04.相浦 【二日目 九時五十二分】


 俺がまだ、今よりずっとガキだった頃の話だ。

 嘘か本当か知らないが、爺さんから聞いたことがある。


 石の投げ合いから戦争に発展したという逸話が、世界各地にあるらしい。


 恐怖でも、妬みでも、暇潰しでも、理由は何でもいい。最初に石を投げた奴がいて、その石に当たった、もしくは石を投げられたことを認めた奴がいる。


 するとソイツはどうするか? 石を投げ返す。その石が、また別の誰かに当たったり、石を投げられたと感じる人間を産む。


 やがてその投げ合いが加速し、発展し、戦争に至る。

 この馬鹿げたクラスメイトゲームが始まって、二日目。


 用意されていた学校敷地内の《寮》からクラスに登校すると、机に《花》を飾った花瓶が二つ置かれていた。


 一つは《学級委員》が消した《優等生》の机に。そしてもう一つは、窓際近くの誰かの机に。見覚えは殆ど無いがが、それは確か……女の子の机だった。


 息を呑む。戦争が始まっていた。静かに、苛烈に、この教室で。


 最初に石を投げたのは誰だ? ゲームマスターだ。それに《優等生》が反応して《学級委員》が投げ、他の人間も投げて《優等生》が投げ返し……そして……。


「何だか、大変なことに巻き込まれちゃったね」


 一時間目の休み時間、自分の席で考え込んでいると誰かの声がした。目をやると、前の席の女子がこちらに体を振り向かせていた。


 話す余裕が昨日は無かったが、《カチューシャの少女》だ。


 昨日の休み時間、俺は危険を承知の上で一人で学校敷地内を散策していた。一体、この学校は何なのか、何処にあるのか。通信に使えるものは無いか、可能なら脱出できないか。そう思ってのことだ。


 分かったことは、この場所がとんでもなく非現実的な場所だということだ。


 空はあり、太陽もある。夜になれば月も見えた。星座に関する知識があれば、緯度や軽度くらい割り出せたかもしれない。だが、それも恐らく意味がない。


 学校の敷地内は至って普通だったが、外は何も無かった。


 それは文字通りの意味だ。道路も、町も、窓から見えた筈の木も、川も、山も、丘も、何も無い。砂漠も無い。海も無い。


 白い無限の空間の中にポツンと、学校という領域が存在している。


 地平線は見えた。地球が丸いから地平線は存在する。つまりは、この場所は紛れも無く、馬鹿みたいな確認だが地球の上にあるのだろう。


 しかし、本当にそうだろうか? これが、地上の場所だろうか?


 敷地の内と外を分ける校門やフェンスには、所々に紙が張られていた。「学校の外に出るのは校則違反です」とあった。


 一歩を踏み出したら、《優等生》たちが味わっていた頭痛を受けるのだろうか。分からない。ただ何よりも、俺はその無限の白を長く見ていられなかった。


 その白は、あらゆる合理性を廃していた。


 白い空間が広がっている。延々と。方向感覚が失われそうだった。ずっと見ていると、その白に思考すら塗り潰されそうになる。


 実際に頭が痛くなった。覗き見ている筈が、覗き見られている。脳が警告していた。見るなと、見続けるなと。狂ってしまうぞと。


 何も無い空間が人の精神を汚染することに、そのとき、初めて気付いた。意識は言葉で出来ていて、その言葉が必要ない世界では、きっと意識は簡単に壊れてしまう。


 教室に戻ると、無限に連なる木々が窓から見えた。どちらが錯覚なのだろう。外の白か、教室から見える木か。


 窓から飛び出して、虚実を確かめたいという馬鹿げた妄想に駆られる。それこそ、狂人となって声を上げ……。


 昨日の一幕、その薄ら寒さを思い返しながら、また窓の外を一瞥する。唾を飲み込んだ後、眼前の《カチューシャの少女》に言葉を返した。


「ああ」


 自分でも無愛想に聞こえる声だった。にも関わらず、《カチューシャの少女》は笑顔を咲かせた。純真無垢な花のように。


「だけど、君が一緒で良かった。何せ私たち、ず~っと一緒だったもんね。これも腐れ縁ってやつかな?」


 何を言っているんだろう? 俺が言葉の意味を考えていると、「あれ? どうしたの?」と目の前の少女が首を傾げる。


「もう、家が隣同士でしょ? 忘れちゃったの?」

「あ、あぁ……そうだったな」


 そこで納得した。この子は《幼馴染》なのだ。配役を演じている。チラリと視線を他に向けると、《幼馴染》を消せる《ひきこもり》は来ていないことが確認できた。


 だからこそ今、こうして俺に気安く話し掛けているのかもしれない。

 しかし、どうして俺なんだ? まさか俺を……《主人公》だと見抜いて?


 クラス内での役職やキャラクター性とは別に、配役には幾つか曖昧なものがあった。《幼馴染》や《親友》、《ライバル》と言ったものだ。


 昨日も他の奴がそのことについて尋ねていたが、ゲームマスターはだんまりを決め込んでいた。


「まさか、私が君を何て呼んでたかも、忘れちゃった訳じゃないよね?」

「え? あ、あぁ。あっくん、あっくんだろ?」


 取り合えず演技に付き合ってやろうと、言葉を返す。わざわざ本名は教えない。


「よかった。そこは忘れてないんだ」

「まぁな。高校生にもなって、あっくんは止めろと言ってるのに、止めないからな」


 俺がそう続けると、《幼馴染》は楽しそうに笑った。


「あはは、いいじゃん。可愛いよ、あっくん、って」

「本当、勘弁しろよ」


 少しだけ恥ずかしくもなった。他の呼び方を設定すべきだったかもしれない。つい彼女の呼び方も知りたくなって、聞いてみる。


「で、お前は高校でまた俺と同じクラスになったけど、呼び方はいつも通りでいいのか?」

「うん。マイラブ幼馴染でお願いするよ」


「やだ」

「えぇ~~!? なんでぇ?」


「そんな風に呼んでないからだ」

「そんなことないよ。忘れちゃったの? ほら、伝説の木の下? とかで、私に告白して」


「結構古い気もするが、それをやるんだったら《高嶺の花》にだろ?」

「そうだった。残念ながら私は《高嶺の花》じゃなかったんだ」


 配役を口にしたことで、教室にいた幾人のクラスメイトが俺たちに注目した。これもまた、石を誰かに投げていることにならないだろうか?


「冗談は置いといて、普段通りにえみでいいよ」

「今までのやり取りは何だったんだ」


「まぁまぁ。それでね、あっくん」


 明るく笑う、エミと名乗った《幼馴染》を眺める。声を潜めて彼女は言った。


「《幼馴染》は、誰かと秘密を共有できるんだよ。あのタロット、配役の他にも特記事項と能力を教えてくれたでしょ? よかったら秘密を共有しない?」


 瞬間、俺は言葉を失いかけた。


「俺のタロットには、特に何もなかった」

「あれ? そうなの……ふ~ん」


 それは俺のブラフだ。


 昨日開催された《限定ホームルーム》で得る物は殆ど無かったが、《主人公》以外の配役にも、タロットカードを通じて特記事項や能力が伝達されていると知れた。


 その《限定ホームルーム》で俺は、自分が《主人公》であることは明かさなかった。《殺人者》が潜んでいたらアウトだからだ。殺人者ENDの存在が俺の行動に制限を掛ける。実際に昨日……恐らく《殺人者》は、生徒を消している。


 このゲームを速攻で終わらせるために、俺は幾つか考えていた。主人公ENDと呼ばれる特殊なENDは、《主人公》だけがその条件を知っている。


 条件は、クラスメイトの中から《殺人者》を消し、勝利宣言を行うこと。だがその条件は、他の生徒に漏らすことが禁止されている。破れば消える。


 主人公ENDだけじゃない、特殊能力もそうだ。

 主人公の特殊能力は、《殺人者》を《傍観者》に変えるというものだ。


 もどかしかった。それを《殺人者》に伝えれば、主人公ENDに早々と手を伸ばすことが出来るかもしれない。反面、口に出したら俺は消え、主人公ENDの道は塞がれる。


 ただ、エミと名乗った少女はこう言った。


『《幼馴染》は、誰かと秘密を共有できるんだよ』と。


 彼女を信頼して秘密を伝えれば、彼女の口から皆にその事実を伝えることが出来るだろうか。殺人者ENDを持つという《殺人者》にも、或いは……。


「エミは……何か秘密を持っているのか?」


 たっぷりとした間を空けて問うと、《幼馴染》だという彼女は少し考え込んだ様子になる。


「女の子だからね。秘密は沢山あるよ。例えば……好きな男の子とか?」

「あぁ、ソイツなら、”あっくん”というスカした男前だろうよ」


 その発言に驚きながらも、純粋に楽しんでいるように《幼馴染》が笑う。


「あはは、どうだろう? どちらかというと、可愛い系かも」

「ネコのフリをしている虎かもしれないぜ。同じネコ科だからな」


「自尊心から、虎になっちゃった人かもよ」

「まぁ人間、自分自身には気をつけろってことだな」


 軽口を応酬していると、また声を潜めてサラリと《幼馴染》が言う。


「このゲームを一緒に乗り切ろう。協力しない? 私には特定の誰か一人、朝の挨拶を交わしたり、世話を焼く人が必要なんだと思う」


 その発言に目を剥く。ひょっとすると昨日、罰を受けたのだろうか。


「昨日は、大丈夫だったのか?」

「う~ん、まぁ、何とか。《幼馴染》は適わない恋に震えて耐えるのが、仕事みたいなものだし」


 罰を受けたとも受けなかったとも取れる飄々とした返答に、知らず頬が緩む。完全に目の前の女の子を信用した訳ではなかった。ただ、仲間は必要だ。


「まあ……じゃあ、俺の近くにいるんだな。エミ」

「うん!」


 これが俺と彼女の――えみとの出会いだった。

 

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