ワルプルギスの夜

ゆなか

第1話

エーカー村の隅にある小さな森の中。


ひっそり隠れるようにして、その人は暮らしていた。

――沢山の秘密を抱えながら。


******


「んー!良く寝たー!」


ベッドの上で、両手を大きく振り上げながら背中をぐっと伸ばした。

パキパキっと鳴る背中は心地好いが……少々複雑でもある。


「……年かな?」


苦笑いを浮かべながらベッドから降りると、近くにある小さなドレッサーの前に移動をした。

ドレッサーの鏡越しに見える外の日差しは、爽やかな朝の日差しではなく、もうだいぶ高くなった日の光だった。

起きるのが遅い私の起床時間は、大体いつもお昼前の十一時頃である。


ドレッサーの前に座り、鏡を正面から見据えると、鏡の中にはが座っていた。


まだ幼さの残る顔立ちに、大きな緑色の瞳。背中まで伸びたふわふわとした癖っ毛の金色の髪。

大きめなブラシを手に持った私は、癖のある髪に悪戦苦闘しながらも、何とか後ろで一つに纏めた。


髪を結い終えた私はドレッサーの椅子から降りると、小さい方の高さのクローゼットの中から、白い襟の付いた若草色の簡素なワンピースとエプロンを取り出した。


「今日はこの色で決まり!」


クローゼットから取り出したそれらを順番に身に付けていく。


ワンピースのスカートの下の部分から頭を通して、ワンピースのシワを下に向かって伸ばし、白いエプロンのリボンをキュッと結べば完成だ。


「うん、完璧!」

ドレッサーの前でクルリと回転する。


ニッコリ笑顔を作った私は、二階の寝室からパタパタと階段を降りて一階に向かった。


チリン。

一階に辿り着くと、鈴を付けた黒猫が足元にすり寄って来た。


「リリ、おはよう」

私は黒猫の『リリ』を抱き上げた。


『ご主人様。おはようございます』

リリはゴロゴロと喉を鳴らしながら、私の頬に自らの頬を擦り付けてくる。


ふふっ。今日もうちの子はモフモフで可愛い。

愛らしく甘えてくるリリを一撫でした私は、リリを抱いたままキッチンに向かった。


キッチンのカウンターの上にそっとリリを降ろした私は、リリ専用のお皿いっぱいにミルクを注いだ。


「はい。どうぞ」

『ご主人様ありがとう』


嬉しそうにミルクを飲むリリの姿を暫く堪能した後は――自分のご飯の用意をせねば。

いつまでもリリと戯れていたいが、私にはやらなければならないことがあるのだ。


「今日は何にしようかな……?」


考えながら貯蔵庫の中から取り出したのは、卵とベーコンの塊だ。


コンロの上にフライパンを置き、フライパンが温まったら、厚切りにしたベーコンを敷き、油が染み出してきたタイミングで卵を割って乗せる。

胡椒を少々振って、少量の水を回し入れたらすぐに蓋をする。

こうして蒸し焼きにし、黄身がトロッとした半熟にまで固まったら完成である。


コップに自分の分のミルク注ぎ、薄く切ったパンの上に出来たてのベーコンエッグを乗せて……っと。


「いただきます」

カウンターの前に置かれた椅子に座り、パチンと両手を合わせる。


ここには私と黒猫のリリしかいないので、行儀なんて気にしないでそのままパンに齧り付く。


ああ……美味しい。

厚切りベーコンの程よい脂身と塩気が、半熟の卵の黄身と混ざり、胡椒のピリッとした辛みもアクセントになっていて、とても美味しい。


ベーコンエッグはお酒にも合うんだよねぇ……。

そんなことを考えながら、パンを食べていると無性にお酒が飲みたくなってきた。


『ご主人様。早く食べないとお客さん来るよ?』

「あ、いけない!もうそんな時間!?」

私は残りのパンを口いっぱいに押し込んだ。


モグモグと一生懸命に咀嚼をし、ミルクと一緒にゴクンと飲み込む。


「ごちそう様でした!」

またパチンと両手を合わせた私は、バタバタと忙しく後片付けを始めた。



『ご主人様。早く、早く』

リリはチリンと鈴を鳴らしながら、私を店先へと誘導する。


「わっ!リリ、待って」


先を歩くリリに追い付いた私は、店先の扉の鍵とカーテンと開けた。



さあ。薬屋の開店だ。


カランカラン。

扉に付いている鐘がお客さんの来店を知らせてくれる。


「やってるかい?」

そう言いながら扉から顔を覗かせたのは、エーカー村に住んでいるエリックじいさんだ。


「こんにちは。エリックさん。腰の調子はどうですか?」

「ああ。お前さんの薬のお陰でだいぶ良くなったよ」

エリックさんはニッコリと笑い皺を深めた。


仕事中にギックリ腰をやってしまったエリックさんだが、経過はなかなかのようだ。



「それは良かったです。じゃあ、また同じ薬を出しますので、続けて飲んで下さいね」

棚の奥から薬を取り出し、エリックさんに渡した。


「すまんなー。早く治さんとお前さんの夜の店に通えんからなぁ」

「きちんと治らない内は、いらっしゃってもお酒は出しませんからね?」

「リアちゃんは、うちのばあ様みたいなことを言うのお」

「あら。ソフィアさんに告げ口しちゃいますよ?」

「勘弁しておくれ。まあ……治ったら、ばあ様と来るでな。よろしく」

「はい。お待ちしてますよ」

エリックさんから代金を受け取りながら、私はニッコリと笑った。


来た時と同じ様に『カランカラン』と鐘を鳴らしながら、エリックさんは帰って行く。


そんなエリックさんと入れ替わるように、次のお客さんが店に入って来た。


「ねえ。リアちゃん。坊やがお腹痛いって言ってるんだけど、何か良い薬はないかい?」

三人のやんちゃ盛りな男の子を持つ、エーカー村のサラさんだ。


「サラさん、こんにちは。お腹が痛いのはどの子ですか?」

私は首を傾げた。


「一番下のチビさ。何か拾い食いでもしたのかねぇ」

「一番下のお子さんですか。……お腹の他に何か症状はあります?」

「他にかい?そうだねぇ……」


薬を出す相手が子供になると、いつもより慎重に薬を選ばなければならないので、その分たくさん質問をすることにしている。


「サラさんのお話だと、このお薬で大丈夫だと思いますが……もし、治らなかったり、酷くなった時は必ず来て下さいね?」

薬がたくさん並んでいる棚から、茶色の瓶を取ってサラさんに手渡した。


「ありがとう。この村にリアちゃんがいてくれて、あたし達はホント助かってるよ」

ホッとした顔のサラさんから薬の代金を受け取りつつ、私は左右に首を大きく振った。


「いいえ、私ができることなら何でも言って下さい。皆さんは受け入れて、匿って下さっているのですから」

「あたし達がちゃんを匿ってるのは、あんたが良い子だからだよ。あんたの作る薬には、村の大勢の仲間が助けられてきた。そのほんのお礼だよ。気にすることじゃないさ」


サラさんは一瞬だけキョトンと瞳を丸くした後に、あははっと大きな声で笑った。


「……ありがとうございます」

豪快で明るいサラさんからの温かい言葉に胸が詰まる。


「全くもう!リアちゃんは相変わらず繊細なんだから!」

泣きそうな顔で笑う私の肩をサラさんはバンバンと叩いた。


……サラさん、それは痛いです。


恨めし気にサラさんを見るが、彼女は気にした様子もなくカラカラと笑い続けた。




その後も何人もの村人達が薬を買い求めに来てくれた。村から少し離れた端の方にある店だというのに、本当にありがたいことだ。



そうこうしている内に太陽は沈み。


『ご主人様。そろそろ……』

「うん」

リリに促されるままに薬屋の入口の鍵を閉めて、カーテンを閉めると――――。


金色のふわふわとした癖っ毛は、真っ黒なストレートのロングヘアに。緑色の瞳は黒色へ。どう見ても十代前半にしか見えなかった幼い外見が、二十代後半の艶やかな姿へと変化した。

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