第5話ー①

「ご主人様。今日のお通しは何にするのですか?」

「んー。どうしょうかな……。今日も暑かったから、さっぱりした物が良いかな」

私はリリに答えながら、氷室で冷やしていたキュウリを取り出した。


食べやすい大きさに切って塩で揉んだキュウリと、細かく割いておいた鶏のささみ肉、細かく切った大葉とを混ぜ合わせる。ここに胡麻から作られた香りの良い油を少し足せば……っと。

簡単で美味しく、食欲も増す、サッパリとしたお通しの完成である。


「リリ、どう?」

箸を使ってリリの口元に運ぶと、パアーッとリリの顔が綻んだ。


「おいしいです!」

「良かった」

自分が作った物を『おいしい』と思ってもらえるのは嬉しい。


「キュウリではなく、長芋でも美味しいと思います!」

「あー、良いね。今度作ろうか」

リリはきちんと感想をくれるし、食材の提案もしてくれる頼もしい相棒だ。


日中は猫の姿だが、基本的には何でも食べる。普通の猫ならダメなネギだってリリなら食べられるのだ。


ただし、お酒はあまり好まないようで、余程のことがなければ飲まない。

私としては晩酌相手がいた方が楽しいのだが……お酒は無理矢理に飲ませるものではないので仕方ない。


この他にも常備菜のきんぴらごぼうやトマトの酢漬けなどの作り置きの料理を何品か用意したら、準備はOKだ。


「『ワルプルギスの夜』開店しまーす!」


***


「今日のお通しはサッパリしてて良いね」

そう言いながら度数の強いお酒の入ったお猪口ちょこを呷ったのは、パン屋の娘のソラーナだ。


「くーーーっ!おいしい!」

豪快な飲みっぷりが妙にさまになるソラーナは、今年で二十三歳になる。

サバサバとした性格がとても付き合いやすい女性である。


少しウエーブのかかったストロベリーブラウンの髪を耳の下辺りで切り揃えているソラーナは、この世界の女性としては珍しい短髪である。


本人ソラーナが、『長い髪が似合わないから』と言ってすぐに短く切ってしまうのだが……切れ長のブラウンの瞳に、長い睫毛。本人の自覚はないらしいが、綺麗で魅力的な女性だ。


「はあ……」

大きな溜息を吐いたソラーナは、カウンターのテーブルに突っ伏しながら頬を押し付けた。


お酒で酔って上気した頬。潤んだ瞳。

店内に居る独身の村人達は、ソラーナが気になって仕方がないのか……先程からチラチラと彼女を見ているが、本人はそんな彼らの視線には全く気付いてはいない。


ソラーナがお店に来る時だけ来店するお客さんは……ええと、一人、二人、三人……おお。今日は最多の五人だ。


適齢期を超えたソラーナが今まで独身なのは、決してモテないからではない。

寧ろ、働き者で美しい彼女を慕う者は多い。サバサバとした媚びない性格も好まれているようだ。

では何故、ソラーナは独身なのか。それは――――


「ディアンの馬鹿……」

ソラーナがボソッと呟いた名は、彼女と同い年の幼馴染みの名前だった。


ソラーナは、傭兵になる為に五年前にエーカー村から出て行ってしまったディアンに、幼い頃からずっと恋をしているのだ。

サバサバとした彼女が、唯一自分の気持ちを伝えられなかったのがディアンだった。ソラーナは、いつ帰って来るのかも分からないディアンを未だに健気に待ち続けている乙女なのである。


「ディアンから手紙来ないの?」

ソラーナの前に、新しいお酒の入ったグラスを置いた。


ソラーナもディアン。二人の幼い頃から知っている私には他人事ではない。


「アイツは一度も寄越さないの!……あの馬鹿!!」

ガバッと起き上がったソラーナは、グラスの中身を一気に呷った後に、

「……あれ?何これ、おいしい……」

ソラーナは驚いた顔をしながら口元を押さえた。


先ほどまでの調子で、度数の高いお酒をがんがん飲み続けるのは身体にも悪いし、潰れることも確定。

恋する乙女を本命意外の誰かにお持ち帰り……なんてことにはさせたくないので、勝手に度数の低い果実酒を注いだのだ。

これならジュースとほとんど変わらない。


「気持ちは分からないでもないから、少しは落ち着いて」

「はあーい」

口を尖らせたソラーナは頬杖をついた。


「……諦めた方が良いのは分かっているんだよね。もしかしたら、もう知らない誰か人と結婚しているかもしれないし……」

何の約束もしていないし……と、呟くソラーナの瞳には涙が滲んでいた。


私はチラリと店内を見渡して、腰を上げかけている若者達に向かって、敢えて微笑みかけた。

私から微笑みを受けた若者達は、表情を強張らせながら、すごすごと座り直す。


その様子に、満足しながら――『こんな風に牽制されただけで怯むならば、彼女ソラーナを口説く資格なんてないよ?出直して来なさい!』と、コッソリ心の中で毒を吐く。



「それで、今日はどうしたの?」

ソラーナが酔っ払ってディアンの愚痴を呟くことは良くあるが、今日はいつもよりも酷い気がしたのだ。


どこか自暴自棄にも見えるこの状況は……まさか。


「ローザ姉……私、結婚が決まりそうなんだぁ」

一瞬だけ頭の中に浮かんだ言葉が、ソラーナの口から発せられた。


口元を歪め、泣きそうな顔で笑うソラーナ。


……やっぱり。

チクリと胸が痛んだ。


「……相手は村長の息子のカースだよ。アイツも幼馴染みだし、悪い奴じゃないのは分かってる……。寧ろ、こんな年齢になった私が嫁ぐ相手としては充分過ぎるのも分かってる。だけど……私は……」


この時代の女性は、十代の内に家庭に入って子供をもうけるのが一般的だ。

男性側は結婚が早いことにこしたことはないが、特に年齢の縛りはない。

女性であるソラーナは二十三歳になるので適齢期をとうに超えているのだ。


全く嫁に行く気のない娘を心配した父親が、仲良しの村長に相談している内に『だったら息子にも想い人がいないみたいだから丁度良いだろう』と、結婚話が出てしまったらしい。


「……ディアンが帰って来たって、私と結婚してくれるとは限らない。だったら、カースと一緒になった方が……多分良いんだと……思う」

諦めた様な言葉を漏したソラーナだが、その顔を見れば全然納得いっていないと一目で分かる。


「ローザ姉が羨ましい……」

クシャッと顔を歪ませながらソラーナは俯いた。


「魔女なんて良いものじゃないよ。私はソラーナ達みたいな普通の人間が羨ましいと思うよ」

伏せられた頭を優しく撫でると、ソラーナが弾かれた様に顔を上げて私を見た。


「あ、ごめん……」

「謝らなくて良いよ。今はもう気にしてないから」

師匠に拾われてなかったら、絶望していたかもしれない。

でも、今の私は師匠に拾ってもらえたことで、数え切れない位のたくさんの幸せを味わうことができているのだ。


例えソラーナ達の様に結婚をして子供が産めなくても……私は幸せだ。

……伴侶も子供も私よりきっと先に逝ってしまうから。

それならば、何も望まない方が良い。



「ソラーナ。明日、日の出てる内にお店に来れる?」

「え?ええーと、朝の販売が終わったら……大丈夫だと思う」

「良かった。じゃあ、待ってるから」

私は、意味が分からずに困惑の表情を浮かべているソラーナに向かって微笑みかけた。

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