第30話 ヴァルキュリア Ⅱ
それからはとても長かった。
いや、弾丸の初速から考えれば一瞬なのだが、そのときはとても長い時間に感じられたと、のちにその場にいた傭兵は語る。
ショウエルが引き金を引いた銃口からは、淡い青の燐光を纏った弾丸が飛び出し、信じられないことに空中でナンセの銃弾を撃ち落とした。
そしてそのまもう一度ひかれた引き金は、今度こそナンセの胸を貫いた。
すべてがショウエルの腕前と、与えられていた銃の性能では信じられないほど素早く行われた。
ショウエルを庇うためエルリックが飛び出したのも、撃たれないようにショウエルを床に伏せさせようとイザナルと副官が動いたのも、ナンセの体が倒れた後だった。
「ショウエル様!ご無事ですか!」
「ええ」
「お怪我は」
息せき切って尋ねるエルリックにショウエルは首を横に振る。
「ないわ。……それより、わたしを庇おうとしたでしょう。そんなことをしては駄目。あなたは無事に帰るのよ」
「しかし……」
エルリックがため息をつく。
「なんてことだ……まさかナンセが本当にショウエル様を撃つとは……」
「いいのよ。大丈夫。わたしは大丈夫だから。もう決めたの。何があってもためらわない。何があっても……誰を傷つけても……」
ショウエルの瞳からほたりと涙が落ちた。
「なのにどうして……こんなに悲しいのかしら……」
ほたほたと、ショウエルのミルク色の肌の上を涙の粒が滑り落ちていく。
だがショウエルは、それを拭うことさえ忘れているようだった。
そこには、先程までの強さは垣間見えず、泣いているただの少女がいるだけだった。
「エルリック、あなたほどではないけれど、ナンセも兄のように思っていたの……。お父様が逝かれて泣いているわたしを肩車したり……。わたしはその人を……。
最後まで、ナンセが銃をおろしてくれるのを……引き金を引かないことを願っていたのに……!」
スン、と鼻を鳴らすショウエルの肩にイザナルの手が置かれる。
「1人目の時は誰でもそう思います。願わくば、その気持ちをずっと持ち続けてください。俺たちはとっくに擦り切れてしまいました」
「はい……」
ショウエルが真っ赤な目で無理やり微笑む。
エルリックはそれでもまだ痛々しくうつむいているショウエルの顔を拭き、そのついでに気付かれぬよう、ショウエルの手から銃を奪おうとする。
それに気づいたショウエルは「駄目よ」とその手を押しとどめた。
「けれど私はこれ以上、ショウエル様が苦しむのを見たくないのです。どうか……」
「そうね。苦しむかもしれないわね。でも、戦えない人間に逆戻りしたらもっと苦しむわ。だからいいのよ、エルリック。今度ばかりはわたしの荷物まで背負おうとしなくても」
「ショウエル様……」
「それに、この文様があるから……わたしでも、戦えるわ。
そうでしょう?イザナル様。わたしの弾丸がナンセの弾丸を撃ち落とすなんて魔法のようなことができたのも、二発目がナンセの急所に当たったのも」
「姫のおっしゃる通りです」
「はじめてお会いしたときにイザナル様にそんなお話を聞いていたから……絶対にできると信じて撃ちましたのよ。それに、もしそうでなくても、それはそれでよいと思いましたの。わたしが撃ったのは、わたしの家族同然の人でしたから……」
少女らしい感傷に満ちたショウエルの言葉にはあえて答えず、イザナルは事務的な言葉を返す。
「はい、ただ、あまり使いすぎてはいけません。奇跡も魔法もこの世のことわりに反するもの。大きな力が動けばそれを均衡に戻そうとする力も働きます。
だから俺もこの力は、よほどのことがないと使いません。副官にすらこれのことを教えなかったほどです」
「わかりました。気を付けますわ」
ショウエルはそれでも気丈に頷いた。
涙ぐんだ赤い目で、微笑むことを続けようとしていた。
「おまえたちも聞こえたな?」
イザナルが振り向き、傭兵たちの顔を見渡す。
「できるだけ『王の血』の力に頼るな。いつものように戦え。これはいざというときの護符のようなものだと思え。この世のことわりに反する者はその分の報いを受ける」
「はい!」
「彼は何者だったんですか?」
副官に聞かれ、エルリックが答える。
「フレンジーヌの腹心です。ということはつまり、玉座の間にもうフレンジーヌたちが入ったということでしょう」
そのとき、測的手の指がまた動いた。今度は3本。
つまり、敵か味方かわからないもの___おそらくは敵だろう___は、もうすぐそこまで迫っているということだった。
「防壁を作れ!この場にある何を使ってもいい!玉座の間の死守。それがおまえたちの役割だ!」
歯切れのいい声でイザナルに命ぜられ、傭兵たちが一斉に動き始める。
まだ見ぬ、敵に向かって。
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