなくなったその村で、ライの鳴き声だけが、むなしく木霊していた。



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