第39話 罪と罰 Ⅰ
イザナルとエルリックを拘束していた黒い触手がするすると本体に戻っていく。
そこからエルリックはためらいもせずショウエルに駆け寄り、イザナルはほんの一瞬逡巡したあと、玉座の間の前で防衛戦を展開している傭兵たちの元へと自分たちの勝利を告げに戻った。
「すぐに戻る!」という言葉を残して。
「ショウエル様、ご無事ですか?」
「ずっと嘘をついていてごめんなさい、エルリック。私は最低な娘ね……」
まずショウエルの唇からこぼれたのはエルリックの質問に対する答えでもなく、勝利の喜びでも何でもなく、胸を裂くような言葉だった。
「だけどあなたを巻き込みたくなかったの……!こんなことをするのはわたしだけでいいと思ったの……!」
反射的にショウエルへと涙を拭うための布を差し出したエルリックは、はっと自らの顔を隠した。
限界を超えた術を使ったせいで擬態の顔はほとんど剥げ落ち、その修復もまだほとんどできていない。
ショウエルの透き通る青い瞳に映っているのは、擬態していない、醜い素顔だ。
「数百年前に起こされた戦いの再現など、誰にもどうなるかはわかりません。ですから、ショウエル様の判断は間違ってはいなかったかと……。
それより、申し訳ありません。お見苦しいものをお見せしました」
ショウエルに渡そうとした布でその顔を覆うと、ショウエルはきょとんとエルリックを見つめた。
「なぜそんなことを言うの?」
ショウエルの指先がエルリックの顔をなぞる。
「あなたはわたしのために命を懸けてくれた。これはその証拠でしょう?大切なのは魂の純潔だと何度も言ったじゃない」
ほろほろと涙を流しながら、それでもショウエルは微笑んだ。
「ありがとう、エルリック。あなたは本当に最後までわたしのそばにいてくれたわね」
「私はショウエル様の従僕ですから」
「もうそんな言葉では現せないわ。イザナル様はブロォゾ一族の復権をしてくれるでしょうし、これからあなたは幸せになるのよ。誰かのためになんて生きては駄目。自分を生きられるのがいちばんの幸せなのだから」
「なにをおっしゃるのです?」
ショウエルの台詞に不穏な響きを感じ、エルリックは問い返す。
「わたしも、最後までわたしとして生きるわ。
お母様、どうか裁きを受けてくださいましね。お父様はお母様が罪を贖うのを必ず待っていてくださりますわ」
そして、随分短くはなってしまっていたけれど、ドレスの裾を摘み上げ、ショウエルは女性貴族式の最敬礼をする。
エルリックと、拘束された母に向かって。
「それはどういう意味ですか、ショウエル様!」
早足で黒いものと母に近づいていくショウエルに、エルリックは必死に問いかける。
「あなたは何も気にしなくていいわ。ここからは私の受ける罰」
「なぜショウエル様が罰を?イザナル殿が復権すれば、救国の乙女としてショウエル様に最上級の勲章を捧げるでしょう。あの方は理性的な方だ。ショウエル様をお母上と連座させるわけがありません」
「ええ、そうでしょうね。あの方は本物の王の器をお持ちです。あなたにもきっと素晴らしい勲章と称号を与えるのではないかしら」
そして、ショウエルはフレンジーヌの前で立ち止まる。
「お母様、わたしもお母様のように生きればよかったのかもしれませんね」
それから、泣き笑いのような表情を浮かべて言った。
「一度だけ……一度だけでいいのです。本物の娘として触れさせてくださいまし」
フレンジーヌがうなずくのを待たず、ショウエルの指がそっとフレンジーヌの頬に触れる。
「やっとさわれた……お母様」
フレンジーヌはショウエルにそうされることで湧き上がる感情に名前を付けることができなかった。
ただ、苦い後悔だけが胸を刺していた。
「もうひとりのショウエルには、イザナル様にお母様の幻像を作っていただいて、もうお母様には会えないことを伝えますわ。きっととても悲しませてしまうでしょうけれど……。
本当はすべての記憶を書き換えることもできますけれども、お母様があの方にそそいだ愛情までは奪ってはいけない気がするんです」
フレンジーヌは答えなかった。いや、答えられなかった。
その代りにこんな言葉を投げる。
「母親なのに見抜けなったなんて____ショウエル」
ショウエル。
そのただ一言にフレンジーヌの無限の悔恨が込められているようだった。
ショウエルは黙って首を振る。
「そう仕向けたのはわたしですもの。あとはイザナル様の文様の力でもうひとりのショウエルに新しい名前と顔を与えてもらいましょう。自分は病死した母を持つ、地方貴族の娘だということに記憶も書き換えていただいて」
言葉とともに、ショウエルの指が名残惜しげにフレンジーヌから離れた。
「聞いていたでしょう、エルリック。イザナル様にこのことを伝えてね。もうひとりのショウエルには身寄りがないからこれしか方法がないのよ……」
「そんなもの、ショウエル様がご自身で伝えられたら良いではありませんか」
けれど、エルリックの言葉が聞こえないかのようにショウエルは歩いていく。
「カームラ陛下は『力』のせいで気を失っているだけのようだから、心配はいらないわ。お目覚めになられたらここから連れ出して頂戴」
「それは構いませんが……先程のお言葉の意味は?」
それには答えず、なおもショウエルは歩いた。
その場にもう一人の人間がいることには、まだ誰も気づいていなかった。
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