第28話 戦乙女とそれぞれの過去
血と死体に彩られた長い廊下を、傭兵たちは隊伍を組んで歩いていく。
先頭は銃剣と歩兵銃で固めた重武装の突撃斥候、後方には間を開けて身軽な殿隊、そしてその間にはいつでもそれぞれの武器を叩きだせるようにした主部隊の傭兵たち。
誰もが険しい目をして、待ち構える敵に備えるように少し前かがみの姿勢で玉座の間に向かって行く。
「人の死を喜ぶのは卑怯なことだとは思いますが……ここまでまったく戦力を削られずに進んでこられたのは嬉しい誤算です」
「確かに卑怯だな、副官。____安心しろ、俺もだ」
「しかしこの先にいるのはあのフレンジーヌです。何十年もの月日をかけ、用意を怠らずその日を待ち、時が来ればたった一人で一国との戦争を起こせる女。
私をイ・サに選ばせた時のあの女の言葉はよく覚えていますよ。『できるだけ幼く、醜く下衆で外道な生物』それで私を選んだイ・サの慧眼にも恐れ入りますがね」
エルリックが苦い笑みを浮かべた。
蔑まれてきた血筋。ブロォゾ一族がヒトに擬態するすべを覚えても、それまでの貧しさは変えようがなかった。
泥水を啜り、草を食み、それが比喩ではない生活。食物の一片のためならば、ヒトでも同族でも殺せただろうあの頃。
これから会う人間をお前のような外道に育て上げろ、と、乱暴に運ばれた先、見たこともないようなきれいな場所で目の前に現れたのは、痩せているはずの自分より小さくて、ずっとほっそりした子供だった。
その子供が、ヒトに擬態していたとはいえ、汚れた服を着た自分に微笑み、貴族として正式な自己紹介をしてくれ、「いっしょにごはんをたべましょう?」と同じテーブルに座らせてくれた時から、「わたしのおともだちになってくれるのよね。ありがとう」と笑ってくれた時から、自分はどんなことをしてもこの人を守るのだと、心に誓ったのだ。
白い指先、太陽のような金の髪、海よりも空よりも青い瞳。
そして、汚い自分を包み込む笑顔。
それが、ショウエルとエルリックの出会いだった。
それ以来、ショウエルはエルリックにとって無意識の絶対者であり続けた。
子供が少女になり、貴族や被差別民といった社会の仕組みを理解する年頃になっても、ショウエルとエルリックの関係は変わらなかった。いや、ショウエルが変えようとしなかったと言ってもいい。
「いったいどんな生まれなのです?そのフレンジーヌという女は」
副官がいぶかしげに聞く。
「どこかの娼婦の成り上がりですか?」
「いや。名門の娘だ。ハイレッジ家よりほんの少し格下のな。血を遡ればハイレッジの末席に繋がり、王家との繋がりもわずかにあるということで、ハイレッジ公より15も年下だったが妻になった。この国には、あの女以外にハイレッジ公と釣り合う家格の娘がそのときいなかったからな」
「15も……!ひどい政略結婚ですな。ならば今回の件も納得がいく。しかし、よくもそのような良家に怪物が生まれたものだ」
「いいえ!」
「あ、申し訳ありません、姫……」
副官が目をそらす。
自分が過ぎた言葉を使ってしまったことに気付いたのだ。
自分たちにとっては狂った怨敵でも、ショウエルにとっては母親なのだから、と。
「いえ……お母様が……怪物と称せられるのは良いのです。このようなことをなさるのはどのような理由があっても悪いこと。でも、お父様とお母様は本当に仲睦まじくおられました。はじまりはどなたかの意思かもしれませんが、わたしはお父様とお母様のような家庭を作りたいと思っておりました。お父様が庭の花の手入れをし、お母様は『高貴な庭師殿に』とお茶とお菓子を持っていらして、三人で草の上でお茶会をしましたわ。わたしと、お父様と、お母様。
お母様が変わったのは、お父様がいなくなってから……」
「それが俺にもわからない部分だ。もし戦争を仕掛けたいのならハイレッジ公の生きておられるうちの方が有利なはず。それをどうして、今頃……」
「育ちきったからですよ」
エルリックがこともなげに言い放つ。
それを聞いて、イザナルと副官は、はっと顔を見合わせた。
そうだ。
ここにいるショウエル・デ・ターリア・ハイレッジ姫は、王と娶わせるために栽培された娘。
その娘の収穫の時期が来たのならば____。
フレンジーヌは容赦なく刈り取るだろう。
三者三様の悲しみがその場を支配する。
けれど、それがショウエルに向けられれているのだけは確かだった。
※※※
「隊長、背後より正体不明の戦闘音!」
玉座の間までもう少し、というところまで進軍してきたところで殿部隊が告げる。
「威嚇射撃と思われます!」
壁に調音機をつけて距離を測っていた測的手が手を上げる。
その指は4本。
つまりあと数分で追いつく距離ということだ。
「早すぎる!フレンジーヌの伏兵か?!」
副官が舌打ちした。
それにはかまわずイザナルが新しい命令を下す。
「よし!先頭部隊より2名、殿隊を援護!総員、速度を上げろ、走れ!」
「了解!」
「姫、私の前に」
エルリックがショウエルを促した。
「いざとなればお抱えして走ります。イザナル殿は戦闘指揮に専念を」
「悪いな、姫の騎士」
「いいえ。互いにできることを補わなければ。____それが、ヒトであろうがブロォゾ一族であろうが」
「礼を言う」
「それほどのことでも」
さらりと流れた会話だった。それがどんな重い意味を持っているのか意識しているのはエルリックだけだった。
これまでショウエル以外のヒトを憎み続けたブロォゾ一族としての想い。
それを、彼はいま投げ捨てたのだ。
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