第34話 母と娘~王と騎士と~
はじめに『それ』に走りよったのはエルリックだった。
「ショウエル様!ショウエル様!」
壁を強く叩きすぎたせいで、エルリックの手から血の飛沫が飛び散る。それにもかまわず、折れた手の骨が肉を突き破るのもかまわず、エルリックは壁を必死で叩き続けていた。
それを見て、その手をイザナルが抑えようとする。
「邪魔をするな!」
エルリックが人前で言葉を荒げたのは、ハイレッジ家に引き取られてからはこれが最初だろう。
そして、それでも壁を叩き続けるエルリックを、イザナルは羽交い絞めにする。
「無駄だ。それは壊せない」
「じゃあ黙って見ていろと?見捨てろと?あそこにはショウエル様がいるんですよ!たったお一人で!」
「俺だってそんなことはしたくない!だが無理なんだ!あれは文様から生み出されたものだ。素手はおろか、銃だろうが爆薬だろうが、傷一つつけられない。あの壁とその中には因果律がないんだ!」
「因果律が……ない?」
エルリックが目を見開いた。どんな魔法も奇跡も、原因からはじまり、結果で終わる。
それまで拒否する壁の存在など信じられなかった。
いや、信じたくなかった。
「そうだ。原因も結果も『あれ』は拒む。____姫は本当に、城から出るまで文様のことを知らなかったのか?」
「当たり前です!文様を目覚めさせないようにフレンジーヌからきつい命令を下されていたし、そばには力を抑える私がいた!城に結界も張った!」
「だが実際に姫は文様を使いこなしている!因果律遮断も使っている!あれは、剣や弾丸に力を与えるようなものでなく、文様所持者が意識的に張らないとできない壁だ!」
「では、姫は私のことも信じてはいなかったと言うのか……姫を裏切るくらいならば死んだ方がいいだと思っているのに……せめて一言でも打ち明けて下されば……」
うなだれるエルリックを慰めるように、イザナルがその肩を抱く。
「自分を責めるな。姫は騎士を大事にしすぎただけだ。姫は大貴族の娘ならあり得ないような態度をお前に取っている。そのうえ、おまえがブロォゾ一族だとわかってもその態度を崩さなかった。おそらく、こんな争いにおまえを巻き込まないように細心の注意を払っていたんだろう。
だから、悲しむな。喜べ。おまえは姫にとってそういう存在だということだ」
「しかし……それでも……私の力が足りなかったのですね……」
「………神聖文様は一種の奇蹟だ。おそらくその力で結界のどこか一点の小さなほころびを見つけて、秘かに文様を顕現させていたのだろう。姫の騎士のせいではない。それに、奇蹟と奇蹟は戦えるが、奇蹟を無傷で止めることができるのは神だけだ」
そして、俺も、おまえも、神じゃない。とイザナルが自分に言い聞かせるようにつぶやく。
「私は……何をしてきたのでしょう……」
うなだれるエルリックに、イザナルが首を振った。
「悔やむな。姫の騎士は十分なことをした。普段の姫の手には文様があらわれなかったろう?それはおまえのおかげだ。俺ですら、姫が城から出るまで姫が文様所持者だというのがわからなかった。そして、フレンジーヌも姫の目覚めに気が付かなかった。これだけでも十分おまえは役目を果たした」
「そのような慰めなど……」
「本心だ。こんなときに冗談が言えるほど俺は楽観主義者じゃない。
だから姫はあの剣を持って行ったんだ。あの壁の中で結果を作れるのは自身の肉体の力だけだからな」
「では、ショウエル様はあの剣一本でフレンジーヌと戦う気だと?援護もなしに?」
「肯定したくはないが……そうだ」
イザナルの指が壁をなぞる。そして、眉間に皺を寄せた。
常勝の名を欲しいままにし、どんなものも恐れたことのないイザナルが初めて見せた表情だった。
「しかし、すさまじいな。俺もこれほど広範囲の遮断壁は作れない。ここまでの術を誰にも知られないように習得するには____姫はおそらく死にたくなるようなぬような苦痛を長年味わってきたことだろう。
……姫は俺たちよりずっと以前からフレンジーヌのたくらみを見越していたのかもしれないな。それならば姫は本当に賢い」
エルリックは唇を噛む。
何も知らなかった。守りたい人を守るころもできなかった。ショウエルの痛みを肩代わりすることもできなかった。
そのすべてが、歯痒がった。
幼い自分を救ってれた太陽のような少女になんの手助けもできないまま、このまますべてが終わってしまうのかと。
いや、終わらせてなるものか。
「……そのような言葉を吐いている場合ではないでしょう。あの方がお一人であの女に立ち向かっているんです。我々はむざむざとそれを見ているだけですか!」
「怒鳴るな、姫の騎士。言ったろう、遮断壁を作られれてしまえばすべての因果律が無効になると。そして、俺の王の文様でもこの大きさの遮断壁は作ることはできない。……つまり、壊すこともできない。だから今、俺の文様でなんとかできる方法を必死で考えている。
俺だって姫を救いたい!だが見つからないんだ!方法が!」
その言葉を聞いていたエルリックが、唐突にイザナルの足を蹴りつける。
驚いたイザナルの一瞬の隙をついて、エルリックはまた壁へと走った。
「ならば私がやるまでだ!私はブロォゾ一族、かつてあの文様と戦ったもの。
この呪われた血に初めて感謝する!ショウエル様を救えるなら、再び化物に身を落とすことなど安い!」
エルリックが壁に両の掌を当てて、何事かを唱え始める。
唱えるたびに、貴公子然としたエルリックの顔が剥がれ落ち、ブロォゾ一族の本来の顔である髑髏のような顔が少しずつ現れた。
「どうか少し持ち堪えてください、ショウエル様!いま、そちらに参ります!」
エルリックは叫んだ。
この声だけはショウエルに届いてほしい。そう、心から願いながら。
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