第6話

僕は、今、本当に怜子のことが好きで堪らない。

好きだというよりも、愛おしいと言った方が正解だろうか。


結婚をして、怜子が僕に尽くしてくれた、純粋に尽くしてくれた、その姿を見てるだけで、胸が締め付けられるような気がした。


しかし、僕は怜子に、知られてはいけないある思いがあった。

だから、僕の気持ちというか、計画を知らずに、けな気に尽くしてくれる怜子が、可哀想だったんだ。

ひょっとしたら、僕は、何もせずに、ただ怜子と暮らしているだけで、怜子の事を愛していたのかもしれない。

それほどまでに、僕は怜子に愛されていたし、尽くされていた。


でも、僕はある目的のために、意図的に怜子を愛さなければならなかったのである。

どうしても怜子は僕に愛されなくてはならなかったのである。


そして、怜子が僕に愛されていると思い込むように、いつも優しく接してきた。それは意図的にだけれど、そうやって、怜子を愛しているというそぶりをしていた。

いつも仲の良い夫婦だったのだ。


でも、苦しかった。

始めは、僕のこころには、怒りと恨みしかなかったのだけれど、一緒に生活をする中で、怜子の本当の姿を知ったのである。

明るくて、優しくて、思いやりのある怜子であることを。


そんな怜子に作為的な笑顔で接するたびに、僕の中に罪悪感が芽生えてきたのである。

怜子に、嘘の笑顔を送るたびに、怜子に、彼女の気持ちを否定するような意見を言ったりするたびに、どこか苦しい気持ちが僕の胸を締め付けた。


怜子に対する罪悪感。

僕自身に対する嫌悪感。


そんな嘘を繰り返すたびに、怜子が可哀想でならなかった。

その可哀想が、いつの間にか、少しずつ愛の感情に変化して行っているのを僕自身も気が付いていた。


こころから怜子に笑ってあげたい。

こころから、怜子がイキイキと生きることを応援してあげたい。

そう願っていた自分がいた。


でも、実際は、それと逆のことをしなければならなかったのである。

それは、仕方がないことだ。

ある目的を達成するために結婚をしたのであるから、その目的を達成するまでは、実行をしなければならない。


なのだけれど、試練はここからだった。

本当に怜子に愛されるには、僕自身が怜子を本当に愛さなければならない。

嘘の愛なんて、すぐに見破られてしまう。

怜子は、賢い女だ。

それを見破るぐらい簡単だろう。


だから、僕は本気で怜子を愛した。

ただ、始めは努力して愛するつもりだったけれど、怜子を見ていると、自然と好きになっていく自分が見えた。


でも、これでは不完全だ。

まだ、もっと怜子を愛さなければいけないのである。

こころから怜子を愛さなければならない。


いや、もう十分に怜子を愛し始めている。

僕には、無くてはならない存在になってしまっていた。


とはいうものの、まだ僕は怜子を愛さなければならないのである。

怜子を愛して、愛して、愛さなければならないのである。

それは、怜子が僕に愛されていると思い込むまで。

生半可な愛し方では不完全なのである。

とことん、怜子を愛してしまう。

それが必要だった。

それは、もう完全に心の底から、怜子を愛していると確信したときに、ある計画を実行に移すために。


僕は、怜子に嫌な思いをさせるたびに、可哀想で堪らなかった。

そして、それでも、僕に尽くしてくれる姿をみて、少しずつ、愛するようになっていった。

怜子を可哀想な状況に置くことによって、僕の怜子への愛が深くなるのである。


そこで、僕はさらにあることを怜子にした。

こんなことまで、しなくても十分に怜子を愛していると思ったが、仕方がないのである。

仕方がなかったのである。

完全に愛するために。


僕と怜子は、週に2回ほど、食事が終わってから、映画のDVDを見るのが楽しみだった。

お互いに映画が好きで、とはいうものの見る映画の趣味は違った。

怜子は、ラブストーリーだ。

僕は、何が嫌かと言って映画のラブストーリーほど嫌なものはない。

あんなのを見るぐらいなら、B級のオカルト映画を見る方が、よっぽどか気晴らしになる。

僕の趣味は、香港映画である。

中でも黒社会と言われる香港の裏社会を題材にしたものは、お気に入りだ。

特にジョニー・トー監督の映画は、何度も見るものだから、いつも怜子が呆れていたっけ。

でも、怜子は、香港映画は嫌いだ。

なので、怜子と見る映画は、ほとんど2人の共通の趣味であるサスペンスと決まっていた。


そんな時は、僕がコーヒーを淹れた。

怜子と飲むときは、インスタントでなく、本格的に淹れる。

わざわざ豆を、挽かずに買ってきて、ビデオを見る前に、僕がコーヒー豆を挽くんだ。

コーヒーは、あの挽くときの香が一番良い匂いがする。

コーヒーの命は香りだ。

豆を挽くときに香りを楽しんだら、それで十分で、改めてコーヒーを淹れる必要はないと言ってしまえば、身もふたもないか。

ゆっくりと豆を挽きながら、部屋中に香りが充満するのを楽しむのが、醍醐味なのである。


そして、ネルドリップで淹れるのが、僕のこだわりだ。

怜子は、ビデオの準備をしながら、ソファで待っている。

コーヒーを淹れるときに、僕は毎回、何かしらの異物を怜子のコーヒーに入れることにしていた。


それは、何も毒物という大それたものじゃない。

何かの薬というか、たとえば下剤であったり、意味のない頭痛薬であったり、何かを混入させていた。

薬品と言っても、味が変化しない程度の極少量である。

コーヒーだから、香りも気づかれにくい。

クスリと言ったって、ごく微量だ。

何もない時は、キッチンの隅にあるホコリを入れたこともあったか。

あの時は、さすがに飲んだ後に口にホコリが残りはしないかと思ったけれど、怜子は気が付かなったね。

身体には影響がない。

でも、異物である。


でも、それを普段通りに、美味しそうに飲む怜子が、たまらなく可哀想なんだ。

異物の混入に気が付かずに毎回飲んでいた。

先日も、ビデオを見ながら、両手でマグカップを包むようにした持って、「美味しいね。」って、僕を見ながら笑ったよね。

可哀想だった。


そんな怜子の横顔を見ていると、愛おしくてたまらない。

「何見てるの?」怜子が言った。

「いや、今日のコーヒーはどうかなと思って。」

「そういえば、少し香りが、イマイチなような、、、、ウソー。」って笑った。

可哀想だ。

あんな笑顔で飲んでいるコーヒーには、僕の嫌がらせが入っているのに。


どうしようもない、罪悪感と自分に対する嫌悪感が、沸き起こる。

でも、仕方がないのである。

怜子、ごめん。

怜子、許して欲しい。

怜子、どうして、そんなに笑うの?

可哀想だ。

可哀想で堪らない。


でも、怜子を愛するためには、やらなければならないのである。

怜子を愛するために、仕方がないことなのである。


僕は、怜子のコーヒーに週に2回、異物を入れるという意地悪で、自分自身に罪悪感と嫌悪感を感じさせるようにしていた。

そして、怜子を可哀想だと感じるように、自分で仕掛けていた。

それは、怜子を可哀想だと思うために。

そして、怜子を愛するために。


ある時は、こんなこともした。

怜子が寝ている時だ。

僕は、怜子が、すっかり寝入っているのを確認してから、怜子のお尻を思いっきり蹴り上げた。

「ギャー。」って言いながら、怜子は飛び起きた。

勿論、僕は計算通りに偶然を装って怜子の上にコケタ振りをした。

「あ、ごめん。痛かった?寝ぼけてて、怜ちゃんにつまずいちゃった。痛かっただろう。ごめん。本当にごめんね。」

怜子は、突然の衝撃に、何が起きたのか分からない様子で目を丸くして僕を見ていたね。

「ああ、ビックリした。何が起きたのかなって思ったよ。」と、ややあって怜子が喋った。

「ごめん。本当にごめん。痛かった?」

「うん。痛いけど。それより、あなたは、大丈夫なの。」

「僕は、怜ちゃんが下敷きになってくれたから、大丈夫だよ。でも、怜ちゃん、僕のせいで可哀想だったね。」

「いいよ。あなたもケガしなかったんだし。わたしもケガしてないし。もう、寝ましょうよ。イテテ。でも、寝れないかな。ははは。」

「ごめんね。」そう言ったのだけれど、怜子は気が付いていないのである。


ただ、そんな大胆なことは、そうそうやれるものじゃない。

普段は、もっと小さな嫌がらせだ。

靴の中に、小さな石を入れてみたこともある。

そんな中学生がやるようなレベルのことを繰り返していた。

いや、中学生でもやらないか。

まったくもって、小学生レベルだ。

いろんなことをしては、罪悪感が増すようなことをしていたのである。

すべては、怜子を可哀想だと思うためだ。

そして、怜子を愛するためなのである。

ただ、こんなことをしなくても、怜子を愛していただろうけれども。


こんなことを1年以上続けただろうか、僕は、完全に怜子を愛することに成功したのである。


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