15.明日夢【十日目 十六時五十七分】



 ゲームマスターとして再会した依代よりしろにえが、嗤う。


「相浦明日夢くん、見た目や人称が変わっても直ぐに気がついたよ。しかし、リピーターとして現れるとは思わなかった。宝来くんや財善さん、他の一族の代わりかな? 君の絶叫は今でも覚えているよ」


 現状に混乱してか、《オタク》が僕と依代を交互に見つめていた。


「どういうことだ? リピーター? つまり、以前にもゲームに……」


 その疑問に依代が、愉快そうに応える。


「そう、彼は以前、このパッケージのクラスメイトゲームに《主人公》として参加し、沢山の犠牲を出しながらも、最終的には主人公ENDを達成した。《偽主人公》くん、君もよく頑張っていたが、残念ながらあまり面白くは無かった。こうなることは分かっていたし。ただ……」


 そこで依代が僕に視線を戻す。


「明日夢くん、君は最高だよ。お笑い種だね。のこのことまたクラスメイトゲームに参加したはいいけど、よりにもよって《殺人者》になるなんて。愛しい愛しい彼女に呼ばれたのかな? それとも、倒れていた君を何も出来ずに呼び続け、消えていった彼女と同じ末路を辿れと、呪われでもしたのかな?」


 整った顔を歪ませ、依代が哄笑を散らかす。


 えみ……。

 僕は彼女の最後を知り、思わず拳を作った。


「ちなみに、配役の采配はボクがやった訳じゃないからね。このゲームはまぁ、与えられたみたいなもので、ゲームマスターですら及ばない領域もある。あぁ、あと前回は臆病者呼ばわりされちゃったからね。今回は敢えて無敵にもならずに頑張ってみたよ。これはこれで中々にスリルがあって楽しいね。体育の授業の時は、消されやしないかとビクビクしたけどさ」


 会話に餓えているのか、前回と同じようにゲームマスターはペラペラとよく喋る。その性格を利用して、出来るなら情報を引き出したかった。実際にこの数分で気になることには幾つか触れた。”このパッケージ”。”与えられたみたいなもの”。


 以前も確か、こんなことを言っていた。


《何度かボクのゲームマスターで、このゲームを遣らせてもらったが》


 ゲームマスターは、一人じゃないということだ。それ以外にも、関係者がいる。何より気になるのが”このパッケージ”と言ったことだ。


 クラスメイトゲームは、一つじゃないのか。

 このゲームを終えても、ひょっとして、また別のゲームが……。

 

「なぁ、元は《主人公》で今は《殺人者》くん? どんな気持ちなんだ? 教えてくれよ。ゲームの完全ENDを目指しながら、《殺人者》の業を背負った君。誰一人として消しちゃいけないのに、君は初日に皆に説明をするどころか、忠実に《殺人者》として消していってる。笑ったよ。今回はまぁ仕方ないってこと? 前回の時、最後にあんなに大口叩いてたのにね? というかさ、君が初日で消えてればよかったんじゃないの? そこは結局、実行できないの? 仲間とか作っちゃって。殺人者ENDは一人しか生き残れないのに、仲間は生き残れるとか言って騙したの? ゲームを終わらせる? 美しいもの? 面白過ぎるよ。最高のピエロだ」


 依代が楽し気であればあるほど、僕の精神は何かを伺うように冷静になっていく。だがある一言を耳にしたとき、思わず安堵と喜びの吐息が漏れそうになった。


 それでも表面上はどんな言葉にも反応しなかった。すると昔の僕に良く似た《オタク》の彼が、ゲームマスターに歩み寄る。胸倉を掴んだ。


「お前が、お前がゲームマスターなのか。人の命を何だと思ってる!? それに彼だって……きっと、消したくて消してる訳じゃない。お前が――」


「煩い、黙れよ《オタク》。喧嘩オタクでも空手オタクでもないんだろ? その行為は配役から逸脱している」


「な、くそ、あぁあああああぁぁあああああああああぁあああああ!?」


 推理オタクの彼が、理不尽な指摘で頭を抱えてその場に転がる。その光景を見て、ゲームマスターは心底可笑しそうに笑った。


 そこに、ナイフのように鋭く冷たい言葉が刺し込まれる。


「煩いのはお前だ、ゲームマスターよ」

「は?」


 背後に回り込んでいた心が、ゲームマスターの左肩に手を置く。そのまま手首を取って外側に力をかけると、依代は大袈裟に聞こえるくらいの声で痛みを発した。


 人間が痛みから逃れようとする際の行動パターンは、決まっている。多くの場合、うつ伏せになろうとする。心が力加減で導いたところもあるだろうが、依代は手首を取られたままうつ伏せになった。


 その背中に馬乗りとなって心が跨り、依代の両手を後ろに取って動けなくした。訓練された他者を制圧する動き。警官が習う、逮捕術を彷彿とさせる動きだ。


 ゲームマスターを屈服させたような体勢を前に、明確にニヤリと、楽しむように彼女は笑った。


「情報を引き出そうとしたが、もう我慢ならん。さぁ、明日夢。これからは我々の時間だ。ゲームを続けよう」


 僕は心に向き直る。その下でゲームマスターが暴れ始めた。


「くそっ、何だよ! いいところで邪魔をするな。消え――」


 依代がそう口にしようとした瞬間、心が彼の口元を押さえた。


「このまま首を折ってやろうか? 私はそれでも一向に構わんぞ。業腹なことに、このゲームが終われば貴様は野に放たれる。それを防ぐ手段を私は知らない。ならここで貴様の息の根を止めるのも、アリかもしれん」


 心は笑みを深めると、ゲームマスターの口を押さえたまま力を後方に向かって加え始めた。依代の顎が上がり、首が正面に向けて露になる。彼は目を見開くと、閉じられた口で精一杯の苦悶の声を上げた。


 その声が、途中でふっと弱まる。心が加え続けていた力を抜いたのだ。


「そうしてやってもいいが、まだ聞きたいこともある。いいか、お前は私に生かされているということを忘れるな。私は消えても構わん。だがその時は、お前は消えるという曖昧な事象ではなく、死を体験することになるだろう。それをよく覚えておけ。私の相棒の明日夢はどんな業を背負ってでも、必ずそれをやり遂げる。まさかお前……自分が恨まれていないとは、思ってないよな?」


 そう忠告すると心は、依代の手から口から離した。荒々しく依代が息を着き、視界の内に僕を見つけると睨み付けた。


 ゲームマスターを、彼を殺すことが僕の目的ではない。


 しかし、最悪そうなったとしても、僕はそれを厭わないだろう。PTSDで苦しむことになっても、その死を背負うだけの覚悟はあった。


「いや、しかし……その頭の軽さからも、お前がこのゲームを作り上げたとは思っていないが、やはり関係者がいたか。そして”このパッケージ”と、”与えられたみたいなもの”と。ふっ、はは、はははっ!」


 睨み合っている僕らとは別に、心にも心の思惑があった。彼女の笑顔は、思いがけぬものを手に入れたと望外の喜びを表していた。


「何が可笑しい!? お前らはアイツに騙されてる癖に。早く、ボクを離せ」

「そう言われて離すと思うか? まだ仕置きが足りんようだな。そうそう、ゲームマスターも生徒の一人になるというのは良いシステムだ。否応なく、配役に縛られる。なぁ《いじめっ子》よ?」


 その一言に、否応のない緊張が走り抜けた。緊張しているのはゲームマスターだけじゃない。


「あ、あれ? 君が、君が《いじめっ子》じゃないのか? さっき、自分が消えるとか言ってたけど、あれは……」


 痛みから快復したのか、それでも苦しげにしている《オタク》が口を開く。

 心は彼に一度視線を置いた後、再びゲームマスターを見た。


「残念だが、そうではない。私は誰からも消される《主人公》だ」


 《偽主人公》を名乗っていた《オタク》の顔はそのとき、驚愕にいで純粋な素顔を晒した。到底思わなかったのだろう。まさか、魔女じみた振る舞いの彼女が《主人公》などとは。


「そして、本当の《いじめっ子》は私の手中にいるコイツだ。コイツはゲームマスターではあるが配役に沿った制約を受ける筈だ。試してみよう。例えばここで、私が髪を強く引っ張ってみると」


 途端に、依代の顔が引き攣り始める。


「な!? お前、や、やめ、あ、うあぁあああああああああああぁあああああ!?」


 ひょっとすると、依代も味わうのは初めてなのだろうか。参加していた前回のゲームを思い出す。配役の制約を知り、ギリギリのところで引き篭もっていた依代。

 

 その実、奴は自分の顔が殆ど人に知られていないのを良いことに、暗躍し、霍乱かくらんし、ゲームを乱していた。前回の時、《生き物係》に他の配役を消すように持ちかけたのも、恐らく彼だ。


 そうやってアイツは安全圏にいて、最後に現われる。


「馬鹿なヤツだ、ゲームマスターよ。まんまとこの場に現れて、明日夢を笑いに来たのか? 《殺人者》と《偽主人公》。その対決はさぞかし見ものだったろう。追い込む手間が省けたぞ。こういうとき、先人は何と言ったかなぁ。あぁ、そうだ。”好奇心は猫をも殺す”だ」


 涙目になった依代が、憎々しげな表情で心を見上げようとする。


 こんな事態は予想していなかったのだろう。彼にとってのショーを最前列で眺め、僕をあざ嗤い、そのまま何処かに消えるつもりだったのかもしれない。


 殺人者ENDは《殺人者》以外のクラスメイトが消えることになるが、生徒の一人だからといって、それでゲームマスターが消えるとも思えない。


 想定外の事態に引き笑いをしている依代に、頼もしき相棒である心が尋ねる。


「あと貴様、《限定ホームルーム》をゲームマスター権限で覗いていたな?」

「は? 何だよ、何が悪い。ボクはゲームマスターだぞ。それがどうしたっていうんだ!?」


「それはな、明日夢にバレているぞ」


 すると乾いた笑い声が、ゲームマスターから上がった。


「は、はははは。そんなこと、知ってるさ。初日の《限定ホームルーム》で彼が口にしていたからな」


「お前は、全ての配役を最初から知っていた」

「そ、そうだ」


「私は《主人公》だ」

「だ、だけど、お前はあのとき、それを彼に伝えていない。知ってる。ボクは知ってるんだからな」


 また一つ確証を得ることが出来た。


 この学校に監視システムらしきものがない以上、ゲームマスターは何かしらの方法を使ってクラスメイトの情報を得ていると踏んでいた。

 

 あの得体の知れない摩訶不思議な空間。

 それがゲームマスター側の《限定ホームルーム》の意義だったのだ。


 それを聞き出した心は、本当に楽しそうに笑った。そして告げた。


「だがお前は……明日夢がを、知らない」


 そのときになって初めて。僕は初めて、ようやく見た。

 ゲームマスターの顔が、表情が、目が――愕然としたことを。


「変わった? まさか彼が……《傍観者》? そんな馬鹿な!? だって《傍観者》は何も出来ないんだぞ。声を発することすら出来な……え?」


 僕はその言葉を受けて、彼に向き直った。ここまでなら大丈夫。

 それから、苦しむように微笑んだ。その直後――


 あぁ、もう、歯を潰さなくていいんだ。もう、痛がっても……。


「が、ああ、ああぁあああぁぁああああああああああああああああああああ!」


 慣れた痛みが僕を笑い、頭を抱えてもんどりを打った。


 頭が割れるほどに痛い。床に転がる。それでどうにか痛みを外に逃がしたい。思考が真っ白になる。罰に見舞われる時間は七秒程度だ。その僅か七秒程度が、時間の相対性で酷く長く感じる。


 ようやく痛みをやり過ごし、息を落ち着けた。立ち上がると皆が注目していた。


 そう、《傍観者》は何も出来ない。見ていることしか出来ない。リアクションを返した瞬間、配役を逸脱しているとして死にそうな痛みが遣って来る。


「私が見た……本当に美しいものだ。明日夢は初日に変わっている。完全ENDのために。お前を騙すために。痛みを堪えていた」


 リピーターの僕が完全ENDへと向かう筋道は、幾つかあった。一つはゲームマスターの顔が割れていることから、心が今やっているように出来るだけ早い内に腕力で抑え込むことだ。ゲームマスターを封じ込めてから、皆に説明をする。


 それも計画の一つにあったが、その為には複数人の仲間が必要だった。揃えている内に奴は前回と同じように無敵になり、何処かに引き篭もるかもしれない。


 ゲームマスターが一人でも生徒を消したら、完全ENDは達成出来なくなる。必要なことはゲームマスターの配役の把握、奴が消すことが出来る生徒の掌握。その為の情報収集を行いつつ、ゲームが進行していると錯覚させること。


 依代は初日から《殺人者》である僕と一定の距離を置きつつも、注目していた。やり難くはあったが、心が僕に何気ない風を装って接触し、ある言葉を口にした。


『愛の反対は無だよ。さぁ、何か応えろ。傍観者に慣れ親しむ気か?』


 傍観者になれ。これが初日の、《限定ホームルーム》が終わった直後のことだ。

 言葉を失う依代を他所に、《オタク》が疑問を口にする。


「《傍観者》に? そうか、《主人公》の特記事項。だけどクラスからは毎日、人が消えていた。あれはどういうことなんだ? 皆が消し合っていたのか?」


「いや、そうではない。一人づつ監禁していったのだ」

「え……?」


 その反応に、心が《オタク》へと向き直る。


「すまんな《オタク》よ。我々は密かに情報を共有し合い、配役を確定させ、そこのゲームマスターに気付かれないよう、完全ENDを目論んでいた」


「さっきも口にしてたけど、完全ENDって……存在したのか?」


 決して隙を見せずに依代を抑え込みながら、心が応じる。


「誰も消えずに三十日を迎えれば、この馬鹿げたゲームのシステムが終わるそうだ。構築されたものが崩れる。しかし、ゲームマスターが生徒に紛れ込んでいるのはそういった都合もあるのだろうが、完全ENDを目指そうとするとそれを邪魔しようとする輩が必ず現れる。なぁ、そうだろゲームマスター?」


 地に這いつくばらされたまま、歯を食いしばり、ゲームマスターは拳を作った。


「そういった事態を防ぐため、我々は偽装工作を行った。まずは机に置かれた《花》だ。生徒が消えると翌日に現われるというソレは、学校中から花瓶をかき集め、庭の花をときに拝借し、或いは造花を作ってゲームマスターを騙した。《花係》にも協力して貰ってな。もっとも、ゲームマスターが《限定ホームルーム》の内容のみならず、誰が本当に消えたかをチェック出来る能力があればお手上げだったが……コイツの馬鹿笑いから察するに、それもなかったようだ。安心したよ」


 完全ENDを目指す過程には、様々な障害があった。一つが、ゲームマスターを本当に騙せるかというものだ。


『誰一人として消しちゃいけないのに、君は初日に皆に説明をするどころか、忠実に《殺人者》として消していってる』


 しかし、この依代の言葉で確信した。ゲームマスターが得られる情報にも、限りがあるのだと。


「そんなこと……俺は、知らなかった」


 驚き、言葉を失くしかけている《オタク》に、心が少しだけ心苦しそうに話す。


「いうなれば、二十八対一対一の戦いだ。我々にとって、推理オタクの君が現れたのは好都合だった。早い段階でゲームマスターが《いじめっ子》であるという確証は得ていた。そして君が《オタク》だということもな。《オタク》は誰からも消されず《いじめっ子》を消すことが出来るが、まさかゲームマスターが遅れを取ることもあるまいと、君を我々は野放しにしていた」


 そこで心は一度言葉を区切った。僕を眺め、依代を視界に入れ、再び《オタク》に目を遣る。


「すると君はある時から《主人公》を名乗り、ゲームをドラマチックにしてくれた。あぁすることで、本当の《主人公》に呼びかけていたのかな? いずれせによ感謝している。生徒同士の消し合いが無いと不自然になってしまうかと危惧していたが、ゲームマスターはしっかりと我々の対立に注目し、楽しんでくれていたようだ。微力ながら我々も君の元に配下を送り込み、《殺人者》と《主人公》の戦いを大いに盛り立てたという訳さ」


 その説明通り、心はゲーム初日から密かにクラスメイトと接触を図り、驚くべきスピードで仲間を作っていった。


 完全ENDという目標を皆と共有し、クラス内にはもう《殺人者》がいないことを告げ、ゲームマスターを騙しながら、最終的には誘い出そうと画策していた。


 主人公一派にスパイとして送り込んだ《人の良さそうな男》も、裏切ることは計画の内に入っていた。そうやって、《殺人者》と《偽主人公》の対立を作り、ゲームマスターの目を逸らさせた。


「なんだ……そうだったのか。皆、知ってて。じゃあ彼は、本当に人は消してないんだ」


 全てを知った《オタク》は、少しだけ寂しそうに笑った。


「そうだ、安心していい。この学校の各所を監視するシステムはないようだったし、《殺人者》が消したと思わせる必要があったクラスメイトは、体育用具室や保健室などにいる。下校時間の問題は、最初はこっそりと帰宅させていたが、《不良》の”校則に縛られない能力”を、《親友》の”能力共有”で親友になった者の間で共有し、寮に帰らなくても良くした。給食も《給食委員》がこっそりと運んでいた」


 そこにゲームマスターが割り込んでくる。


「だけど、いつだ、いつ!? いつ、そんな算段をしていた。ボクは全ての《限定ホームルーム》を監視していた。教室でもお前らの接触には注目していた。なのにお前ら、そんなことは一切話してなかっただろ」


 死に物狂いにも似た形相で叫ぶ依代に、ふんと鼻を鳴らして心が笑う。


「馬鹿が。お前はゲームマスターを気取りながら、ゲームのことを何も知らないな。油断し過ぎだ。リピーターが現われた時点で、ゲームマスター対クラスメイトの構図は描く必要があったのに、それすらも疎かにしている」


「な、なんだと、貴様」


 制圧されながらも折れずに、噛み付くように言う依代の目は血走っていた。それに対して心の黒目がちの瞳は、凪いだ湖畔のように静かだった。


「お前が把握しているものは何だ? 出席番号順であるところの生徒の本名。そして、お前がコントロールできないと言いながらも熟知していた配役。《限定ホームルーム》の内容。それら全てを私たちは逆手に取った。教えてやる。ゲームはな、ゲームが始まる前に既に終わっているんだ」


 そこまで述べると彼女は、不敵に微笑んだ。


「私の名前は神埼かんざきこころという。宝来家の、妾の子だ」



 * * *



 戦前から続く、古い経済団体がある。そこの昔からの幹部は、ある時から「クラスメイトゲーム実行委員会」を名乗る不気味な連中から、脅迫を受けていた。


 内容は、毎年二人の高校生の子弟をとあるゲームに差し出すこと。その委員会と経済団体の因縁や繋がりを、僕は知らない。脅迫に屈しないと、どうなるかもだ。


 ただ、宝来と財善の二人はそのゲームに去年、差し出された。財善は自ら志願して、宝来は父親から依頼を受けて。その前の年にも、他の人間が参加している。


 今回のゲームに僕は、財善の家の力を借りて潜り込んだ。幹部はどれも大企業とはいえ、現代における人権を持った人一人のことだ。代わりの人間を工面することは難しい。昇進を条件に社員の子供を出させることも、現実的に見えて非現実的だった。


 お金で海外の傭兵を雇い、高校に転入させるという嘘のような計画もあったらしいが、国際法の関係でどうしても非合法になる。子弟二人は悩みの種だった。


 海外の養子縁組、施設の子供、貧民街、昔からの幹部が色々と考えている中で、クラスメイトゲームの経験者である僕は、喜んで迎えられた。


 そしてこのゲームを終わらせる為に、再び宝来家から協力者として、宝来正臣の腹違いの妹が送り込まれた。


 聞くところによると、前回のクラスメイトゲームは穏便な方だったらしい。過去数回にわたって行われたゲームのうち、《殺人者》として帰還した者はいないそうだ。そのため、完全ENDの内容も知ることが出来ないでいた。


 それが今回は、完全ENDに辿り着ける可能性がある。

 それも全て、えみが教えてくれたから分かったことだ。


 僕たちと同じ歳だという神崎心とは、ゲーム開始前に直接会って話したことはなかった。ただ、様々な訓練を受ける過程で宝来とは頻繁に会い、話は聞いていた。


 恐ろしく頭が切れるが、妾の子ということもあり、幼少時代に本家の人間から苛められ、屈折してしまっているという話だった。


『でもな、親友。アイツは毎晩……風呂場で泣いているんだ。泣く練習をしてるんだ。小さいときにそれを知って、驚いた。どうやらその習慣は、まだ続いているらしい。どうしてなのか、オレにも分からない。二人で完全ENDを目指して欲しいとは思ってる。それがお前と咲ちゃんとの約束なら、尚更だ。だけど可能なら、心のことも見てやってくれないか。おっと、心という名前を教えたことは言うなよ。アイツ、自分の名前にコンプレックスを持っていてな、容易に人に教えたがらないんだ』


 そうして臨んだ、僕にとって二回目となるクラスメイトゲーム。


 神隠しのように参加者は浚われる。早朝の閑寂とした空気の中、僕は指定されたとある神社に来ていた。


 それが気付くといつの間にか、前回と同じように教室の机で伏せっていた。配役を告げられたとき、自分が《殺人者》であることに驚く。


 当初の計画では、《殺人者》と《主人公》を早々に見つけ出して説得し、《殺人者》を《傍観者》に変える予定だった。


 その筈が……自分が《殺人者》。全ての計画は崩れる。《傍観者》になると、僕は表立って動くことが出来なくなる。


 しかし、よく考えればそうではないのだ。死ぬほどの痛みを耐えれば、《殺人者》の振りをし続けることは出来る。後の問題は、自分にその覚悟があるかどうかだ。


 残念ながら、僕には圧倒的にあった。


 あの痛みは今も、喪失の悲しみと共に体が覚えている。連続で受け続けない限り、失神はしないだろう。幾らでも、耐えてみせるつもりだ。


 日直は、以前と同じように一番最初に回ってきた。相浦明日夢。通常の学校でも一番にならなかった試しはない。そのことに感謝せずにはいられなかった。


 《限定ホームルーム》で指名した生徒は四名。

 心、《保健委員》《花係》《親友》。


 配役の見極めは、朝礼の途中である程度は終わっていた。


『《花係》はどういう役割なの? 花に水をやっていればそれでいいの? 《生き物係》は? この学校に生き物はいるの? 《幼馴染》《親友》《ライバル》、それって何? どうすればいいの? 《親友》は《主人公》を見つけて傍にいなくちゃいけないの?』


 時や場所は違ったけど、宝来家と財善家の力を借りて、僕と心は其々に特殊訓練を受けていた。実践心理学の一つである、”アイ・アクセシング・キュー”と呼ばれるそれもプログラムには入っていた。


 FBIなどでも採用されているテクニックで、目線の置き方や目の動きで、完全ではないが相手の心理を判断する。緊張している初日の《朝礼》のことだ。自分の配役を口にされた生徒は、必ず何かしらの反応を見せる。それを見抜いた。


 人称や髪型を変えたのは、ゲームマスターに存在を隠しているという印象を与えるのと同時に、クラスメイトの印象を操作するためだ。


 初日に開催された《限定ホームルーム》。心との接触は初めてとなるが、予め決めていたサインで配役を伝えると、微かに彼女の表情が揺れる。サインが返って来た。


 《主人公》


 彼女が、咲が……どこかで見てくれていたのだろうか。この上ない配役だった。思えば《殺人者》にしてもそうだ。わざわざ見つける手間が省けた。精神の、心の痛みに比べれば、体の痛みなど何でもないのだから。


「僕は、この《限定ホームルーム》が監視されているということを、知っている」


 開口一番、集まった四人に向けてそう告げる。

 心を除いた三人は訝っていた。


「そして……それを終わらせたいと、本気で思っている」


 それから三人に色々と質問をされたが、僕はその全てに応じなかった。


 沈黙は人に物を考えさせる。その二言で十分に伝わった筈だ。僕が、このゲームが初めてじゃないこと。そして、このゲームを終わらせたいと本気で考えていること。


 無言の中、やがて三人から決意の籠もった眼差しを感じ始める。


「おい、お前」


 それは、心からも感じていた。

 切れ長の目をした、泣く練習を毎晩しているという、美しい女性を眺める。


「お前は、本当にそれで良いのか?」


 彼女は婉曲的に尋ねていた。《傍観者》として本当にやっていく覚悟があるのかと。パートナーがいるとはいっても、発言する場面は少なからず出てくる。痛みを噛み殺せるのか。そうまでしてやる覚悟があるのか。暗にそう聞いていた。


「尻尾を巻いて逃げればよかろう。片隅で震えているのでも構わん。このゲームを通じて、お前に何か得るものはあるまい。痛みしかお前は得ることは無いだろう」


 彼女がこのゲームに参加した動機は不明だった。自ら志願したと聞く。何が彼女をそうさせたのか。本家の人間に自分を認めさせたかったのだろうか。


「うん、そうかもね」


 僕が気負いなく応じると、「ほぉ」と心は少しだけ意外そうな顔をした。


「それでも、構わないと?」

「構わない」


 改めて確認するまでもなかった。

 自分の自由意志は、自分で選び取る。


「自分の自由は、自分で決める。もう、決めたことだ」


 すると心は、笑った。大きな声で、とても愉快そうに。


「自分の自由は自分で決める……か。悪くない言葉だ。私の名前は神埼心という。皆は神埼と呼べ。そしてお前よ、お前は私のことを心と呼ぶのだ。いいな」


 そう述べると彼女は不敵に微笑んだ。

 僕は一度瞑目した後、頷く。


「僕の名前は、明日夢だ」

「明日夢か、良い名前だ。明日の夢。お前が、私たちの明日の夢となることを望んでいるぞ」


 そうやって《限定ホームルーム》は終わった。

 ただ彼女にその後、あんな形で迫られるとは思ってもいなかった。


 アイラブユーと、告げることになるとも……。



 * * *



 ゲームマスターの依代贄は激しく抵抗した。《主人公》の心を再び消そうとしたが、クラスメイトに取り押さえられ、拘束された。


 そのことに《いじめっ子》の彼は死ぬ程の痛みを味わっていた。


「くそっ……もう少しで”管理者”になれたっていうのに」


 痛みから立ち直った後の、その台詞が印象的でもあった。


 当日の内に彼は体育用具室に監禁される。《親友》とお互いを名前で呼ぶという親友関係を無理やり結ばされ、能力を共有して残りの日数をそこで過ごすことになった。


 実質的に、ゲームはこれで終わった。


 保健室や体育用具室、放送室に閉じこもっていたクラスメイトが出てきて、教室に集まる。《傍観者》を除いた皆が快哉を叫んだ。


 それからの日々は、比較的平和に過ぎていった。


 《主人公》を演じていた《オタク》の彼には悪いことをしてしまった。その思いでノートに謝罪の言葉を綴り、渡すことなくそれを彼の机に置く。


 そうすると《傍観者》でも相手と意思疎通を図れることが分かっていた。暫くするとノートが自分の机に戻って来る。ページを開くと几帳面な字でこう書かれていた。


「失敗するのは人の常だが、失敗を悟りて挽回できる者が偉大なのだ。という誰かの格言」


 思わず微笑んでしまった。それは確か、シャーロックホームズの言葉だ。彼は本当に推理オタクだったのかもしれない。


 その文章を読んでいる最中に、ふらりと彼が現れる。視線を上げると僕に向けて微笑んだ。微笑み返せないことが申し訳なくて、ノートに感謝の言葉を記す。


 それからも彼とは、ノートを介すなどして色んなことを話した。


「いつか、神埼さんがカルネアデスの板の話をしたことがあったよね」


 ある日の放課後、彼が窓の外を見ながら言う。


「このゲームを俺は、最終的にはあの船乗りみたいに、皆を助けるために一人の《殺人者》を蹴落とすゲームだと思っていたよ。そして、出来るなら俺はそいつと一緒に海の底へと沈んで行きたかった。憐憫と取られるかもしれないけど、それくらいしか俺に出来ることはないからさ」


 言葉の意外さに驚き、憂いを帯びた彼の瞳を見ようとする。

 その視線に気づいて彼が振り向いた。


「でも君たちは、誰も蹴落とさなかった。そういう終わり方もあったんだ。これはカルネアデスの教室なんだって、そう思ってたけど……そうではなかったんだ」


 思わず僕はノートに「君も、何かあったの?」と綴った。

 それを確認した彼は、首を横に振る。


「逆だよ。何も無かったんだ。本当に驚くくらい、何も。何者かに憧れ、何者かにななろうとしたのに。俺には傷も才能も、何も無い。空っぽだった。だからひょっとすると、このゲームでくらい《主人公》になりたかったのかもしれないね」


 改めて、人の数だけ人生があり、それに纏わる過去や希望、願いがあるのだと知った。


 初日以降顔を合わせていなかった《図書委員》の彼女とも、また会った。


 お疲れ様と、彼女は僕に微笑みかけた。彼女ともノートを通じて色んな話をした。好きな作家やお気に入りの小説のことなど、そんな、ありふれた普通のことだ。


 ペンを動かしている途中でふと、幻の風のようなものを感じて顔を上げる。どうしたの? と、目の前の《図書委員》は笑っていた。


 彼女は少し、咲に似ていた。

 

 三十日まで、ゆったりとした時間が流れた。皆は自己紹介をしたり一緒になって遊んだり、学生らしく時間を潰していた。それを遠くから眺める。


 ゴスロリ装束の《霊感体質》の女の子が絡んでくることもあった。大人びた《ライバル》の女性が腕を取ってくることもあった。


 二人とも同じく保健室にいて、いつの間にか、仲睦まじく喧騒を重ねあう間柄になっていたみたいだ。


「煩いぞ貴様ら、明日夢からさっさと離れんか!」


 その間、心はずっと僕の傍に居た。


 彼女と文章の遣り取りをすることはなく、一方的に僕が話を聞いていた。自分だったらどう完全ENDを成し遂げるかなどを、頷けない僕に心が話す。


「私だったらまず、ゲームマスターを早めにどうにか拘束するな。その後に生徒たちに事情とルールを説明する。つまり、最初に必要となるのは《体育委員》だ。ゲームマスターの持ち物に《エロマスター》によってエロ本を混入させ、《風紀委員》に取り締まらせるのも良いかもしれん。あとは護衛に《不良》だ。何ならそいつに、体育用具室まで引っ張っらせても――」


 やがて最終日が訪れる。


 心とは現実世界で会う約束をした。お互いに報告することもある。ゲームマスターは一人ではなく、ゲームも一つではないのかもしれない。


 一つのクラスメイトゲームを潰しても、それで終わりじゃない。


 偽名を使っているゲームマスターの依代贄は、そのことを決して話そうとはしなかった。


 心が誰にも消されてしまう《主人公》である関係上、僕は手荒そうな生徒を数名連れて、依代から情報を引き出そうとした。しかし彼はゲームマスター権限であらゆる理不尽な指摘をして罰を与え、監禁するだけでも精一杯な状況だった。


 僕も《傍観者》である以上、会話で誘導してゲームマスターの口を割らせることは出来ない。このゲームが終わったら、依代を再び野に放つことになる。


 悔しいが、これが今回の調査の限界だった。


 三十日目の帰りのホームルームが終わると、クラスメイトは直ぐには寮に戻らず、七時の刻限が迫るまで色んなことを教室で話した。


 門限が間近になる。僕と心は、寮へと戻るクラスメイトの列の最後尾に居た。寮の前に辿り着き、扉を開けようとする間際に彼女が言う。

 

「明日夢、よくやったな」


 宝来とは似ていない、だけど、やっぱり何処か似ている彼女に向き直る。

 何故か、咲の笑っている顔が脳裏を過ぎった。


「……ありがとう」

「ん? なんだ?」


 相手に届かない程に掠れた小さな声は、僕の頭を痛ませはしなかった。


 何でもないと伝えるように、頭を左右に振る。

 そうか、と心が頬を緩めた。




 そうやって、一つのクラスメイトゲームがその日、終わりを迎えた。

 闇の淵に溜め込んだ人間を、世界へと還して。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る