05.明日夢【二日目 十時五十六分】



 二日目が不自然に、徐々にルールを認識したクラスメイトを乗せて、動き始める。


 授業は昨日と同じように行われていた。自動書記とでもいうのか、教室後ろの掲示板に張られた時間割通りに、その科目に応じた内容が黒板に板書されていく。


 皆、静かだ。時折意味も無く、「ひゃっは~!」という声が上がるが、その叫びは死刑囚の苦悶の声のようにも聞こえ、静まった後の静寂を深くした。


 真面目に授業を受けろ、そんな決まりはない。配役に沿ってさえいればいいのだ。見渡せば、全ての生徒が授業に参加している訳では無いことが分かる。


 昨日、《朝礼》が終わると同時にのたうち回っていた《ひきこもり》の姿は無い。《不良》と当たりを着けていた女子生徒も、教室にはいなかった。


 授業に参加せずとも不自然ではない配役は、他に誰がいるだろう。


 単なる登校の問題に過ぎない。《優等生》や《学級委員》、あるいは《風紀委員》以外なら、体調が悪くなくてもサボることは許されるだろう。


 考えることは多い。こんな時、高く青く伸びる空を見れば気持ちが晴れるかもしれないが、窓の外から見えるのは、またしても曇り空だった。


 そして空の下には、黒々とした無限の木々が連なっている。校舎から出るとそれは単なる白に変わる。


 頭がオカしくなりそうだ。

 十分、今だってオカしくなりかけているけれど……。


 隣の席を眺めると、そこには《花》が花瓶に活けられていた。僕は昨日、教室から生徒を消した。笑顔が似合う優しい女の子。《図書委員》を名乗った彼女を。


 もう、彼女に話しかけられることはないのだという寂しさと、奇妙な安堵が胸には広がっていた。


 本当のことを言おう。出来るなら僕は、彼女ともっと話がしたかった。つまらないこと、楽しいこと、下らないこと、嬉しいこと、言葉になること、ならないこと。


 《花》を眺め過ぎていたのか、気付くと《長い髪の女》が僕を見ていた。

 言葉も無く、彼女を見返す。


 僕は誰とも交わらず、ただクラスメイトを消していく。それが僕の役割で、あるいは全てで良かった。対話など、望むべくも無い。


 二時間目が終わる。ウェストミンスターチャイムが鳴り響き、また、唸り声のような「ひゃっはぁ」が聞こえた。


 多分、ある種の配役にとって最も辛いのは、自由時間だ。


 それぞれが自らの配役を演じようと模索し、だけどそれが決定的になっては駄目だと恐れながらも、死ぬほどの痛みという恐怖に怯えていた。


「明日夢とやらよ、隣の女はどうした?」


 休み時間が始まると、《長い髪の女》が真っ直ぐに僕の元へと来た。

 僕は無言で彼女を迎える。クラスメイトたちは一瞬だけ緊張したようになった。


「貴様は喋れんのか? 昨日はゲームマスターに向けてペラペラと口を開いていた気がするがな。ソレともなんだ、女の前では緊張してしまうタイプなのか?」


 僕が目を伏せると、《長い髪の女》は視界の端で口を愉快そうに曲げる。僕の髪の毛を掴んで、無理やり彼女の目と目を合わさせた。


「無視するなと言っただろう。お前はそんなに私を殺したいのか?」


 僕は無言で彼女を見据える。《長い髪の女》が上等だと言うように鼻を鳴らし、投げ捨てる形で髪の毛を離した。


「さぁて、昨日消えたのは誰だったのか? そして、今日は誰が消えるのか。《限定ホームルーム》も今日で二日目か。まさか、二日連続で呼ばれるとは思わなかったぞ。しかし、あの空間はどうなっているんだろうな?」


 彼女は振り返ると、教室全体に問いかけるように言葉を発した。


 その発言通りに今日も《限定ホームルーム》が開かれ、日直が四人の内の一人に《長い髪の女》を指名したようだ。彼女はその内容こそ語らなかったが、《限定ホームルーム》がどのようにして行われているかについて、クラスメイトに話した。


「あんた……頭がオカしいんじゃないか? 人が、人が消えてんだぞ!? 何を楽しそうに言ってるんだ?」


 《長い髪の女》の言葉を受け、三つ前の席の男が立ち上がる。昨日も僕に声を掛けて来た、《人の良さそうな男》だ。


 正義感の強さを表してか彼の眉間は強く寄せられ、義憤に燃えていた。それでいて体が震えてもいる。


「なぁ、どうしたらいい? ココはおかしい。皆だって外の空間を見ただろ? 変だよ、普通じゃないよ。早く、《殺人者》を見つけ出すべきじゃないのか?」


 《人の良さそうな男》が尋ねると、多くのクラスメイトが彼に視線を集めた。《長い髪の女》が向き直る。


「ほぉ、どうやってだ? お前は《殺人者》かと、一人一人に尋ねてみるか? 《殺人者》は決まってこう答えるだろうよ。いいえ、とな」


「アンタは少し、黙ってろ。何か良いアイディアがあるはずなんだ。絶対、絶対に」


 その発言をせせら笑うかのように、《長い髪の女》が続ける。


「いいぞ、お前はそこの馬鹿と違って、私を無視しない。しっかりと認めてくれている。ただ、テレビと漫画の見過ぎのようだな。団結すれば突破口が見つかるなどと、まさか本気で思っているのか? 今までの現実で上手くいった試しがあったか? 結局は、なぁなぁに終わってないか?」


 何か思い当たることでもあったのか、男が応じるのには少しのがあった。


「そ、そんなことない! 皆で、力を合わせれば」


「集団内では無気力は感染するぞ? 感受性も鈍くなる。自分が決めなくても良いからと、他人任せにしようとする輩が必ず生まれる。折角だ、今から試してみるか? どうやったら《殺人者》を見つけることが出来るか? なぁ、皆?」


 《長い髪の女》が再び問いかけると、休み時間の教室は冷たく凍りつき、静かになる。そんな中でも彼女に臆さない、強い人間はいる。


「クラスメイトとしての配役を、明確にする。例え一人が嘘を吐いていても、他の皆が嘘を吐いていなければ、嘘は見抜ける」


 静寂の中、そう発言したのは気の強そうな《保健委員》の女の子だった。


「ほぉ、しかし、人間は嘘を吐くぞ。複数人が嘘を吐いていたらどうする?」

「その配役でしか出来ないことを、実証する。私は《保健委員》。だから、保健室の鍵がいつの間にかポケットに入ってた。保健室を使うことが出来る」


 そう言うと《保健委員》は、スカートのポケットから鍵を取り出した。

 それを認めた《長い髪の女》が面白そうに目を細め、質問を続ける。


「それを、お前が誰かから奪ったという可能性はないか?」

「は? 何を言ってるの。昨日、《ひきこもり》が死にそうになったとき、助けて保健室に行ったでしょ? その行為が《保健委員》であることを実証している」


「ふぅん。そんなことがあったかな?」

「あったわよ! なに、あんた、頭イカれてるんの? マジで」


 どんな罵詈雑言も、《長い髪の女》は嬉しそうに受け取る。


「まぁいい。持っている物があるのならそれを証拠にし、物がないなら、配役に沿った行動をする。もしそれが嘘なら死ぬほどの痛みが降りかかる……と。しかし、自分の配役を明かすことを厭う人間もいるだろう。お前のように、知られている人間ばかりではないからな」


 その発言に、既に正体を明かしてしまったクラスメイトの何人かが俯いた。


「だから、それを皆で説得していくんだ」


 《人の良さそうな男》が《保健委員》に加担する。善良そうな男だ。誰かを救えるかもしれない男だ。彼は良き息子であり、将来は良き父となるのだろう。


「それではまず、お前の配役を明かすといい」


 このクラスメイトゲームで、消されることがなければ。


 《長い髪の女》の言葉に、《人の良さそうな男》が凍りつく。ことも無く一人の人間を固まらせる彼女のことを、魔女のようだと思う。


 たぶらかし、惑わし、楽しみ、飄々として己を晒さず、吹き付ける言葉という吐息で人を凍りつかせる。


 雪原のようにあらゆる音が飲み込まれてしまったその場で、失笑した人間がいる。誰か? 《長い髪の女》だ。《魔女》だ。


「おいおい、お前が言い出したことだろう? どうした、奇跡の一歩になるかもしれんぞ。言うんだ。お前が、誰なのかを? お前のココでのIを叫んでみろ!?」


 男が口を開きかける、だけど、うな垂れて……。


「俺は、俺は、ただ……安全な世界に、また、帰りたいだけで」

「安全ねぇ」


 侮蔑するような調子で《魔女》が言う。

 俯きがちな顔で《人の良さそうな男》が彼女を見た。


「何を以ってお前が”安全”と言っているのか分からんが……話そうか? 人口が減少しているにも関わらず、日本では毎年二万人以上が自殺している。これは中東などの戦争で、毎年死ぬ人数よりずっと多い。若者の死因率ではナンバーワンだ。分かるか? 日本人同士がお互いに殺し合っているのと一緒だ。日本でも戦争は起こっている。ちっとも安全なんかじゃない。そして……なぁ、そもそもだ」


 《魔女》が、そこで分かり切っていた結論を口にした。


「《殺人者》を見つけてどうするのだ? 自分達のために消えて下さいと、消えるという行為は曖昧だから、多分大丈夫でしょうとでも言って、説得するのか? あるいは、誰か消されることを覚悟で閉じ込めるか? 《殺人者》は一日一人を消すことが課されているが、一日一人以上を消すこと出来ないと決まった訳ではない。残念だが、見つけ出したところで我々か《殺人者》かという構図は変わらない」


 一体、何度目になるだろう。皆がこの教室で息を飲んでいた。ここに集められたクラスメイトにはそれぞれの人生があり、それに纏わる人間関係があった。


 そんな状況の中でも僕は、誰がどの配役かを見極めようとしていた。消したい配役がいたからだ。何処の世界でもあるように、この世界にもまた優先順位があった。


 僕はそれを執行する役割だ。無感動に、無感情に。

 ただ、人間の基本原理を胸に抱え、実行していく。


「ひゃ、ひゃっはぁ!」


 風も吹かない、風も通さない教室の中でまた、誰かの苦悶の叫びに似た声が、聞こえたような気がした。

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