第47話 間奏曲~それぞれの思いをその胸に~
その日の王宮は数多くの貴族たちで賑わっていた。
とうとうあの『空位王』が正式に王位継承と即位の儀を行うのだということで、王都近辺からはもとより、遠方からも多くの貴族やその従者たちが王宮へと昇っていた。
血で汚れた玉座の間も、元通り白と金を基調とした王家の色に戻され、奥の一段高い場所には次の王の玉座が、そしてその前から扉までは王が歩む緋色の布が敷かれていた。
「イザナル・イ・リ・ヴィーゲル王、ご到着!」
衛兵がよく通る声で告げる。
ざわついていた声はぴたりと静まり、人々の目は一斉に扉へと向けられる。
ギッとかすかな軋みを立てて開く玉座の間の扉。
そこから正装したイザナルが入ってきた。
黒い髪と黒い瞳がたくさんの勲章に彩られた王の白い正装に映え、とても、ほんの少し前までは土埃だらけの軍装を身にまとい、傭兵団を率いていた男には見えなかった。
イザナルはなんの迷いもなく、緋色の布の中心を歩いていく。
そして、玉座の前で立ち止まり、貴族たちの方を向いた。
それに合わせて楽手たちが華やかな音を奏でる。
その短い曲が終わった後、イザナルは口を開いた。
「此度の即位の儀に多くの者の参列のあることを王として喜ばしく思う。今後も、民のため、国家のために皆が尽くさんことを望む。
私に冠を授ける者は、少女ながらこの国のために最もよく戦い、今後もこの国を守ることを誓ってくれた乙女、ハイレッジ女公、ショウエル・デ・ターリア・ハイレッジ姫を指名する」
「有難き幸せにございます」
純白のレースやリボンで飾られ、金糸で華やかな模様の施されたドレス____この二色だけの服装を許されたということは彼女の待遇は準王族となったのだろう____を纏ったショウエルが、同じく白い台に乗せられた王冠をしずしずと運び、イザナルの前にひざまずいた。
「姫、あなたは俺にひざまずくことはありません。俺こそが、あなたの前に」
ショウエルの腕を取って立たせ、イザナルは頭を垂れた。
すこし戸惑いながらも、ショウエルがその頭上に王冠を載せる。
宝石に彩られたそれを戴冠した後、イザナルがすっくと立ち上がった。
「私はここに王の宣誓をする。
イザナル・イ・リ・ヴィーゲルはヴィーゲル王家の王の務めとして、国家のために身を捧げ、恒久の平和と弥栄をこの国にもたらすことを誓う!」
玉座の間に拍手が巻き起こった。
誰しもが、この王はあの残酷王カームラとは違うと感じとったのだ。
イザナルとショウエルは目を合わせ、少し笑った。
ようやく、ようやくここまで来たのだと。
「それでは、論功行賞に移る。叙勲の儀だ。
まずはこちらのショウエル姫。前ハイレッジ公代理フレンジーヌ殿は不幸な事故により死去したため、ショウエル姫が今後はハイレッジ女公となる。
ハイレッジ女公は大貴族の少女でありながら玉座戦争では自らの生死を顧みずに素晴らしく戦い、この国を守った。その功により、特級黄金戦功十字章を贈る。また、鬼姫を装っていたのもこの為の姫の深慮の賜物であり、本来の姫は誇り高く優しい女性であるということを皆は心するように。
___姫、この国ではまだ一人しか受章者のいない最上級の戦功勲章です。どうか、二人目をあなたに」
「終生の名誉といたしますわ」
ショウエルが優雅に一礼すると、イザナルの手で、金地に象嵌や宝石の嵌め込みが施され、白いリボンで吊るされた十字型の勲章がそのドレスの胸元につけられた。
それをいぶかしげな顔で見る軍の重鎮たちにイザナルは鋭い視線を向けた。
「何か言いたげなようだが、この国に姫より勇敢な軍人はいない。カームラの王権簒奪の際に自分たちが何をしていたのか、玉座戦争の時に自分たちが何をしていたのか、よく考えてみるといい。そして、姫より勝る軍功があると思う物は申し出よ。その胸にもこの勲章をつけてやろう」
重鎮たちは一斉に目をそむけた。
他国へと逃げようとしたもの、駐屯地から動かなかったもの、カームラにおもねるばかりだったもの。誰一人、自らの武勲の方が優れていると手を上げる者はいなかった。
「異論はないようだな。では次へ移る。___エルリック・ブロォゾ!」
今度こそ、玉座の間全体が騒然とした。
王宮で卑族であるブロォゾ一族の名が公然と語られることなどはこれまでなかった。
その上、そのブロォゾ一族が王より勲章を賜るなど、貴族たちには信じられないことだった。
「は!」
ショウエルと入れ替わりにイザナルの前にエルリックが立った。
「なんだ、おまえはひざまずいてはくれないのか」
「私にとってあなたは傭兵団長イザナル殿ですからね。しかしまさかこうも堂々と私の名を呼ばれるとは」
「言ったろう。種族の違いなど大したことはないと。大事なのは何を為すかだと。
____エルリックは長年偏見の上で虐げられたブロォゾ一族の出身ながら、それを恨みとせず、玉座戦争では自らの命を賭けることも厭わず、忠実に主人であるハイレッジ女公を助け、我々を勝利へと導いた。よってその勲功により一級黄金戦功十字章を贈り、ブロォゾ一族すべてにも永の栄誉を与える。
今後我が国でブロォゾ一族を虐げる者には王の鉄槌が下ることを覚悟せよ!」
しん、と玉座の間が静まり返った。
そして、しばらくの間のあと、ぱちぱちと拍手をする音が聞こえた。
自席に戻っていたショウエルが、嬉しそうな笑みを満面に浮かべ手を叩いていた。
つられて、列席していた傭兵団員達も拍手をする。
つっとエルリックの頬を涙がつたった。
「積年の悲願、叶えてくださり光栄に存じます」
エルリックの胸にショウエルの勲章によく似て、幾分簡素なそれをつけながらイザナルが微笑った。
「おまえにそんな風に口を利かれると変な気分だ」
「今日だけですよ。今日だけ____」
エルリックの脳裏をこれまでのすべてがよぎっていく。
自分があの高貴な主人とよく似た勲章をつけることができるなど、思っても見なかった。
エルリックがショウエルの隣の席へと戻るのを見届け、イザナルは書面に目を落とした。
「さて、次は……全員の名を呼ぶのも面倒だな。イザナル傭兵団!まとめて並べ!」
「隊長、それはないでしょう」
ずらりとイザナルの前に傭兵たちが並び、副官は肩を竦めた。
「おまえたちの数が多すぎるのが悪い。
おまえたち傭兵団は野に落とされた王である私を信じ、いかなるときも裏切ることがなかった。玉座戦争では私の背後を守りよく戦い、この国を壊そうとするものを打ち砕く大いなる助けとなった。その功により総員に一級銀戦功十字章を授け、それぞれの勲功を鑑みたのち、各々へ爵位を与えるものとする。副官には約束した褒賞も必ず与えよう。
そして、ゼーファック隊員の両親へ。彼は名誉の戦死を遂げたが、隊員の死は私の望むものではなく、私の不徳の致すところである。よって、ゼーファックには死後叙勲として特級銀戦功十字章を。両親にはゼーファックの望んだ公爵位を与えることとする」
居並ぶ貴族の中、精いっぱいの装いをしてきたのだろうが、それでもどこか場違いだったゼーファックの両親がすすり泣く。
それを見てイザナルはその両親の胸に丁寧に勲章をつけた。
「しかしできれば肉屋も廃業しないでほしい。ゼーファックが馳走してくれる肉はいつもうまかった」
二人の泣き声がひときわ高くなった。その目元をイザナルは迷わず礼装の袖で拭い、彼らの席へと手を引いて送り届けた。
「これにて論功行賞は終わる。次は玉座戦争にかかわった者への処分とする。
ハリティアス伯家は反乱を試みたことにより伯爵位を剥奪、領土の三分の二を王家預かりとし、のちにふさわしいものへと分配する。しかし反乱を計画したイ・サ伯がすでに戦死していることと、伯家の長年の王家への勲功も鑑み、爵位は子爵への降下とし、完全な剥奪はせず存続を許す。
クエンティン公家は現在は名前のみしか残っていないが、その血縁者がイ・サ伯に反乱の企みを与えたことにより、たとえ相続者が現れても断絶。
そして、王位簒奪者、カームラ。本来ならば万死に値するが……ユーエ・ユウ・デ・ラ・メア公女の殉死も厭わずという助命の嘆願により、すべての特権を剥奪し、名を変え、辺境の農民として生きることを条件に恩赦を与えることとした。だが次はない。ユーエ公女、心して生きろとカームラに伝えよ」
牢に繋がれたカームラの代わりに、式典に出席していたユーエがほろほろと泣き出した。
それは悲しみの涙ではなく、喜びの涙だった。
「本来であればカームラに与したすべての者、カームラの戴冠を許したすべての者にもなんらかの処分を下すべきであろうが、あれの気性を鑑みれば、家や子のことを考え、何もできなかった者も多かろう。
無言でいることしかできなかった者まで罰するのは私の本意ではない。自らがそれにあたると思う者たちはこれまで以上に務めに精励し、領地では良きまつりごとを敷くことを望む。それができぬ者こそ私は罰しよう。これに異存がある者は前に出よ」
出る者など、いるはずもなかった。
もしや自分も処刑の対象になるのかと怯えていた者たちは胸を撫で下ろし、内心はカームラを苦々しく思っていた者たちは心の中で新王に喝采を贈った。
「異存はないようだな。
では、これにてすべての儀を終わる。遠方から王都に来た者も多いだろう。舞踏の間に食事を用意してあるので久闊を叙するがいい。私も出席する」
※※※
ざわざわと賑やかな舞踏の間。
貴族たちは遡ればどこかに血のつながりのある者が多いので、皆、楽しげに話をしていた。
新王が先王よりずっと人間らしい心づかいのできる人間だとわかったこともそれに拍車をかけていた。
「それで、それで姫はどうなさいましたの?」
「わたくしも剣を習おうかしら……」
「そんなこと、お父様に反対されましてよ」
「あら、でもわたくしもこんな綺麗な勲章が欲しいわ」
「近くで見てもよろしくて?」
同年代の貴族の娘たちに囲まれ、武勇談をせがまれて、ショウエルは心底困った顔をしていた。
イザナルがショウエルは本来は鬼姫ではないと言ったせいで、これまであまり関わろうとしてこなかった貴族の娘たちが我も我もとショウエルに話しかけ続けていたのだ。
逆に、軍人や貴族の男たちはショウエルにはあまり近づいてこなかった。
ほっそりした体つきに、あくまで大貴族の姫君らしい淑やかで美しい容姿。
そのどこに最高の武勲を持つ者にのみ贈られる勲章を受ける力があるのかと……それがどことなく、恐ろしかったのだ。
ショウエル姫はフリルやリボンが戦いの邪魔をするドレスを着たまま、自在に重い剣を振るうらしいという噂を聞いてはなおさらだった。
「ショウエル様、王がお呼びですよ」
「エルリック!」
「お手合わせでもするのでは?」
「いやだわ。わたしがイザナル様に勝てるわけないじゃない」
エルリックとともに楽しげに笑うショウエルとは裏腹に、貴族の娘たちは無言ですっと去って行く。
「……仕方ありませんね。いくら王が宣言しても長年の間のことは変えられません」
「変えられないのではないわ。時間がかかるだけよ。大丈夫。イザナル様もあなたもとても賢いもの。乗り越えていけるわ。それから、ありがとう。助かったわ。急に皆様に囲まれて困ってしまっていたの」
「いえ。こちらこそありがとうございます。……ああ、イザナル殿が呼んでいるというのは本当ですよ。バルコニーでショウエル様をお待ちだそうです」
「まあ、何かしら」
無邪気に歩いていくショウエルを、エルリックは苦い視線で見送っていた。
これでいい。この方がずっとあの方は幸せになれる。そう、きつく自分に言い聞かせても、胸を締め付ける痛みだけはどうにもならなかった。
※※※
人気のないバルコニー。
今日の主賓はどうやって抜け出してきたのか、そこに一人で立っていた。
「イザナル様、お呼びと伺いまして。どうかなさいましたの?」
「約束の品ですよ。____ほら。あのときの靴です」
イザナルが手に持っていた物に被せられていた布を外す。
そこにあったのは、絹の布地の上に置かれた一足の靴だった。
つややかに輝く白いエナメル地に、高く細い踵には金の線。
一目見るだけで、王家の粋を凝らしたと一目でわかる靴だった。
「まあ……きれい。ありがとうございます!」
受け取った靴を抱きしめんばかりにしてショウエルが喜ぶ。
その様子をイザナルは目を細めて見つめていた。
「喜んでいただけて何よりです。それから、できれば姫、こちらも受け取っていただければ嬉しいのですが……」
言いながら、イザナルが、まるで手品のようにさりげなく、あるものをショウエルへと差し出した。
「これ……は……」
イザナルが捧げ持つようにしているのは、白銀を基調に色とりどりの宝石で組み上げられた華奢な冠だった。
「王妃の冠です。あなたの金の髪にさぞ似合うかと……。いや俺はこんなことを言いたいのではなくて……その……あなたを妃にし、大切にしたいのです……美しいのに勇猛果敢な姫は……俺の……その……」
めずらしく、歯切れの悪い口調でイザナルがうつむく。
「とにかく、どうか受け取ってはくれませんでしょうか。あなたの望む、幸せな家庭を作れるように俺は努力します」
ショウエルは戸惑ったようにイザナルのそんな姿を見ていた。
そして____。
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