第5話ー②

カランカラン。


「リア姉。約束通りに来たよー?」

扉に付いている鐘が鳴ったと同時に、ソラーナがひょっこりと顔を覗かせた。


「仕事忙しいのに、無理言ってごめんね」

お店の中のカウンターから出た私は、入り口の所に立っているソラーナに駆け寄った。


「んーん。全然平気だよ」

ソラーナはニカッと爽やかに笑う。


「それよりどうしたの?昨日の夜じゃダメな話だったの?」

「話は出来るけど、どうせなら一緒に済ませた方が良いかなって」

「ふーん?」

首を傾げるソラーナに、『ちょっと待ってて』と声を掛けてから、カウンターに置いてあるメモ帳にペンを走らせる。


「『ご用のある方は裏庭にお越し下さい』……って、裏庭に行くの?」

私が字を書いているのを覗き込んでいたソラーナは、また首を傾げた。


「ふふっ」

その仕草はソラーナが幼かった時のことを思い出させた。

今ではスラッと背の高いソラーナだが、昔は同年代の子供の中で一番小さかったのだ。私の後をちょこちょこと付いて来る彼女からは、よく質問攻めをされたものだ。

あのソラーナが恋愛や結婚で悩む年になるとは……時が経つのは本当にあっという間だ。


「急に笑ったりしてどうしたの?」

「ちょっと昔のことを思い出してたの」

「……え?それって私の恥ずかしい記憶とかじゃないよね!?」

「さあ、どうかなぁー」

私はまたふふっと笑いながら店の外に出た。

扉の外側に置き手紙をテープで貼る。


「リア姉ー!」

「はいはい。裏庭行くよー」

少し膨れた顔をしているソラーナの肩を押しながら、私達は裏庭へ向かった。



***


「……これって井戸……じゃないよね?」

ソラーナが指差しているのは、裏庭の隅に置かれた丸い井戸の様な形をした物である。


ソラーナの言いたいことは分かる。訳が分からないまま連れて来られた先にあるのが普通の井戸だなんて思わないもんね。意味が分からなすぎる。


蓋代わりに乗せていた板を外すと、淵までギリギリにたくさんの水が溜まっているのが見える。

「やっぱり……普通の井戸だったの?」

「違うよ」

私は苦笑いを浮かべた。


これは師匠と相談しながら一緒に作った【水鏡】である。


一見しただけでは気付かれない様に、ただの井戸に偽装されているのだ。

……まあ、気付かれたとしても、魔女でなければ使えない代物だけれどね。



「あっ……!」

ここに来る途中で摘んで来たハーブを水鏡の上に浮かべると、隣にいたソラーナが小さく息を飲んだ。


水鏡の中に浮かんだハーブは、何もしていないのに勝手にスーッと水の中に溶けて消えてしまったのだ。

これは、この水鏡を使う時の起動方法であり、浄化も担っている。


水鏡を覗き込む様にしてソラーナを座らせた後に、私もその隣に座り水鏡の上に両手を翳した。


「~~♪」

歌う様に呪文を呟くと、両手の親指に片羽の蝶が浮かび上がる。

その紋章に呼応する様に、ユラユラと水面が揺れると――――。


「これは……どこかの街?」

大きな街の情景が水鏡に映し出された。


レンガ造りの大きな建物がたくさん見える。

街の中には様々な種類の店が建ち並び、店先で客寄せをしている売り子の元気な声が今にも聞こえて来そうな程に賑わい活気付いている。


「あ、リア姉!!カイトがいる!」

ソラーナが大きな声を上げながら水鏡の中を指さす。


ソラーナの指す方を見ると、確かにカイトがそこにいた。


カイトがいるということは……この大きな街が王都だろう。

旅立った日数から数えてもみても間違いないはずだ。


……今の王都はこんなに大きくも賑わっているのか。

私はその街の様子に思わず見入ってしまった。


一昔前の王都は、戦の後で全てがボロボロに崩れ果ててしまっていた。

あの後の王がとても優秀な人物だったのだろう。

あの時の凄惨な面影などこの王都の何処にも残ってはいない。


見違えた王都の風景と、カイトがそこへ無事に辿り着いていたという事実が、私の頬を緩ませた。

何事もなければ、カイトは後数日で村に戻って来ることだろう。


あれ?……そういえば、先程からソラーナが静かだ。


チラリと隣を見ると、ソラーナは口元を両手で押さえながらボロボロと大粒の涙を溢れさせていた。

「ソラーナ、どうしたの……!?」

「…………ディアンが……いる」

ソラーナが凝視をしていた先には、グレーのマントを被った長身の男がいた。


カイトと楽しげに笑いながら話しているあの顔には、私も見覚えがあった。


精悍さの増した眉間には小さな傷がうっすらと見えた。

これはディアンが幼い頃に、登っていた木から落ちた時に出来た傷である。


「ディアン!!」

立ち上がったソラーナは、水鏡に身を乗り出した。

「ソラーナ、落ち着いて!」

井戸の形にカモフラージュされている水鏡は、落ちたりしたら溺れ死んでしまうかもしれない位に深いのだ。

片手を水鏡の上に固定させたまま、空かした片手でソラーナを押し止める。


「でも……!あそこにディアンが……!」

このままではソラーナが水鏡の中に落ちてしまう。


……それでなくとも昼間の私は彼女よりも背が低く小さいのだ。


ギリッと奥歯を噛み締めた私は、大きく深呼吸をした。

この場では、私がまず冷静にならないとダメだと思ったからだ。


私がここにソラーナを呼んだのは、そもそもディランの今の姿を見せる為であったが、ソラーナをこんな風に興奮させてしまったのは完全な私の落ち度だ。

こうなることは分かっていたはずなのに……。


「ソラーナ!ディアンの声を聞かせてあげるから……少し落ち着いて!」

ソラーナの瞳を見つめながら冷静に語り掛けると、その瞳はやっと私の元に戻って来た。


「……本当に?」

「うん。だから座って。中に落ちたりしたら大変なことになるから」

「……分かった」

ソラーナは幼い子供の様に大きく頷くと、私のいうことを素直に聞いて座り直してくれた。


……ディアンが絡むと普段のソラーナとは真逆の性格になってしまう。

『恋』とはこうも人を変えるものなのか。

恋をしたことがない私には分からないが……こんな風に無我夢中になれる相手がいるソラーナが少し羨ましい。


私にとっての大切な『師匠』とはまた違う……存在か。


私は水鏡から外していた片手を戻し、更に魔力を込めた。

すると片羽の蝶の紋様は輝き出して、一羽の蝶になった。


実は、私が今していることは、師匠から禁じられた魔術の一つである。

水鏡を使用している時に、魔力を注ぐ行為は魔女にとっての自殺行為と一緒だから。

水鏡に映された中に魔力が高い者がいた場合、こちらの居場所を探知されてしまう可能性があるからだ。だからこそ禁じられている。

私だけでなく、匿ってくれているエーカー村の住民達も危険な目に合うリスクがあるのだ。


ソラーナの身が心配なら、さっさと水鏡を閉じてしまえば良かったのだ。

それが誰にも迷惑が掛からない最善の行動だった。

だけど……少しだけでも良いから、ソラーナと想い人を繋げてあげたかった。

これは私の完全なエゴである。

師匠……約束を破ってごめんなさい。



私は心の中で謝りながらも覚悟をもって呪文を紡いだ。

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