ACT.1 粛清騎士ライ・コーンウェル 前編


▽▲▽


 それは、赤く染まった三日月が、夜空でニタリと嗤った、そんな夜だった。

 僕はその時、世界の終わりを見た。

 母と共に歩いた帰り道、優しい姉と遊んだ広場は、何かにぐちゃぐちゃ砕かれて、燃えていた。

 ずっと当たり前にあった僕の家は、半分が何かわからないモノにもぎ取られた様な有様だったけど、僕は平気だった。

 近所に住んでいた人たちの姿は見えなかったけど、寂しくなかった。

 だって、母も姉も僕のそばにいてくれたから。

 姉は、赤い水たまりの上で蹲って寝てしまっていて、何度揺すっても起きなかったけど。

 母は、隣で僕を抱きしめた姿のまま、こんなに暑い夜なのに、冷たくなっていたけど。

 だから、僕は笑ったんだ。

 寂しくないから、みんな一緒だから、世界が終わったってへっちゃらだった。








 ――だから、あの時。

 僕もみんなと一緒に、終わってしまえばよかったんだ。



▽▲▽


「――っ!?」


 ぞっとする悪夢で、ライはベッドから飛び起きる。

 窓から差し込む朝日は柔らかく、さえずる小鳥の声はさわやかに、ライの住む“驢馬の鬣亭”の一室を彩っていたけれど、目覚めとしては最悪のモノだ。

 寝起きの頭を、容赦なくかち割ろうとする頭痛にめまいのようなものを感じながら、ライは身を起こす。

 ふらふらと歩きながら、部屋の片隅にある台に乗った桶の前に来ると、中をのぞき込む。

 その中には、昨晩にセリアが持ってきてくれた綺麗な井戸水が並々とあった。

 鏡のような水面に映る自分の顔を見て、ライは毎朝のことながらげっそりとした顔になる。

 少し長めの黒髪に、中性的な線の細い、中性的な顔立ち、紫水晶のような色をした瞳。

 見ようによっては、少女にすら見えそうな、そんな容貌の少年の姿がそこにあった。


「17にでもなれば、もう少し凛々しくなると思ったんだけどな」


 そう独り言をつぶやいて、バシャリと中の水を手ですくい顔を洗う。

 顔を手ぬぐいでふいた後、その手ぬぐいを水に浸して、絞る。

 そして寝汗の染みついたシャツを脱ぎ、濡れ手ぬぐいで寝汗をぬぐった。

 ライのその身体は、顔とは正反対に、あちこちに大小さまざまな傷跡の残る、鍛え抜かれた肉体であった。

 身体を拭き終わったライは、手早くいつもの服装――黒を基調とした聖教会事務職員制服に着替え、部屋を出る。

 階段を下ると、朝からにぎやかな声が聞こえてきた。

 “驢馬ロバタテガミ亭”は、一階で食堂、二階で宿を営んでいる典型的な旅人宿屋であり、観光地としても名高いこの都市でもなかなか人気な食堂でもあった。

 昨夜泊った客や、地元住民たちが今朝もおいしいスープと自家製のパンに舌鼓を打っていた。


「あ、ライ君おはよー!」


「おはよう、セリアさん」


 やってきたライを、食堂で慌ただしく働く少女が見つけ朝の挨拶を交わす。

 栗色の三つ編みと、そばかすが特徴的なこの少女の名は、セリア。

 “驢馬の鬣亭”を営むカワード夫妻の一人娘であり、ここの看板娘である。

 

「今日は遅かったね、毎朝早く起きてランニングしてるのに」


「ちょっと眠気に勝てなくて」


「そう、昨日も遅かったし、無理はしないでね。はい、コレ」


「うん、ありがとう」


 そういって、セリアが差し出した盆を受け取る。

 盆の上には、温かい湯気を立てる野菜スープと、この地方で保存食としてよく食べられている漬物、そしてパンが乗っていた。

 ライはいつもの席に着くと、全ての食べ物とそれを恵んでくださる女神に感謝し、それを口にした。


「それにしても、聖教会の事務ってそんなに忙しいの? 何日も泊り込んだり出張したりってせわしないよね」


「それは、僕が外部とのやりとりを頻繁にする部署ですから。あと、若くて独り身なんでいいように使われているんですよ」


 そんなこと言って、軽く笑うライ。

 まぁ、実際のところは嘘であるのだが。

 ライ・コーンウェルの正体は、聖教会に所属する聖騎士の中でももう一つの頂と言われている粛清騎士。

 転生者とそれに加担する者を粛清する、異端狩り専門の騎士だ。

 その性質上、粛清騎士たちの正体は、一般には伏せられている。

 ライ自身も、表向きは聖教会の事務職員という肩書なのだ。

 

「あんまり無理しないでね」


 そう心配するセリアに、感謝を込めてライは微笑む。

 ライのその表情を見たセリアは、心なしか頬を赤く染める。


「おー、朝からお熱いな!」


「お似合い何だから、さっさと結婚しろよ」


 その光景を見た馴染みの客たちは、一斉にやじを飛ばす。


「ちょ、ちょっと!」


 ライに誤解を与えかねないその発言に、セリアはあわてる。

 そんな中に、ドスンと大きな音を立てて、恰幅の良い女性が客たちの前に注文の品の乗った盆を下ろす。


「朝から酔っぱらってんのか、アンタたち!」


 そうやって馴染みの客に啖呵をきるのは、ここを切り盛りするカワード婦人だ。


「だいたい、うちの娘とライだったら、とてもじゃないけど釣り合わないじゃないか!」


「お、お母さんそれは言い過ぎ――」


「――ライの方がべっぴんさんなんだから、うちの娘になんかもったいない!」


「お母さん!?」


 カワード婦人の言葉に食堂中がどっと沸き、それに対して怒るセリア。

 やんや、やんや、とはやし立てる声の中でライは一人こう呟く。


「いや、べっぴんさんって――」


 本家本物の女の子よりかわいいと言われ、ライは人知れずがっくりと肩を落とした。


▽▲▽


 ライの暮らすこの都市の名前は、ベネトナシュ。

 聖ルバウス王国の第二都市であり、王国のあるこの大陸で広く信仰されている聖教会の総本山である。

 観光都市としても有名で、毎年多くの観光客が訪れる。

 無論、観光客の目当ては、聖教会本部の大聖堂である。

 創成の神話になぞらえた美しいステンドグラスが、見るものに感動と新たな信仰心を約束する、素晴らしいものだ。

 そんな聖教会本部には複数の部署ごとに棟が割り振られており、その中の一つ、聖騎士棟の一室の前にライは来ていた。


『失礼します』


 “驢馬の鬣亭”から本部へ出勤したライは、聖騎士棟でいつもの黒鎧に着替え、意識を「ただのライ・コーンウェル」から「粛清騎士ライ」へと切り替えたのち、その部屋に入室した。

 大きな10人掛けの円卓のある、薄暗い部屋だ。

 部屋に入ったライ、ヘルムを脱いで、円卓の上に置く。

 この部屋に入れるのは、8人の粛清騎士を含めた11人の関係者のみで、ここでは素顔を晒すことが許されていた。

 その部屋の奥に、カソックを着た、疲れたような顔の男が立っていた。

 彼の名は、カーティス特務神父。

 ライたち粛清騎士に、聖女の神託を伝え、指令を与える上官のような役割を負った男だ。


「おはよう粛清騎士ライ」


「おはようございます、特務神父殿。昨日提出した、報告書には目を通していただけましたか?」


「あぁ、侯爵家の御子息の件だね。君にも大変酷な任務だったと思う」


 沈痛そうな面持ちで、カーティスはライを労う。


「いえ――」


「侯爵には、『発見したころには、既に御子息はお亡くなりになっていた』と伝えておいた――とても悔やまれるな」


「ありがとうございます。ですが、“悔やまれる”というのは少し違うかと」


 そこで、カーティスの言った言葉に違和感を覚えたライは、迷わず異を唱える。

 自分の言葉の間違いに自覚がないカーティスは、そのライの言葉に疑問を持ちながらも静かに次の言葉を待った。


「子息が転生者だった侯爵のことを嘆き憐れむのはわかりますが、異端たる転生者の死を悔やむのは、少々おかしいかと」


「――っ!」


 そのセリフを聞いて、そしてそれを言ったライの眼を見てカーティスはぎょっとした。

 ライのその眼には、何の感情も浮かんでいなかったのだ。

 まるで、さも当たり前のことを口にするかのように、異端に対する憎悪すら浮かんでいなかった。


転生者バケモノに、人並みの表現を使うことに違和感を覚えたので」


「そ、そうか。すまなかった」


「いえ、お気になさらず」


 改めて、カーティスは身震いする。

 粛清騎士を管理する為に派遣された、文官あがりの管理職たる自分と、地獄を見てなお未だに地獄に身を置き続けている彼らとの精神性の違いに。


「ところで、特務神父殿。次の指令は?」


「あぁ、今日は本部で待機していてくれ。夕刻には、粛清騎士ロイドとレオーネ、シスターディーナ特務が帰ってくる手はずになっているから、次はそれからだ」


「三人も派遣とは、大ごとですね」


 粛清騎士とは、一騎当千を地で行く歴戦の猛者たち。

 一つの事案に基本一人で十分――それ以上だと戦力過剰ともいわれる者たちだ。

 粛清騎士ロイドは序列8位、粛清騎士レオーネは序列5位。

 その二人に続いて、戦闘員ではないが、シスターディーナ特務まで一つの任務に行くとなると、よほどの案件だとライは想像した。


「何てことは無い、南部の湖に竜が現れたと報告を受けて捕獲に向かったのだよ。異端審問部で実験していた竜が死んでしまってね、その代わりの確保に向かったのだ」


 その言葉を受けて、ライは大きく納得する。

 竜とは、所謂“転生に失敗した転生者”のことである。

 異端審問部曰く、前世で人間だった者が今世で間違えて それ以外の動物に転生した場合、脳と魂のキャパシティーの差によって肉体が変貌してしまうのだという。

 元となった動物が何であれ、全てにおいて爬虫類のような意匠が現れてしまう理由は、未だ不明である。

 その巨体と暴威ゆえに大昔から、災厄と力の象徴として扱われ、英雄譚でも馴染みのある怪物である。

 最も、その正体は一般に知られていないが。


「確かに、捕獲ならその人数が必要ですね」


 ライのその言葉には、言外に“捕獲じゃないなら”一人でも十分だという意味が含まれていた。

 そしてカーティスもそれを否定しない。

 それほどまでに、彼ら粛清騎士の実力は頭抜けているということであった。


「時に、粛清騎士ライ。君はこの後何か用事はあるかね?」


「いえ、今日ここでまた新しい指令をもらうつもりでしたので、何も」


 ライのその言葉を聞いて、カーティスは少し考え込んだのち、こう切り出した。


「実は、君に頼みたいことがある」



▽▲▽


 その日の午後。

 一般聖騎士の練習用の鎧に身を包んだライは、聖騎士棟外の修練場を訪れていた。

 彼が修練場を見渡すと、多くの聖騎士たちが走り込みや、組手などをしている中で、その端で盾を構え、ひとりもくもくと短槍を振るう女性が居た。

 ヘルムは被らずに、ライと同じ練習用の鎧を着ている、20代前半の背の高い赤毛の女性だ。

 ライはその女性の元へ小走りで向かい、こう話しかけた。


「突然ですみません。少し練習試合をしてもらえないだでしょうか?」



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