第36話 母と娘~闇と光~

ショウエルがフレンジーヌに向けて剣を構える。

文様からうまれた光が、燃えたつようにその体を包んだ。

温度の高い炎ほど色は青くなるというが、まさにそのような感じだった。


「あら、その構え、それなりの修練は積んできたようね。

 でもね……勝てないわよ、私には」


フレンジーヌの大剣の切っ先がショウエルへと向けられる。

そして、間合いを詰めようとしたショウエルへと、黒いものが放たれた。

カームラ王を椅子に拘束しているものとそっくりな、不定形で、禍々しいもの。


「いやっ」


 思いもよらぬ反撃を受けてショウエルが小さく悲鳴を上げる。

 剣を持つ手が、腕が、体が、黒いぬらぬらとしたものに覆われはじめていた。

 そしてそれは、文様から放たれる光を少しずつ薄くしていく。


「不思議そうな顔をしているわね。もしかして自分には特別な力があるからなんとかなるとでも思ったのかしら?

だとしたら思い上がりよ」


 フレンジーヌの背後にゆらゆらと黒い陽炎のようなものが現れた。

 それは次第に密度を増し、ショウエルの剣を拘束しているものと似たような質 感になっていく。


「この世は悪意に満ちている。そしてその感情を大量に集めれば……」


 フレンジーヌが言葉を切った。

 そして、身動きの取れないショウエルに何歩か近づき、黒いそれからなんとか逃げようとしているその姿を見て、世にも嬉しそうに笑った。


「そんなことをしても無駄よ。_____ねえ、なぜ『神聖文様』などというものが生まれたかわかるかしら?それはかつて、それがなければ勝てないヒトより上位の捕食者がいたからよ」

「ブロォゾ一族のことなら存じ上げておりますわ!」

「まあ、そこまではたどり着けたのね。

 でもまだ足りない。まったく足りないわ。悔いが残らないように、死ぬ前に本当のことを教えてあげましょうか」


 笑顔のままのフレンジーヌとは相反して、ショウエルの苦悶の表情は深くなっていった。


 すでに、黒い『それ』はショウエルの足まで覆おうとしていた。


 また一歩、フレンジーヌがショウエルへと近づく。

 ショウエルの剣の長さならばぎりぎり応戦できるほどの距離まで。

 もちろん、フレンジーヌはショウエルがもう剣など振れないことは承知の上だった。猫が鼠をいたぶるように、フレンジーヌはこの状況を楽しんでいた。


「私たちの家以外には忘れ去られた神話……数百年の昔のこと……ヒトへの本物の脅威はブロォゾ一族ではなかったの。本当の脅威はこれよ」


 フレンジーヌがそう言葉にすると、黒い何かは王宮の天井につくほど巨大になった。

 そのせいでショウエルへの拘束も強まったのか、ショウエルは小さなうめき声をあげる。


「ほら、そんな顔をしないでよく見てあげて頂戴な。数百年の眠りからやっと目覚めたのよ」


「こんなこと、もうやめてくださいまし……お母様……」


 苦しげな声だった。それを「偽物の娘に母など呼ばれたくないわ」と冷たい声で返し、フレンジーヌは黒いそれを撫でるようにする。


「私はおまえよりこちらの方がずっと愛しいのよ」




                 ※※※



「イザナル殿、あれはなんです?!ショウエル様が!あれではショウエル様が!」


「すまない。俺にもわからん。おふくろからも何も聞いていない。……気を散らすな。姫のことで頭を一杯にするより、この壁を壊して姫の傍に行けた方がいい」


「わかっています!悪いですがさらに力を頂戴しますよ!」


 エルリックが壁に当てた両手からはパチパチと火花が迸る。

 すでに半分以上は髑髏のようになっているエルリックの顔。未だ残っている人間の顔の部分にも苦悶の跡がはっきりとうつっていた。


 どれだけイザナルから無限の力を供給されても、エルリックが術を使える回数には限度がある。けれどエルリックはそれをとっくに乗り越えていた。

 骨が軋み、肉が傷む。それでもエルリックの頭にあるのはただ壁を崩すことだけだった。


 もし、このまま自分が壊れても、ショウエルが助かればいいと。




                

                ※※※





「いかが?美しいでしょう。これは目を覚ました時に視界に入ったものを主人だと認識する、自らの意思も望みもない『力』。ヒトの叡智の集積である『対の神聖文様』でしかわたりあえないもの。本当はもっと穏当に目覚めさせるつもりだったわ。文様の娘を王に嫁がせ、王を狂わせ、私のショウエルを女王にし、『対の神聖文様』のかわりにこの『力』を利用するつもりだったのよ。それおまえたちが余計なことばかりするから……たくさん人が死んだのよ。

 ナンセも傭兵も死ぬ理由などなかった。それはみんなおまえのせい。おまえはいったい、あとどれくらい死なせれば気が済むのかしら?」


 フレンジーヌの赤い片眼が赫と輝く。

 もしここにイ・サがいたら「こういうときのおまえが一番きれいだぜ」と言ったろう。


「その前に、お前を殺してしまわなければね。馬鹿な娘。対の廃嫡子とともに来れば、まだ少ないながらも勝機があったものの」


「約束、いたしましたから。もしもお母様が悪しきことを為すならば止めると」


「まあ、誰に?あの廃嫡子?それともあの化物?」


「いいえ」


 首を横に振って、ショウエルは言葉を続ける。


「まったく違う方ですわ。それから、お二人のことはお名前で呼んでくださいまし。わたしのことはいかように呼ばれても構いませんが、お二人には名前があるのです」


「生意気な娘。どこの誰とも知らぬ貧民の娘が文様があるというだけで、わずかでも大貴族の娘として生きられたことを感謝なさい。_____でもここまで来たら、もうおまえはいらないわ」


 フレンジーヌが黒い『力』を纏った大剣をショウエルへと振り上げる。


 そのとき。


 巨大なガラスが一斉に崩れ落ちるような音がした。

 

 さすがにフレンジーヌも音の方に目を向ける。


 エルリックの術が成功したのだろう。神聖文様の力で作られた壁のかけらは床に散乱し、今にもエルリックとイザナルがショウエルへと駆け寄ってくるところだった。


 それを見たフレンジーヌが、聞こえるか聞こえないかくらいの舌打ちをする。


「まさかブロォゾ一族にまだここまでの力を持った者がいたとはね。私は人選を間違えたようだわ。____まあいいわ。全員まとめて……殺してあげましょう!」


 そう、高らかに宣言して、フレンジーヌは大剣を構えた

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