第44話 終焉の赤、永遠の青 Ⅲ

 玉座の間の中が赤々とした炎に支配されているのは、扉のわずかな隙間から見えた。

 

 けれど不思議なことに、その炎はほかの部屋も燃やすことなく、扉の前に立つイザナルたちの頬を熱さで焼くこともなかった。


 はじめエルリックは眠ったままのショウエルを抱いて急いで退避しようとしたが、「フレンジーヌが燃え尽きるのを確認する」と言ったイザナルが「火が熱くないな」と一人ごちるのを聞いて歩を止めた。


 ここまできたら、最後まで見届けたかったのだ。

 眠っているショウエルにも後ですべてを伝えることができるように。


 傭兵団員達も、病院に送り届けられた者以外は者は誰も動こうとしなかった。


 ゆらりゆらりと波のように動く玉座の間から漏れる炎の色は白い廊下まで赤く染め上げ、それはまるで世界の終わりのようだった。


「焼かない炎、か」

「夕焼けの真下にいるようですね」

 眠るショウエルを廊下に大事そうに寝かせたエルリックが、感嘆のような、呆れたような声を上げた。

 その顔の修復は八割がた終わり、取り戻された白い肌と金髪____彼が憧れる主人を模したもの____にも赤い照り返しがくっきりと色を刻んでいた。


「贄だけを選んで焼くとはな。まだまだこの世には俺たちが知り得ないことがあるということを痛感する」

「では、フレンジーヌとイ・サ伯は……」

 副官が尋ねた。


「心配するな。燃えるはずだ。フレンジーヌはあれの持ち主だからあれの影響下にある。良くも悪くも。イ・サも俺の加護を断っていった。もしも……自ら焼かれるることを選べば、あれは喜んでイ・サも贄にするだろう」

 イザナルの言葉にはほんの少しの苦みが含まれていた。

 

 イザナルにとってイ・サはほとんど理解しがたい人物だった。

 

 『父殺しのイ・サ』の異名を持ち、奸智に長け、ハリティアス伯家の権力と膨大な財産を手にしながら、負けの決まったいくさを仕掛けてきた男。副官から聞く限りは、撤退の目安となる数の兵士たちが倒れても、それでも前進しようとした男。

 けれど、イ・サ伯はそれほど愚かではないはずだ。どうなるかは予見できたはずだ。それがなぜこんな道を選んだのか。


 イザナルは、扉の隙間からわずかに見える炎の渦を見つめていた。


 イ・サ伯の表情を見てみたいという他愛もない理由だったが、それはできなかった。彼は『穴』に覆いかぶさるフレンジーヌを抱きしめるようにして向こう側を向いていた。

 

 そう思えば、フレンジーヌも『そう』だった。


 明晰な頭脳と美貌、巨大な権力、クエンティン公家とハイレッジ公家より相続した使い尽くすことのできないほどの財産、王族とは言えなくとも、金の椅子に座って生まれてきたような女。


 けれど、本当に欲しいものだけは手に入れられなかった女。


 ハハ、とイザナルが笑う。

 

 副官やエルリックが驚いたようにそれを見た。

 イザナルは笑いながらわずかに涙ぐんでいた。


 フレンジーヌ。

 生涯の敵、国家の仇敵、魔女、毒蛇。


 けれど、自分が自分を取り戻すための闘争をしていたように、彼女も欠けた何かを取り戻したかったのではないかと____。


 傷ついた兵やショウエルの前ではけして言えることではなかったけれど。


 そのとき、低い呻くような声がイザナルに聞こえた。


 「まあ、陛下、お目覚めになったのね!」

 ユーエが歓声を上げる。廊下の隅に寝かされていたカームラが、目を開けようとしていた。

「ねえ陛下、ご安心なさって。陛下を誅する逆賊の頭目は死にましたのよ。ほら、赤く燃える玉座の間が見えるでしょう?」

 ユーエだけがこの場で無邪気に喜んでいた。

 手を胸の前で組み合わせ、夢見る乙女のように嬉しげに笑みを浮かべていた。


「ユーエ……」

「はい?」

「ユーエ・ユウ・デ・ラ・メア……」

「それはわたくしですけれど、どうかなさいました?陛下」

「私は……私の目は何も見えていなかったのかもしれぬ……」


 ユーエの手を借りながら体を起こしたカームラ王がユーエとイザナルとに交互に視線を移した。


「本物の金は闇でも光り、強さは力では測れぬのだな。

 私は貴様のことをつまらぬ女だと思っていた。まさか、護衛兵を一撃で倒す女の前に立ちはだかる女だとは思っていなかった」

「あら。あのときもお目覚めだったのですか?女子が拳を握るなど、はしたないところをお見せいたしました。恥ずかしいわ」

「体は動かなかったが、声だけが、聞こえていた」

「ならばようございました。あのような姿、殿方にはお見せできません」

「迷いは、なかったのか」

「ええ。愛する陛下のお命のためですもの」

 当たり前ですわ、とユーエが小首をかしげる。


「それ以外に何か道はありまして?」


 カームラは無言だった。そして、ゆっくりと首を振る。


「……今の私にはそう言えるだけの強さはない」

「まあ。ご謙遜を。陛下はこの国で一番強くありましてよ。だってユーエの愛した方ですもの」

「その愛はまだ有効か?」

「何をおっしゃるのかしら。ユーエの心は生涯、陛下の物ですわ。陛下がショウエル姫を愛されていても」

「私がショウエル姫を選ぶかもしれぬと知りながら、あのような行動を?」


「はい。愛しておりますから」

 ユーエの笑みに曇りはなかった。腕を落とされそうになりながら、「殺すならわたくしを殺しなさい」と命じた時と同じ狂気に近い一途さに満ちていた。


「そうか。……イザナル」

「なんだ」

「慙愧に堪えんが、この反乱で偽物は本物にはなれぬと悟った。いかに鍍金を施しても錫は錫。あの女から文様の話を聞いたが、それのない私にあの女を退ける力はなかった。これから先、同じことが起きても私には何もできぬだろう。そして私もそのとき何が起こるか想像できないほど馬鹿ではない。

 イザナル、貴様は何を望む?」


「王位を。本来俺に与えられるはずだったすべてを」


「あいわかった……」

 よろよろとカームラ王が立ち上がった。


「自らの処刑の書類に印を押す王など、私が初めてであろうな」

「陛下!そのようなことなさらなくても!」


 ユーエがその体にすがる。けれどそれをカームラは押しとどめた。


「見ろ、ユーエ。彼らはそれができるのに『しない』のだ」


 カームラは銃、弩弓、剣、それぞれの武器を持ちながらも、イザナルからの命令がない限り動かない傭兵たちを見渡す。そしてそれをユーエにも促した。


「それが王としての誇りなら、私もまた一度は玉座に坐した者として誇りを持って身を処さねばならぬ」

「命はいらない。王位を継承できれば俺が王としてその先を決める」

「なるほど。永久労働か、孤島での灯台守りか。どちらにしても私は……」

「ユーエがともに参りますわ。陛下といられればユーエはどこでもいいのです。たとえそれが穴倉の底でも」

「王でない私でも愛するのか?」

「当たり前ですわ!ユーエが愛したのは王の位ではなくカームラ陛下でしてよ」


「そう……か」


 カームラは何とも言えない表情をしていた。

 恐らく、自分の理解の範疇を越えたことを言われた人間はみなこういう顔をするだろう。


「ユーエ、私は何もかも間違っていたのかもしれないな」


 長いため息とともに、カームラの口からはそんな言葉が吐き出された。

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