08.相浦 【五日目 八時三十三分】



 俺が葛藤している間に、クラスの三分の一近くがあっという間に消えていた。


 そして奇妙に保たれていたある種の均衡は、無敵の状態になった者が現れることによって、崩される。


 それは《朝礼》が始まる少し前の時刻だった。皆が席について、ゲームマスターの声がスピーカー越しから流れてくるのを待っていた。


 その最中に誰かが立ち上がる。俺の列の一番前の席だ。

 静寂を切って、澄んだ声が響く。 


「私……上がりました。ごめんなさい」


 《美しい女》だった。清楚さと潔癖さを兼ね備えたような。


 クラスメイトはその事態を、密かに予期していたのかもしれない。今日登校したら、《学級委員》の席の上には《花》が置いてあった。


「ひゅ、ひゅ~~~! 《高嶺の花》ちゃん、マジ、半端ねぇ!」


 意の一番に彼女の声に応じたのは、《陽キャ》の男だ。配役を声に出す。そして、恐らくそれは当たっている。


 ここ数日、クラス内は疑心暗鬼で満ちていた。《生き物係》が投げた石は、直接的な被害に留まらず、クラスを静かに蝕んでいた。


 誰に攻撃されると自分は消されるのか。それは誰と結託すれば防げるのか。あるいは《殺人者》からの無差別攻撃を防ぐために、誰を消せば良いのか。


 あいつを消せ。あいつは○○の配役だ。そういった言葉が教室内で飛び交う。


 一方で、クラスメイトは徐々に消耗し始めてもいた。エミも日に日にその表情に、陰りを落とすようになっていた。


 そんな状況の中で《高嶺の花》が、《陽キャ》に向き直る。


「黙りなさい、《偽陽キャ》」

 

 偽、陽キャ……?


 一瞬、彼女が何を言ったのか分からなかった。それは《陽キャ》を名乗っていた小太りの男も同じようだった。


「え? なに、え? ちょ、《高嶺の花》ちゃん厳しいわぁ。マジ厳しいわぁ」

「私はアナタが嫌いです。咄嗟とはいえ、真っ先に嘘を吐いたアナタが。状況を利用し、ゲームの虜になっている、アナタが」


 彼女が壁掛け時計を見る。《朝礼》開始まで七分あった。つかつかと《陽キャ》の元に歩み寄ろうとする。


 男は何かを必死になって言っていた。《高嶺の花》はその全てを無視する。


「ぼ、僕が嘘付きだって? 冗談きついわ、マジ冗談きついわぁ」


「アナタは《陽キャ》じゃない。嘘を吐いていたことは明白よ。一度に七人が消えた日。《ガリ勉》《生き物係》《放送委員》《ひきこもり》《保健委員》《エロマスター》、後は素性がはっきりしない生徒が一人。《ガリ勉》とその一人を除き、消えたクラスメイトには特徴がある」


 《高嶺の花》が応じていると、俺の隣の席の《眼鏡の男》が呼応するように言う。


「配役が、他の人間にバレていた奴ら……だな」


 教室の視線が、一度に男に集まる。彼は人を引き付けるようにゆっくりと、その上で確かな口調で話す。


「《生き物係》は俺が指摘した。《放送委員》は自ら口にしてしまい、《ひきこもり》と《エロマスター》は明らか過ぎた。《保健委員》も役割に縛られていた。あとは皆が知っている《給食委員》もいるが、無くてはならないライフラインだ。素性を明かした者には他に《学級委員》と《不良》がいるが、他にももう一人いた」


 男はそこで一度、言葉を区切った。


「お前だ。《偽陽キャ》」


 指摘された《陽キャ》を名乗っていた男の口がそのとき、「ふひっ」と奇妙な音を漏らした気がする。


「事実、《陽キャ》を消せるはずの《陰キャ》と睨んでいた人間が消えた。《殺人者》が消した可能性もあるが、《殺人者》にとってクラスメイトは生存のための限られた餌だ。配役が判明している生徒が消されることは、消された生徒と消した生徒の二つの餌を失うことになる。なら配役が判明している生徒を消すほうが自然だろう」


 《眼鏡の男》は、まるでサラリーマンが報告書でも読むように淡々と続ける。


「あるいは《いじめられっ子》が消したのかもな。ただ俺は今、お前の反応を見て確信した。やはりお前は、嘘を吐いていたと。そうやって《陰キャ》を自滅に追い込んだのだろう。初日から嘘を付き続けるとは大したものだよ。なぁ、嘘つき男?」


 《朝礼》が始まる前の教室は今、《高嶺の花》と《眼鏡の男》に支配されていた。《偽陽キャ》と呼ばれた男の目の前で、《高嶺の花》は腕を組む。


「アナタは誰? 《リア充》? 《ライバル》? 《親友》? それとも――《殺人者》なの? 私はもう、誰にも消されない。だから表立って《殺人者》を突き止めることにした。それで終わらせる。この、ふざけたゲームを」


 そう彼女が告げると、馬鹿笑いする人間がいた。《偽陽キャ》だ。


「あ、あははははははは! あぁ、おっかしい。そうかい、そうかい、そうかい、そうかい。せっかく君も可愛いんだから、僕のハーレムにいれてあげようかと思ってたのにぃ。何だよ、それぇ」


 《偽陽キャ》の言葉に、《高嶺の花》が険を深くする。


「それは、どういうこと」

「えぇ、何がぁ? なになにぃ、ひょっとして、全ての言葉に意味があるとか思っちゃってる人ぉ? 伏線マニア、おつぅ!」


「……アナタが、《殺人者》なの?」

「はぁ? 僕がぁ? ざぁんねん。違いますよぉだ。まぁ《陰キャ》を自滅に追い込んだから、ある意味では《殺人者》かも。だけどさ、殺そうとした人間を殺すのって罪なのかな? ねぇねぇ? どうなの?」


 正当防衛という言葉の成り立ちに、思わず考えを及ぼしそうになる。誰が悪いのか。最初に嘘を吐いたことか、それとも我が身可愛さに消そうとしたことか。


 クラスメイトの何割かは、そんな風に考えていたんじゃないだろうか。それに対して、《高嶺の花》は自ら《学級委員》を消している。


 だが、本当にそうなのか? そうだとして、今まで消さなかった理由は? ひょっとして、《学級委員》が消えていたという今の状況を利用しているのか? 

 

 目は自然と《花》が置かれた《学級委員》の席に向けられる。

 その間にも《高嶺の花》と《偽陽キャ》は向き合っていた。


「アナタはさっきから、一体、なにを」

「クッソつまらねぇからだよ。元の生活がさ。それが、なに? この世界、最高ジャン。消したり消されたり、疑心暗鬼になったり。もうさ、笑っちゃうよね。僕が我が物顔して、普通に学校に来れて、なんか馬鹿みたいに騒いで、それで、人を消して。おまけに君みたいな可愛い子とも喋れて。《高嶺の花》ちゃん、ぺろぺろぉ」


 《偽陽キャ》の男は錯乱していた。そうとしか思えない。《高嶺の花》に向けて手を伸ばす。その手が一瞬にして捻り上げられた。


 何が起こったのか分からない。気付くと《偽陽キャ》が《高嶺の花》に机に押さえ込まれ、苦悶の声を上げている。


「いた、いたたたたたっ! なんだよ、反則だろ。い、いたぁ! おい、《高嶺の花》がこんなことして、本当に良いとでも思ってるのか!?」


「残念ね。良いに決まってるじゃない。何せ、触れられない存在なんだから。合気道の一つくらい習っていても可笑しくは無いでしょ? ねぇ?」


「いだい、だあぁあぁあ! 止めろ、何するんだ」

「もう一度、言います。これはクラスの皆さんに言っていることです。私はこのゲームを収束させます」


 確固とした意志を感じさせる彼女の言葉を受け、俺は思わず立ち上がっていた。


「そうしよう。俺も、協力する」


 様々な視線が絡み付いてくる。伺ってばかりいて、話したことがない人間が殆どだ。臆しそうな心を叱咤し、毅然とした態度を作ろうと努めた。


 《高嶺の花》はそんな俺を視界の内に認めると、《偽陽キャ》の手を離した。悪態を吐く彼を一瞥して黙らせると、俺に向き直る。


「アナタは……誰なの?」


 その言葉に、前の席のエミも俺へと顔を向けた。不安そうな顔をしていた。


 まだ彼女にも、俺の配役は告げていなかった。しかし思えば、こうなることは必然だったのかもしれない。


 このゲームを収束させるために、いつか必ず、俺は自らを名乗る必要があった。


「俺は……俺は《主人公》だ。特記事項に則り、俺は今、主人公宣言をする」


 猜疑が渦巻かれていた教室で、そのとき、微かに光るものを見た気がする。



 * * *



「主人公宣言を受諾します。条件、現存するクラスメイトの三分の二以上の前で、自らを《主人公》と名乗ること。続いて《主人公》の配役を改めて確認します。《主人公》は誰からも消される存在です。これを消した場合、消した生徒は《殺人者》からは消されなくなります。ある例外を除き、《主人公》が自らの特記事項をいかなる手段で以っても他のクラスメイトに伝えた場合、《主人公》は消えます」


 自らの配役を明かすと、スピーカーからはゲームマスターの無機質で不気味な声が響いた。


 やがて《朝礼》が始まり、俺たちは席に着くことを余儀なくされた。ゲームマスターの聞き慣れたくなかった声が再度響き、恒例のルール説明がなされる。


 その間中、俺はクラスメイトからの視線に晒されていた。


 恐ろしかった。自分が丸裸となったようで。今、誰かが俺に「消えろ」と言葉をぶつけたら、その瞬間に俺は消される。主人公ENDはなくなる。


 俺は今日まで、《限定ホームルーム》に呼ばれても頑なに素性を明らかにしなかった。《主人公》の喪失は自分だけのことじゃない、クラス全体に関わることだ。


 だけどもう、ゲームを人任せには出来なかった。皆が皆を疑い、誰かが誰かを消せ等と呟き合っている。


 今日までに、何人の人間が消えた? 一人だから安心した?

 存在の重さに、一人も二人もない。


 俺はいつの間にか、そんなことも気付けない人間に成り下がっちまっていた。


 《殺人者》を除いたクラスメイトじゃない。俺は、《殺人者》を含めたクラスメイトを救う方法を持っていた。ただその方法は俺だけが知っていて、他の生徒には明かすことが出来なくなっている。それが、自分の取るべき行動を迷わせていた。


 でも、俺は戻らない。後戻りは、しない。


 《朝礼》が終わり、一時間目の授業まで僅かな休み時間が挟まれる。俺は立ち上がった。皆の注目は、さっきから痛いほどに集め続けている。


「先ほどの話の続きだが、俺は、本当に《主人公》だ。なかなか名乗れずにいて済まない。実は今も、怖い。何が怖いのか? 自分が消えてしまうことか? それも勿論ある。でもそれ以上に怖いのは、俺が消えることで《殺人者》を救えなくなることだ。そして、毎日のように誰かが消えていく中で、三十日を皆が疑心暗鬼で過ごすしか手段がなくなることだ」


 静寂が肩にのしかかり、俺は息苦しさを覚え始める。それどころか、寒さを感じるようにもなってきた。人間の体の、不可思議さを思う。


「今にも、誰かが立ち上がって俺を消そうとするんじゃないか。そうしたら、主人公ENDは達成できない。それが、怖かった」


 軽く息を吐き、続いて大きく吸い込む。決意が俺の中にまで深く入り込むように。


 俯きかけていた顔を上げると、クラスメイトが、同年代の人間たちが、仲間となるかもしれない奴らが俺を見ていた。


「だけどもう、俺は恐れない。これ以上、クラスに疑心が渦巻くのは嫌なんだ。俺たちは、たまたまここに集められただけの間柄かもしれない。だけど皆、誰かの大切な友達であり、誰かの子供なんだ。悲しむ人がいるんだ。もう、止めよう。お互いを疑うのは、消し合うのは」


 俺が言葉をそうやって紡いでいると、馬鹿にしたような声が上がる。《偽陽キャ》の男だ。


「それで? 皆でゲームクリアをするために、一人の《殺人者》を犠牲にしようと? 《殺人者》以外の皆で、このゲームを終わらせようと。そういうことなの? 君の救うって言葉が尊過ぎて、爆笑不可避なんだけど」


 俺の言葉を直ぐには信じられない人間も多いだろう。穿うがった見方をする奴がいるのも当然のことだ。


 だが、どうにかして伝えるしかない。届けるしかない。特記事項や特殊能力について、口にすることが禁じられていたとしても。


 信じてくれ。その言葉だけしか、クラスメイトにも《殺人者》にも伝えられないとしても。


「主人公ENDは、《殺人者》を犠牲にしない。それに俺は、《殺人者》のことは可愛そうだと思っている」


「はぁ? なにそれぇ、どういうことぉ?」


 対峙するように《偽陽キャ》へと体を向ける。


「だって、そうだろ? 《殺人者》だって、消したくて消している訳じゃない。仕方なく、自分が生き残るためにやっているんだ。人を消さずにお前が一番初めに犠牲になれよって、中にはそう思う奴もいるかもしれない。俺だって、それは思ったさ。でも、生きるって人間の本能的な部分だろ? それを否定するのは無理だ。それは自殺と一緒だ。だから《殺人者》は葛藤しているはずだ。毎日、苦しんでいるはずだ」


 一連の言葉を吐き出したとき、俺は自分の中に眠る感情に気付いた。それは《主人公》という役割を持ってから、気付かれたがっていたかのように確かにそこにいた。


「それで、私達の《主人公》さん。アナタはどうしたいの? 先ほどのゲームマスターの説明からも、特記事項について口に出せないことは分かった。でもアナタは二度も《殺人者》を救うと言った。どうやって?」


 視線を向けた先には《高嶺の花》がいた。彼女が動かなければ、情けないことに俺はいつまでも主人公宣言を出来なかったかもしれない。


 感謝とその行動力への少しの嫉妬と、そんな不可思議な感情を抱いたまま応える。


「主人公には特記事項が二つある。一つは、主人公ENDについて。そして、もう一つ。これは特殊能力だ」


 俺の言葉に、《高嶺の花》が神妙な顔つきとなる。


「この能力は、《殺人者》を今の状況から救い、馬鹿げたゲームを早く終わらせる手段でもある。内実は語れない。ただ俺を信じてくれとしか言えない。だが、《殺人者》がもう人を消さなくても良くなる手段だ」


 結局、人間のことは全てこれに尽きるのかもしれない。話し合うこと。お互いの立場を明らかにし、相手を尊重しながらも、言葉を重ね続けること。


 それが、クラスメイトゲームに生きる人間の道なのかもしれない。そう思いながら、俺は告げた。


「《殺人者》、俺と話をしよう。それで、一緒にこのゲームを終わらせよう」


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