第2話

二階に戻った私は、袖や裾の短くなってしまった白い襟の付いた若草色の簡素なワンピースを破らないようにそっと脱ぎ、《小さなクローゼットの横に並んで置かれている大きなクローゼットの方から、《今の私》》に合うサイズの服を取り出した。


「ふう……」

着替えを終えた私はドレッサー前に座り、鏡に映る自分を見た。


――昼の子供の姿とは違い、大人の姿をした『夜の私』。


中身の性格は全く変わらないというのに、昼と夜で外見だけが全く別なものに変わってしまう。


の中でも異質な存在……」

呟きながら鏡に向かって手を伸ばした。




**


私の名前は【ロザリア】。

育ての親兼お師匠様である有名にして偉大な魔女【カーミラ】が、道端に捨てられていた赤ん坊だった私を拾い、愛情を持って大切に育ててくれた。

名付けてくれたのは師匠で、私は実の両親のことを何も知らない。


師匠は、陰気で不気味なイメージしかなかった魔女の存在を払拭させた人物で、人当たりが良く、とても大らかで優しい人だった。

そのせいか、魔女を忌み嫌う者が多いこの世界で、師匠だけは大丈夫という者が大勢いた。

お酒が大好きで、飲むとすぐに陽気になる師匠。

私はそんな師匠が大好きだったから、少しも寂しくなかったし、実の両親のことなんて知りたいとも思わなかった。


魔女にとって肩身の狭いこの世界を旅しながら生活していた私と師匠が、このエーカー村に住むようになったのは百年前のこと。

――私が百歳になった頃だった。


長寿である魔女の寿命は、一般的に四百~五百歳位だ。怪我や病気、刺されたりした場合等々はこれに該当しない。魔女は寿命が長く、人よりも身体が丈夫なだけで、不死ではないのだ。


当時、師匠は四百五十歳。

彼女は心安らかに死ねる場所を求めていたのだった。


私達がエーカー村に辿り着いた時。

ここの村人は皆、流行り病に犯されていた。

痩せ細った村人は一様に虚ろな目をしており、いつ死人が出てもおかしくない状況だった。


師匠は長年の経験から、流行病の正体が『マール病』だとすぐに気付いた。


マール病とは、【マール】という特殊なキノコの菌が影響する奇病である。

繁殖期のマールは、繁殖する為に生き物に寄生する。寄生した生き物に自分の胞子を運ばせ、ある程度撒き散らした後に、宿主を餌として成長するという恐ろしいキノコなのだ。


エーカー村の住民達は、マールの宿主とされていたのだった。


師匠と私は、すぐに村中の鍋をかき集めて大量の薬液を作り始めた。

マールの菌を殺す為の特効薬。

師匠は病気の知識だけでなく、特効薬も知っていたのだ。


師匠が特効薬を作り、その特効薬を私が村人の中でも抵抗力の弱いお年寄りや幼子から順番に飲ませていった。


その行為を繰り返すこと――――数日。


奇跡的に一人の死人を出すことなく、老若男女全ての村人達が元気になった。


村人達は師匠を救世主として崇めた。

そして、師匠の望みを知るや否や、村から離れたこの森の中に家を立ててくれた。

それも店が開ける仕様の造りで……。


このまま定住して欲しいという気持ちがダダ漏れのちゃっかりとした配慮には、師匠も言葉を失くしていたが……


『今の時代、こんなに望まれる魔女はそういないね。薬屋としての商いを村人が望んでいるなら、好意に甘えてここでのんびり暮らそうか』

家の中を一回りした後。

師匠はとても幸せそうな顔で微笑んだ。


師匠が好かれる魔女だったとはいえ、今まで苦労が無かったわけではない。

何もしていないのに、石を投げられることもあったし、心ない誹謗中傷や偏見の眼差しを向けられることだって沢山あった。


師匠はエーカー村来てようやく安らげる場所を得たのだ。



――そんな師匠が亡くなったのは、それから五十年後のことだった。


『ロザリア、今までありがとう。私は幸せな魔女だった。だけど、お前は私よりも、もっとずっと幸せな魔女になっておくれ』

『師匠……!』

みなも本当にありがとう。世話になりっぱなしで申し訳ないが……この子をよろしく頼みます』

師匠は私の頬に手を当てて微笑んだ後――。

たくさんの村人達に看取られながら、師匠の身体は静かに土へと還っていった。



***


――あれから更に五十年が経ち、私は二百歳になっていた。


エーカー村の村人達はいつも穏やかで優しく、昼と夜とで姿の変わる私を気味悪がることもなく、昼は【リア】、夜は【ローザ】と呼び分け、今までずっと村の外の人間達から守り続けてくれた。


私はそんな優しい人達の好意に応える為に、師匠から与えられた知識や経験を惜しみなく使ってきた。

……師匠と村人達のお陰で今の私の幸せはあるのだ。


【異端の魔女】

昔、一度だけ師匠が口にした。

詳しいことはあまり教えてくれなかったが、師匠は私の存在をだと言った。


――これは私の他に誰も知らない秘密。



「ご主人様。そろそろ夜のお店を開けませんか?」


チリンチリン。

小さな鈴を鳴らしながら、黒い肩までの髪に、金色の瞳。黒い耳の生えた女の子が部屋の中に入って来た。


「あ、。ごめーん」


リリも私と同じように昼は黒猫、夜は猫の半獣人……と昼夜で姿を変えている。

猫の姿の時のリリの言葉が分かるのは、リリが私の使い魔だからだ。


リリは、自分がいなくなった後のことを心配した師匠が残してくれた、私の大切な家族でもある。


ドレッサー前の椅子から立ち上がった私は、急いでエプロンを身に付けた。

そして、急かすように手を引いてくるリリと一緒に階段を降りた。


先程まで薬屋だった空間で、パチンと指を一回鳴らせば、薬草や薬の入った棚は消え、代わりにキッチンや広いバーカウンター、テーブルセットが店の中に現れる。

カウンターの上には、瓶詰めされた果実酒やたくさんのお酒が所狭しと並んでいる。


私のお店は、昼は薬屋。夜は居酒屋となるのだ。師匠と編み出したとっておきの魔法である。


「さて。【ワルプルギスの夜】開店しまーす」

カーテンと一緒に外に繋がる扉を開けた。

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