第6話

――今夜は満月。


居酒屋『ワルプルギスの夜』は、新月と満月の夜は定休日となる。

それは遠い遠い昔からの師匠との約束事の一つでもある。


魔女にとって月の満ち欠けは重要なことで、月が大きく丸くなるにつれて魔力量も上がる。つまり、満月の夜は魔力量が最大値になり、反対に新月の夜は魔力がほとんど空に近くなる。

これは魔女達にとっての常識であり、魔力を持たない人間には秘匿とされている。

ただでさえ忌み嫌われている魔女が魔力を失くす新月なんて、襲ってくれと公言する様なものなのだから当たり前だろう。


二階の部屋の窓を大きく開けた私は、満月が良く見える位置に置かれたベッドに座って月を見上げていた。


――降り注ぐ月明かり。

灯りを点けていない暗い部屋の中に、キラキラと満月の光が降り注いでいる。


月明かりを浴びていると、まるで湯船に浸かっているかの様な心地好い温かさと、身体の隅々から力が湧いてくるのを感じる。


今月も穏やかにこの日を迎えられたことに感謝の祈りを捧げる為に、満月に向かって両手を合わせると、特に意識をしているわけでもないのに両手の親指に一羽の蝶が浮かび上がった。月明かりに呼応するかの様に蝶の羽が揺らめいて見える。

たまにしか出逢えない蝶達が逢瀬を楽しんでいる様にも見えて、微笑ましい気持ちになる。


因みに、新月の夜は願いを捧げる日である。

店を定休日にして同じ様に夜を過ごす。

ただし、満月の夜とは違い、蝶は片羽のままだが……。


「ご主人様」

チリンチリンと小さな鈴を鳴らしながら、黒い肩までの髪に金色の瞳。黒い耳の生えたリリが部屋の中に入って来た。その手元にはトレーが見える。


「リリ、ありがとう」

トレーの上には、赤ワインの入ったディキャンタと腸詰め、チーズ、ドライフルーツ等のつまみが盛り付けられた皿やグラスが載っていた。


「ここに置いて、リリも早く座って」

私は窓際に置かれたサイドテーブルを指差してから、リリを手招きした。


「失礼します。……綺麗な満月ですね」

サイドテーブルにトレーを置いたリリは、ポスンと私の隣に座った。

リリの軽い体重を受け止めたベットが少しだけ沈んだ。


……満月はいつまで見ていても飽きることがない。

ついつい、時間を忘れて見入ってしまう。

私達魔女は月から生まれたのかな……なんて詩人の様なことを思ってしまう位に、満月に酔ってしまう。


「さあ、飲もうか」

「ご主人様……私が……!」

「良いから、良いから」

ディキャンタに入った赤ワインを二つのグラスに注ぐ。濃い赤色からフワッと香る豊潤な葡萄の香りが鼻先をくすぐり、幸せな気分にさせてくれる。

赤ワインを注いだグラスの一つをリリに渡してから、もう一つの自分のグラスを持ち上げた。


「「満月の夜に……」」

そう言ってリリと二人で軽くグラスをぶつけ合う。


いつもはお酒を好まないリリだが、満月と新月の夜だけは、私の晩酌に付き合ってくれる。


特別な夜に……特別なワイン。

今夜のワインは、師匠の一番大好きだった品種を用意した。

爽やかな酸味と深いコク。程よい苦味と甘さ。どことなくスパイシーさも感じられる。相反しそうなのに絶妙なバランスを作り上げている。


「うっ……。カーミラ様のお好きな味は、私にはやっぱりまだ苦いです」

リリはペロッと小さく舌を出した。


「ふふっ。実は私もまだ少し苦手かも」

苦笑いを浮かべた私は、お皿の上の杏のドライフルーツを摘まんで、リリと自分の口の中に入れた。杏の濃縮された甘味が、口の中にノ残ったワインの苦い後味をまろやかに変えてくれる。


師匠はこのワインの味を、まるで人生の様だと言っていた。

まだまだ未熟な私には、師匠の愛したこのワインの味が理解することが出来ていない。

私もいつかこのワインを美味しいと思える日が来るのだろうか……?


「カーミラ様は癖のあるお酒が好きでしたよね」

「うん。師匠は寧ろ、そんなのばかり選んで飲んでたよね」

「はい。誰も頼まなそうなのを選んで、たくさん失敗していましたね」

「そうそう!『不味い……』って言いながらも何故かニコニコ笑顔なんだよね」

「私、使い魔ですけど……アレは引きました」

「あははっ!分かる!」


満月と新月の夜は、リリと二人で師匠との思い出話を肴に夜を過ごすのだ。

束の間の穏やかで幸せな一時である。


*****


「……っ!」


翌朝、目覚めた私は毎回恒例の二日酔いに頭を抱えた。


『ご主人様は飲み過ぎなんですよ』

黒猫姿に戻っているリリは私の枕元に上がり、呆れた様な視線を投げ掛けてくる。


「ううっ……。リリだけずるい……」

あんなに一緒に飲んだのに、少しも残っていないじゃないか。


『はい、はい。早くこれを噛んで下さい』

リリは私を軽くいなしながら猫の手で緑色のハーブを私の口に押し込んだ。

これは二日酔いを治す薬草ハーブだ。


「苦っ……!」

苦悶の表情でハーブを噛み締めながら、私は飲み過ぎてしまった昨晩を悔やんだ。


パタリ……とベッドに転がると、

『お店が始まるまでには回復させて下さいね!』

リリはさっさと部屋から出て行ってしまった。


「リリ……冷たいー!」

思わず大きな声を上げると、頭がズキリと傷んだ。


「いたたたっ……!」

完全な自業自得である。


痛む頭を押さえながら『今日はお酒を控え目にしよう』と、そんな心にもない誓いを立てた私は……また翌朝、リリに冷たくあしらわれるのであった。

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