第33話 母と娘~はじまりの真実~
「順調に進んでいるな?」
問うイザナルに副官は「は」とうなずいた。
たとえ意識して使わなくとも、傭兵たちに与えられた『王の血』はその力を確実に発揮していた。
彼らが放つ弾丸は薄く青い光を帯び、イ・サの兵たちの放つ弾よりほんの少し速い弾速を叩きだした。
平常ならばなんという差でもなかったが、戦場ではそれは大きな優位性となった。
弩弓兵たちも普段ならば引けることのない強さで弦を引く。それは、鉄鋼兵たちの鉄の装甲さえ貫く強さを持つことさえあった。
その加護は、数では劣る傭兵たちの劣勢を補うには十分だった。
「ならばよし。我々は玉座の間に突入する。先ほど命じたことを忘れるなよ」
「しかし、隊長……!」
「副官、おまえには本当に世話になった。もし戻れないときはおまえの頭に声を送る。それを撤退の合図にしてもいいからな」
「では最後まで副官として指揮を執らせてください。この傭兵団に隊長は一人しかいません」
「悪いな。実はもう了解は取ってある。俺がいない間は副官が隊長代理となる。それでいいな?おまえたち」
「何を……!」
反論しようとした副官は、戦闘の合間を見て次々に自分に敬礼する傭兵たちを見て言葉を失った。
「副官、いや、ラキア。いいか、この場所の戦いはお前の戦争だ。おまえが率い、おまえが責任をとるんだ。勝利も敗北もおまえのものだ。重いものを背負わせて悪いが……俺はそれが男の本懐だと思っている」
「私は……!」
「上官の命令には絶対服従。忘れたのか?」
いたずらっぽくイザナルに問われ、副官___ラキア___は頭をガリガリと掻く。普段冷静な彼にはめずらしい仕草だった。
「わかりました。ただし!」
ラキアの手がイザナルの軍装の襟をきつく引いた。
「もしこれからずっと私に隊長代理を名乗らせるようなことになれば、生涯お恨みしますよ。私の妻はあなたが選ぶんですから」
「それは恐ろしいな。まあ、善処する」
「約束です」
「ああ、わかった、約束する。____俺だって、死にに行くわけじゃない」
「それを聞いて安心しました。私もラキアなどと呼ばれたくありません。ずっと副官で十分です」
「おかしな奴だ」
イザナルが笑った。
そして、ショウエルへと手を差し伸べる。
「それでは姫、申し訳ありませんがご同行を」
「はい」
「俺が先頭に立ちます。あなたはその後ろに。姫の騎士は姫の背後を守ってくれ」
「お安いご用です」
ショウエルとエルリックの返答を聞き、玉座の間の扉にイザナルが手をかけた。
そのとき、それまで毅然としていたショウエルがはじめて後ろを振り向いた。
ふわりと、ドレスのフリルが揺れる。
「伯!わたしはわたしの戦いを為してきます!これまでお母様を愛してくださったこと、感謝いたします!それでは____さようなら!」
その声に、険しい顔で指揮を執っていたイ・サもまた振り向いた。
「おう!頑張れ!それからな!俺はお嬢ちゃんのことも愛してたぜ!」
それを聞いて少し照れたようなショウエルの笑みと、いつもと変わらないイ・サのまなざしが一瞬ぶつかりあった。
けれどそれも一閃。
イ・サはすぐに伝令兵へを向き直り、ショウエルもまた玉座の間の扉に向けて背筋を伸ばす。
「まいりましょう、イザナル様」
「よろしいのですか?」
「ええ。今生の未練はすべてここに置いていきますわ。
さあ、その扉を開けてくださいまし」
※※※
軽やかな音を立てて玉座の間の扉が開く。
「まあ」
ゆっくりと歩を進めてきた三人の姿を認めて、フレンジーヌが華やかな笑みを浮かべた。
晩餐会で賓客を迎えるような笑顔だった。
玉座の間の白い壁に赤で彩られたドレスが映える。
その赤が、血だったとしても。
「もう来てしまったの。イ・サの言うとおり、足の速い狗たちね」
「外の音は聞こえているだろう?イ・サ伯の兵団と俺の兵たちが戦っている。そしてここには対の文様。フレンジーヌ、おまえに勝ち目はない。ここでもうやめろ」
「さあ、それはどうかしら?勝ち目があるかどうかは私が決めるわ。おまえ如き、廃嫡子ではなくてよ」
「イ・サ伯の気持ちを無にするつもりか」
「私は私を救う王子など求めていないわ。そこの娘とは違って。それに、戦いに感情などないわ。憐憫も、温情も。かえってそんなもの屈辱よ。そうではなくて?」
「お母様、それではなぜ、ナンセに扉を守らせたのですか?お母様の言い分ならば、あそこを守るのは一平卒でもいいはず……!」
「ナンセ?」
ショウエルの言葉にはじめてフレンジーヌの表情が動いた。
大きな目から作り込んでいた感情が消える。
精巧に作られていた仮面が、ほんの少しだけ剥がれ落ちたようだった。
「そう。……馬鹿な男ね。帰りなさいとあれだけ命令したのに」
フレンジーヌのため息は、いつものように偽りにものではなかった。
おそらくフレンジーヌは、本心からナンセ____自分にかなえられない恋をしていた男____を悼んでいた。
けれど、それでもまた、その瞳はいつものフレンジーヌを取り戻す。
「それで?ナンセはどうかして?もしかして……あなたが殺したのかしら?
恩のある家来を殺すなんて恐ろしい娘ね!私も気を付けなければ!」
フレンジーヌが嬌笑を上げる。
それを聞いたショウエルはうつむいた。けれど今回はそれだけではなかった。
すぐにまた顔を上げて、母の顔をまっすぐに見つめ直した。
「それが戦うことを選んだ者の生き方です。大切な人を殺めるのは悲しいですわ。悲しくて逃げてしまいたいですわ。けれど……今はそれはいたしません。
生涯忘れられない後悔だとしても、それをするのは戦いが終わってからです」
「そう。はじめからそういう顔を見せていればまた違う育て方もしたのに……残念だわ」
「わたしも残念です、お母様。親に弓引くなど……」
フレンジーヌがその言葉を聞いて唇の端を引き上げる。
その笑みの意味を知らないのはショウエルだけだった。
「そういえば、ハイレッジ家の兵団はどうした?おまえひとりで俺たちにかなうと思うのか?」
「部下?殺したわ。無能な王を前に狼狽する兵などいらない。兵などまた養成すればいいのよ。女王にふさわしい兵士をね。
それから廃嫡子、おまえの質問に答えてあげましょう。私は一人ではないわ」
フレンジーヌの高笑いとともに、それまでフレンジーヌの影に隠れていたものが露わになる。
それは、玉座に座るカームラ王だった。
どうやらすでに意識を失っているらしく、ぐったりと頭をうなだれている。
「陛下!」
駆け寄ろうとするショウエルをエルリックが抱きかかえて制する。
「人質をとって交渉するおつもりか」
エルリックに問われ、フレンジーヌは優雅に首を振った。
「いいえ。私にはもう人質など必要なくてよ。これでおまえたちにも見えるでしょう?ほら」
フレンジーヌが指を鳴らすと、カームラ王を玉座に縛り付けている黒い不定型の影が見えた。
「これが私の……」
「ごめんなさいエルリック!」
フレンジーヌが何事か言いかけたそれに押しかぶせるように、ショウエルが叫ぶ。
誰も止める間もなく、ショウエルはエルリックの剣を手に駈け出していた。
そして、文様のある方の手を高く掲げる。
ぴしんと氷が砕かれたような音がしたあと、ショウエルの後ろには壁ができた。
うっすらと輝きながらも透き通り、神聖文様と同じ模様がその上を縦横に走るそれは、部屋全体を横断し、イザナルともエルリックともショウエルを隔てた。
壁の中に、フレンジーヌとショウエルを残して。
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