06.相浦 【二日目 十四時三十三分】



 それは、五時間目が終了した休み時間に起きた。

 

 教室中央の席に、線の細い《猫背の男》がいた。髪が長く、眼鏡をかけている。時々ブツブツと何かを呟いていた。その彼が音も無く立ち上がる。


 前の席には、一心不乱にノートに向かい続けている《坊主頭の男》がいた。目付きが鋭く、体格が良い。格闘技でもやっていそうな男だ。


 《猫背の男》がそっと近づき、前の男の肩に手を置く。俺は無言でその行為を見ていた。まさか、と思ったときには遅かった。《坊主頭の男》が振り向く。


「消えろ」


 直後、《坊主頭の男》が弾けた。

 存在が。言葉だけによって。風船が破裂したような音だけを残し。


「や、やっぱりそうだった……間違ってなかった。やった、消した、やった!」


 《猫背の男》が茫然となりながらも、次第に喜びの声を上げ始める。笑っていた。何かを成し遂げたような顔だった。


 椅子が床を擦る音がして、周りの生徒が一斉に席を離れる。

 

「ひ、ひと殺し! ひと殺し!」


 そう糾弾するのは《不良》と思われる女の子だ。横顔しか見えないが顔を引き攣らせ、小さい体を震わせていた。


 たった今、人を消した男が彼女へと顔を向ける。


「だ、黙れよ。出来損ないの《不良》が!」


 ひっと、喉の奥から悲鳴のようなものを《不良》と呼ばれた女の子が漏らす。《猫背の男》の目は興奮に怪しく輝き、口元は薄ら笑いに失敗したように歪んでいた。


「お、お前はもう、《優等生》に消されないからって……調子に乗りやがって! 安全地帯から俺たちを眺めて、ふざけんなよ」


 その言葉はたどたどしかったが、向けられている悪意は確かに感じ取れた。


 俺を含め、クラスメイトはそのやり取りを黙って見ていた。窓際の席の方には、その様子を面白がるように眺めている女もいる。


 本当ならその全てに対して、俺は何かを言いたかった。しかし、《主人公》という配役が慎重にさせた。臆病だった。


 クラスで目立つのは良くない。《殺人者》に目を付けられたら、俺は終わる。それだけじゃない。ゲームを早期に終わらせる手段もなくなってしまう。


 普通にやって三十日。三十日だ。そんなに続いたら、きっと皆、狂ってしまう。緊張と恐怖に苛まれ、向けるべき悪意の方向を間違える。


 クラスメイトに悪意を向けるべきじゃない。俺たちが憎むべき相手は、ゲームマスターの筈だ。


「は、はは。でも、俺はお前と並んだ。もう《殺人者》には消されない。生き残る、生き残ってやる。ざまぁ見ろ、俺を、俺をお前らが見下すのが悪いんだからな!」


 《猫背の男》の乾いた笑いが教室に響く。それを打ち消すように、俺の隣にいる《眼鏡の男》が口を開いた。


「《殺人者》に消されなくても、《霊感体質》には消されるぞ。忘れてはいないよな、《生き物係》?」


 その声は錐のように《生き物係》と呼ばれた男に突き刺さる。男は目を剥き、言葉を失くしていた。


 ふと、エミの指が俺の腕に触れているのを感じる。休み時間毎に彼女とは話すようになったが、まだ《主人公》の秘密は共有出来ていない。


 彼女が本当は《幼馴染》ではなかった場合、俺が消えるからだ。


 目を向けると、エミは視線を《眼鏡の男》に置いたままだった。机を擦る音が聞こえる。滑らかな彼女の指が文字を綴る。


 ガリ勉 消された


 消えた男は《ガリ勉》で、それを《生き物係》が消したと。そういうことなのか?

 

「は? な、なに、なに言ってくれちゃってんの? 俺が《生き物係》だって?」


 疑惑の中心にいる男が、努めて余裕ぶった態度を作る。


「小心者ほど、よく目が動く。漫画やアニメに詳しそうなのに、そんなことは現実では無いと思っていたか? 泳ぐんだよ人間は。狼狽するとな。特にお前みたいなタイプは顕著だ」


 《眼鏡の男》に追求されると、「ひ、ひひ」と、可笑しくて仕方がないと笑おうとして、それが成せなかったような声が《生き物係》と呼ばれた男から上がる。


「だ、だったら、だったら何だって言うんだ!? 俺は逃げ切る。逃げ切るぞ。《霊感体質》が誰だって、構うもんか。とにかく俺は、《殺人者》からは消されないんだ。は、はは、そうだ。俺はもう、今日はサボる。誰か近づきやがったら、刺すぞ。鉛筆、あるんだからな。痛いぞ、は、ははは!」


 《生き物係》であることを認めた男は後退しながら述べると、机に体をぶつけた。何かが転がり落ちる音がする。半笑いした後、男は慌てて床の上の鉛筆を手にした。


 それを掲げて口の端を上げると、退路を確認し、逃げるように急いで教室から出ていった。廊下からは、高笑いが聞こえていた。


 しかし、彼の高笑いは一日しかもたなかった。


 次の日、彼の机の上には《花》が置かれていた。

 教室内の《花》は、昨日に比べて七つも増えていた。


 一日で……七つ。


 登校は早過ぎては行けない。《主人公》という配役には恐らく、行動の制約が殆どない。俺を《主人公》と見抜くことは困難だろう。


 その反面、《主人公》は誰からも消される配役だった。


 相手が誤認していた場合でも、消える。だから目立つ行動は避け、見知らぬクラスメイトと二人きりになる状況も、出来るだけ避けなければならない。


 人間は信じたいものを信じてしまう生き物だからだ。


 徐々に登校し始めたクラスメイトたちが、教室の異変に気付く。俺は顔を思い浮かべながら、新たに《花》が置かれた机に視線を置いていく。


 白昼堂々と消された《ガリ勉》に、笑って去っていった《生き物係》、ピンク色の本を堂々と読んでいた《エロマスター》。


 初日に口を割ってしまった《放送委員》と、朝礼が終わるなり苦しんでいた《ひきこもり》。途中で明らかになった《保健委員》。


 あと分からないのが、一人。

 教室は騒然とし始めた。


「おい、おい、誰だよ。消えてるぞ。あのひょろ眼鏡、《殺人者》からは消されないって……じゃあ、《霊感体質》が消したのかよ!? マジで生徒同士で食い合ってんのか。ふざけんなよ!?」


 そう騒いでいるのは、今まで大人しくしていた、アクセサリーをジャラジャラと着けた《乱暴そうな男》だった。


 エミが立ち尽くしている俺を見つけると、近寄ってくる。


「おはよう、あっくん」

「あ、あぁ。おはよう、エミ……。また、クラスメイトが消えた」


「そう、みたいだね」


 心苦しそうに、エミが俯く。


 彼女の向こう側には、もう話しているところを殆ど見ない、憔悴してしまったような《学級委員》と、それに寄り添う《不良》の女の子の姿があった。


「この教室では、やはり、自分の配役を明かすことは危険なんだ」


 俺のその言葉に、エミは口元を引き絞った。


 《殺人者》は無差別に人を消せる。その恐怖から逃れようと、《生き物係》は《ガリ勉》を消した。それで、《殺人者》からは消されなくなった。


 だが《霊感体質》には消される。現に今、消されている。正体を隠していれば、それは防げた。少なくとも、直ぐに消えることは無かっただろう。


 それで《生き物係》は安全になれただろうか。万全だろうか。まだ足りない。自分の配役を隠すだけでは万全ではない。


 更なる安心を得るためには、誰かと結託する必要がある。結託して《霊感体質》を消すのだ。そこで完全に《生き物係》は怯えて暮らす必要がなくなる。


 無敵に、なれる。


 自分のことだけを考えた場合、クラスメイトゲームの最適解は無敵になることかもしれない。俺は《限定ホームルーム》の使い方を、一面的にしか捉えていなかった。


 それは単に、仲間を作るための閉じられた空間ではない。誰がどの配役か、そうやって、配役を見極めるためにあったのかもしれない。


 仲間を作ろうとする者。冷徹に配役を見極めようとする者。その上で結託出来ないかと、策謀を巡らせる者。様々な思惑が渦巻く場所が《限定ホームルーム》の姿。

 

 クラスメイトゲームを終わらせる前に立ちはだかる、人間の本能や欲望、それに付随するルールが、俺を嘲笑っているように感じた。


 教室の窓際では、何かちょっとした騒ぎが起きていた。一目見て単なるいざこざだと分かった俺は、自分の席に黙って腰掛けた。


 三日目にして総勢九人が消えた。

 今日一日は、静かに、重く時間が過ぎて行くようだった。


 休み時間にエミを誘い、二人きりになれる場所で自分の考えを伝えた。それは例えば無敵状態のことであったり、《限定ホームルーム》の使い方であったりした。


 目の前の彼女のことを、何処まで信頼して良いのか。それは分からない。彼女が俺をどの配役だと思っているのか。それも分からない。


 仮にエミが《殺人者》だったとしてみよう。彼女はいつか俺を消すのだろうか。


 異性といつも一緒にいることから、実は《リア充》なのか。幼馴染を演じている《演技オタク》の可能性はないか。《親友》? 《霊感体質》? 何かの委員か係?


 人の心は覗けない。見えない。

 元の世界でもそうだった。何処の世界に行ってもそうなのだろう。


 心に関しては盲目な俺たちだ。眼鏡でも掛けてみるか? 天体望遠鏡を持ち出してみる? 顕微鏡で覗こうか。


 隣り合わせの悪意と善意でひしめき合って、見えないものを見ようとして、間違って、裏切られて、傷ついて、他人を呪ったり恨んだりする。


「エミは……」


 口を開いて何かを問おうとすると、彼女はその澄んだ双眸に俺を映した。

 その純真さに、怯む。怖くなる。


「どうしたの、あっくん?」 

「いや、何でもない」


 教室に二人で戻り、授業を受ける。

 気になる配役は幾つかあった。例えば《高嶺の花》だ。


 女性限定の配役かどうかは分からないが、彼女を消せる《エロマスター》はいなくなった。攻撃姿勢に出て《学級委員》を消せば、無敵になることが出来る。


 あるいは《エロマスター》を誰かに消させたのは、《高嶺の花》の策略でもあったのだろうか。


 依頼殺人。どうやって? 《限定ホームルーム》と呼ばれる閉鎖された空間がある。他にも、学校の敷地内には二人きりになれる場所が幾らでもあった。


 授業中に《学級委員》を視界に入れる。彼女は震えていた。《優等生》を皆の前で消してから、彼女はずっとオカしかった。


 本当に消えるとは思わなかったのか。もしくは、消しても自分なら大丈夫だと思ったのか。


 誰にとってもこの”自分”というのは、特別な存在だ。他の人間が出来ないことでも、想像の中でなら大丈夫だと過信してしまう。そんな訳……ないのにな。


 《不良》の子を見る。小柄で大人しそうな彼女は鉛筆を逆手に持ち、思考を停止させたような表情で、教科書をグリグリと黒で塗り潰していた。


 過度なストレスに晒されているように見える。そんな彼女も、《傍観者》への攻撃に成功すれば無敵になれる。


 もっとも……《高嶺の花》も《傍観者》も生きていればの話だが。


 翌日は、前日のように大量に人が消えることはなく、一つの《花》が新たに生まれていただけだった。

 

 よかった、一つか。そんな風に慣れてしまった自分に愕然とした。

 無限に広くも狭くも見える教室を、眺める。



 俺は……このままでいいのだろうか?


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る