07.明日夢【四日目 十五時十二分】

 


 人間とは、どんな悲惨な環境にも慣れる生き物である。


 確か、そんなことを言っていた作家がいた。誰だっただろう。あの《図書委員》の子に聞けば、それも分かっただろうか。


 益体も無いことを考えながら、僕は授業に参加していた。


 教室には確実に《花》が増え始めていた。時々聞こえる、クラスメイトたちの声。色々と憶測を交し合っているようだけど、殆ど聞き流す。


 ふと、授業の最中に一人の少女が僕を見ていることに気付いた。《魔女》じゃない、《霊感体質》の少女だ。目が合うと慌てて彼女は視線を逸らした。


 その日の朝、僕は彼女の指名で《限定ホームルーム》に呼ばれていた。


「我が求めによくぞ集まってくれた、四人の勇敢なる戦士達よ。これも全て、霊の導きである!」


 始まるなり、日直がそう口にする。改造した制服を身に纏う、アッシュグレイ色のウィッグを被ったゴスロリ少女だ。


 発言からして間違いなく《霊感体質》だった。彼女が人に向けて喋っているところは初めて見た。鬼の首でも取ったかのように興奮している。


 召集されたメンツを見てみると、僕以外には《花係》のおかっぱ髪の少女がいた。


 身なりをあまり気にしていない《オタクっぽい風貌の男》と、《傍観者》と見当をつけていた、ボーイッシュな女の子もいる。


「単刀直入に言おう。霊の導きのもと、共に手を取ろうではないか!」


 その一言で、《霊感体質》が何を考えているのか直ぐに理解した。


 地味な配役同士で同盟を組もうというのだ。配役表を見極めなければ見えてこないが、地味な配役はお互いを消し合うことがない。


 《傍観者》     何も出来ない

 《オタク》     いじめっ子を消すことが出来る 

 《いじめっ子》   いじめられっ子を消すことが出来る 

 《いじめられっ子》 陰キャを消すことが出来る

 《陰キャ》     陽キャを消すことが出来る


 その集まりに呼ばれたということは、どうやら彼女は僕のことを《いじめられっ子》と目論んだようだ。


 実際にそれから《霊感体質》は同盟を結成し、消せる者たちの情報を共有しようと提案して来た。


「我の目は三次元世界を越え、四次元、五次元を見通すであろう! 霊が見えていることが何よりの証拠。この絶対魔眼霊視の力は、伊達ではない」


 口を開いてみれば、こんなにも多弁な少女であったのかと驚く。厨二病という本来の性格に独自の解釈をプラスしてか、《霊感体質》は活き活きとしていた。


 そんな彼女の狙いは悪くなかった。地味な配役の強みはそこにあったからだ。


 同盟は手当たり次第に人員を増やせば良いという訳ではなく、グループにおける相互利益と安全保障を図ることが重要となって来る。


 武力行使を恐れる国家間の安全保障も、クラスメイトゲームの安全保障も根本では変わりがない。


 そういえば彼女は、ホームルームなどの時間で授業用のノートに向かって何かを必死に書き込んでいた記憶がある。


 ゲームを理解しようと努め、戦略的に動かしていく。《霊感体質》の方法論は間違っていない。


 ――ただ一つ、配役を見誤るという過ちさえ犯さなければ。


「誰とは言わぬ。しかし、《いじめられっ子》は大変ではないか? 私には良く分かる。アイツら、人をオタクだとかキモいだとか散々言ってくれちゃって……っと、失礼、霊が悪さをしたようだ。だが、《オタク》であればそんな《いじめっ子》を消すことが出来る。何故か《オタク》は他の者から消されぬしな。どうだろう、それは最良の選択肢といえるのではないか? 我が絶対魔眼霊視は、そう告げておる」


 《霊感体質》は僕と《オタクっぽい風貌の男》を見つめながら、そんなことを言う。僕を《いじめられっ子》と見なしての発言だろうが、それは間違いだ。


 隣の彼も実は《オタク》ではない。与えられた配役は《掃除係》だ。分かり難くはあったが、僕は彼がこっそりとゴミを拾っている場面を何度も目撃していた。


 しかし、それを彼は悟られてはならない。


 何故ならここには《掃除係》を消せる《花係》が召集されているからだ。思えば寡黙な《花係》も、《陰キャ》と間違われた可能性もある。


 《花係》の正体を知ってか知らずか、《掃除係》は《限定ホームルーム》の間中、「ふむふむ~でござりますな」等とアナログなオタクっぽさを必死に演じながら、制服についた糸クズをこっそりと集める等して奮闘していた。


 一方、《傍観者》だろう女の子は目を閉じて口を開かず、頷きもしなかった。制約の関係だ。発言をしただけでも罰に見舞われる可能性があると、察しているのだ。


 結局は団結する約束も得られずに、今朝の《限定ホームルーム》は終わった。


 何も収穫が無かったかといえば、そうでもない。《霊感体質》の積極性は危険な面があった。早く知ることが出来てよかった。


「うぉっほん。それで、お主はどうかの?」


 三時間目の休みが始まると暫くして、《霊感体質》が話し掛けに来た。彼女は先程掃除係とコンタクトを取っていたが、捗々しい反応が得られた様子は無かった。


 そうなると彼女はただ、自分の配役を晒しただけになる。

 僕が何も応えずに視線を逸らすと、動物的な叫びを彼女は上げた。


「んなあぁあ! どうしてだ、どうして誰も我の言うことに耳を傾けんのだぁぁ!」


 その声に反応して、《霊感体質》の背後に忍び寄る人物が居た。


「煩いぞ、《霊感体質》のカツラ女」


 《魔女》だ。彼女は不敵に微笑むと、僕の髪にするように《霊感体質》のウィッグを掴んだ。それに少女が必死に抵抗しようとする。


「え? ちょ、何をする。や、やめろ。それに私は《霊感体質》ではない」

「お前は配役を楽しみ過ぎだ。壁に向かってブツブツと時折呟きおって。まぁいい、少し話がある。こっちに来てもらおうか」


「あ、や、やめてぇ。殺される。いやだ、いや、いやぁぁああ!」


 《霊感体質》は叫びながら《魔女》に浚われていった。戻って来た時には何を聞いたのか、僕を見ると一瞬だけ緊張したような表情となったが、大人しく席に着いた。


 四時間目が終わり、昼食を挟む。五時間目を何事も無く終えると、六時間目は体育だった。


 黒板に指示が浮かび上がる。男子は校庭の隅にある部活棟に赴き、ロッカーに用意された運動着に着替える。女子は体育館脇にある更衣室で着替えろとのことだ。


 違う制服に身を包んだ僕たちが、同じジャージを身にまとう唯一の時間だ。男子は校庭でサッカーを。女子は校庭脇のテニス場でテニスを行うようにとの指示だ。


「っていうか、俺たちに週末とか祝日ってないの?」

「勤勉に殺し合えってことだろうな」


「ははっ、笑えねぇ」

「まぁ気晴らしにボールでも蹴ろうや」


 最初はやる気がなかった皆だが、校庭でボールを蹴っている内に楽しくなってきたようだ。折角なので半分に分かれ、試合をしようという流れになった。


 そんな時でも、僕は配役を見極めようとした。分かり難い配役は多い。率先して審判を買って出る者。果敢に攻める者。守る者。そもそも参加していない者。


 今、一人の男子生徒がシュートを狙い、あと少しというところでネットから反れた。ボールが遠くに転がる。笑顔が似合う、《爽やかそうな男》だった。


「ねぇ、君ぃ!」


 彼が人懐っこい顔で微笑むと、比較的ボールに近い位置にいた僕に言う。


「とって来い」


 その言葉に、何名かが笑ったり眉をひそめたりしていた。

 僕は頷いて、走ろうとして転んだ。


「お~い、真面目にやれよ。ははは、殺すぞ」

「お前さ、それ、流石に言い過ぎじゃないか?」


 僕は暫し、グラウンドの感触に抱かれていた。そうやっていると、何かに許されている気がした。爪を立てて、地面に跡を残す。


 爪の中に土や小石が入ってくる感触が、気持ち悪くて痛かった。立ち上がり、ボールを探す。見つけたら《爽やかそうな男》に向けて蹴った。


 それから走ろうとして、また転ぶ。

 笑っていた。何人かが呆れたように。


「そんな長い前髪してるから、転ぶんだよ」

「無理しないで、保健室行って来るなら行って来いよ」


 保健室には行かないが、好意に甘えて手を洗おうと水洗い場に向かうことにした。誰かの囁きに似た声を遠くに聞く。


「アイツ……《いじめられっ子》かな」

「だとしたら、《陰キャ》が……」


 水洗い場に行くと、体操着の《魔女》がいた。テニスラケットを持っている。


「可愛そうに、苛められたのか。お前を苛めて良いのは、私だけの筈なのにな?」


 無視して、手を洗う。

 髪を掴まれた。「私を見ろ」と、彼女が無理やり目と目を合わせる。


「時にお前は、悪とは何だと思う?」


 僕は流れる水の音を聞きながら、黙って彼女の瞳を見ていた。日本人は茶色の虹彩が殆どだけど、彼女は珍しい色をしていた。黒いのだ。


「例えば、”尺度”という観点から見てみよう。するとそれは”適度さを持たないもの”になる。限度から見ると”限度を持たないもの”だ。自足的なものから見ると”常に不足を感じているもの”。このように様々な面を持つ。”規則を守らないもの”、”静止しないもの”、”偽るもの”、といったようにな」


 言い終えると、《魔女》は僕の髪から手を離した。


「だが、もう一つの定義もある。”いつか打倒されるもの”だ。”復活するもの”とも言えるがな」


 それで満足したのか、彼女は踵を返すと去って言った。

 この距離なら聞こえないだろうか。耳を澄ませば、聞こえるだろうか。


「鋳型に入れたような悪人は……」


 僕は一人で呟く。誰かの「こころ」を。


「鋳型に入れたような悪人は、世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです(※1)」


 何の役にも立たない言葉は水の音に紛れ、何処にも留まることなく、排水溝めがけて落ちていった。


「アンタ、根っからの《いじめられっ子》だね。ムカついたりしないの?」


 その視線には、随分と前から気付いていた。ゆっくりと振り返る。


 髪を茶色に染め、制服に独自の着こなしが見られる《ギャルっぽい女の子》が、目の前に姿を現していた。


 授業をよくサボっている彼女の配役は、見抜き難い。


「無視かよ。まぁ、いいけど。そういえば、昨日もまた誰かが消されたっぽいね。人を消すのってどんな気分なのかな? ねぇ、どう思う?」


 カラーコンタクトで彩られた、《ギャルっぽい女の子》の目を無言で見つめる。そこは口ほどに物を言う。


 相手を計るかのように、お互い数秒間見つめ合った。何かに驚いたのか、少しばかり《ギャルっぽい女の子》の目が開かれる。彼女が鼻から息を抜くように笑った。


「アンタ……実は結構、男前? その冷徹そうな目、ぞくぞくするよ。いいじゃん。それに口が軽くない男は嫌いじゃない。私の能力、教えてあげる。能力の奪取。ねぇ、誰のを奪うのが一番だと思う?」


 沈黙は金だ。耳より口の数の方が少ないのに、人は聞くことよりも、話すことを選びたがる。そして今、重要なことを彼女は漏らした。能力の奪取。


 頭の中で自分だけの配役リストを開く。彼女が《ライバル》か《リア充》だった場合、計画として消しておいて問題はない。あの一言は決定的だった。


 彼女は《ライバル》だ。


「《学級委員》は、特記事項として臨時ホームルームを開ける……ようだ。規模は、分からない」


 そう述べると、《ライバル》は眉を上げ、続いて口元を引き絞った。


「臨時ホームルームか。悪くないね、それ」


 消そう。彼女を今日、消そう。覚悟を決めながら拳を握り込む。歯が磨り減ってしまうことを厭わず、奥歯を噛み締めた。


 アスリートと比較するのはおこがましいが、例えば時速百五十キロの硬球を打ち返すとき、奥歯には数百キロから一トンものエネルギーが掛かるらしい。


 現役を引退する頃には、ある種の野球選手は歯がボロボロになる。

 彼らには到底及ばないが、僕も打ち返すんだ。痛みを。奥歯なんて安いもんだ。


 再び《ライバル》に焦点を合わせる。彼女は野放しに出来ない、危険な存在だ。今朝の《霊感体質》とは違った戦略性を持っている。


 このクラスメイトゲームでは集団としての仲間も大切だ。しかしそれ以上に重要となるのは、敵対関係の無い二人による、信頼で結ばれた固い絆だ。


 二人であれば、秘密裏にお互いを相手として配役に必要な演技が出来る。秘匿性が増す。そして僕が《いじめられっ子》にしろ《陰キャ》にしろ、《ライバル》とは敵対関係がない。


 配役の遂行とリスクを抑えること。その二つを両立するには、僕が手頃と思われたのだろう。僕は《魔女》以外との付き合いも無い。


 妖艶な笑みを浮かべ、《ライバル》が無自覚にか、口の端を潤った舌でチロリと舐めた。シャツのボタンを一つ外す。


「ねぇ、ちょっと競争しない? 我慢比べ……とかどう? 今後のことも話したいし、良い場所知ってるんだ」


 あぁ、そうか。近づいてきた理由はもう一つある。簡単に落とせる存在。

 僕が、男だからだ。


 軽そうに見えて、その実、頭の切れる女の子だ。相手は当然のこととして、自分すら道具にしてしまえるような、そんな合理性という名の化け物が見えた。


 彼女が《殺人者》ではなくて、本当によかった。僕は下手すると、数日の内に消されていたかもしれない。


 僕が頷くと《ライバル》は嗤った。


「じゃあ、こっち行こうか」


 彼女に手を取られ、人気の無い方へと導かれる。

 周りを窺うと《魔女》が僕を見つめていた。



 その日の内に、《ライバル》は教室から姿を消すことになった。





(※1) 出典:新潮文庫 夏目漱石『こころ』より

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