第21話 麗しの魔女と父殺しの伯爵
「よ、フレンジーヌ」
「あら、イ・サ。どうかして?」
時は昼近く。
窓際で書物に目を落としていたフレンジーヌが、物憂げにそちらを見やる。
「そんなところに立っていないでこちらへいらっしゃいな___どうせだから一緒に午餐でもいかが?」
「いい。済ませてきた」
そう答えながらイ・サはフレンジーヌの横に腰かける。
そして、おもむろに口を開いた。
「____嬢ちゃんはどこへ?」
「婚姻の前の最後の旅行に出たわ。王の正妃ともなれば好き勝手には出歩けないでしょうから、私も王も許したのよ」
「居所は知っているのか?」
「さあ」
パタン、とフレンジーヌが本を閉じる。
「エルリックもついているし、ハイレッジの紋章も馬車につけたから心配していないわ。これで最後だもの。あの子にも好きなことをやらせてあげなければね。母親としての当然の感情よ」
「そうか。じゃあの森の奥の館のショウエルは誰だ?」
ギッとフレンジ―ヌのまなざしが凄まじい憤怒の色を帯びた。
けれどそれも一瞬だった。感情を揺らせば勝てる戦いにも勝てなくなる。フレンジーヌはそれをよく知っているからだ。
「なんのことかしら?」
フレンジーヌが零したのは一見、優雅で無防備な笑み。唇からは象牙のような白い歯がちらりと覗いた。
「言葉通りの意味だ。あそこにいるショウエルは嬢ちゃんの顔をしているが嬢ちゃんじゃない。偽物だ。本物はエルリックと一緒にカームラとの婚姻から逃げてる」
イ・サはまだ知らないのだ。
イ・サたちが守ろうとしているショウエルが、神聖文様のためにフレンジーヌの駒となった娘であろうことを。
だからこそ、森の奥の館にいるショウエルを偽物だと断じたのだ。
そして、フレンジーヌもそれを否定はしなかった。
騙されてくれるのならばそれでいい。それがフレンジーヌの考え方だった。
「……本当に、よく嗅ぎまわる猟犬だこと。私なんかじゃなく、狐でも追いかけてらっしゃいな」
「俺にはそういう貴族趣味はないんでね」
「じゃあ一度追われる側になってみればいいわ。あの子は本当にショウエルだけど……幽閉したのよ。外聞が悪いから。……あの子ったらカームラ王との婚約を今更なかったものにしてくれなんて言うんですもの。
それより、よくあの館のことを嗅ぎつけたわね。何かあった時のために極秘で作らせたのに」
「何かって?おまえみたいな女にも恐ろしいものがあるのか?」
「内乱、革命、叛逆……そんなときのためよ。ハイレッジ家を守るためですもの。防壁ははいくつあっても足りないわ」
「ふぅん。おまえにすればずいぶん真っ当な話だな」
「貴族が特権と富を守りたいと思うのは当たり前ではなくて?」
「俺は所詮成り上がりだからな。雑種には純血種の考え方はわからねえ。だが」
イ・サがいつのまに手にしていたのか、小刀をフレンジーヌの首筋に当てる。
「おまえが一番恐れてるものがなんだかはわかったよ。神聖文様だな」
「あら、よくわかったわね」
そう答えるフレンジーヌの手にも銃が握られ、イ・サの喉元に突き付けられていた。
「本当に愛したものは殺しあうか戦うしかない……か」
「そうよ。壊すことも作ることも同じくらい楽しい遊びなら、壊して何がいけないの?」
「そうだよな。俺たちはそういう生き物なんだよな」
「ええ」
お互いの急所に武器を押し当てられても、二人の会話はあくまでいつも通りだった。
声だけを聞いたのならば、まさか部屋の中がこんな緊迫した状況になっているとは思いもしないだろう。
「ヒントをやる。文様所持者のショウエルはイザナルにもう出会っている。それから、イザナル傭兵団の足はおまえが思っているより速い」
小刀を鞘に戻しながら、イ・サが言った。
「貴重な情報提供をありがとう。痛み入るわ。文様のことを知ったということは、あなたは私の側につくの?」
フレンジーヌも銃をテーブルに置き、いつものように華やかに笑う。
「どうだろうな」
「私になさい」
そして、その鮮やかな緑の瞳でイ・サを見つめた。
「私は勝つわ」
「それも、どうだろうな」
イ・サが曖昧な笑みを浮かべる。
目の前の女の狂気と、あのとき会った王の器の男と、どちらが強いのか。
今ではもうわからなくなっていた。
「俺はおまえの次くらいに嬢ちゃんが好きだ。もしかしたら、嬢ちゃんが幸せになる未来を選ぶかもしれない」
「それは、私の敵になるということかしら?」
「さあ?なにしろ俺はおまえに心底惚れてるからな」
「ならやっぱり私になさい。少なくとも、敵でなければ私はあなたを憎まない」
「あーあ。やっぱりおまえはおまえだな。俺が惚れた女だ」
イ・サの指先がフレンジーヌの髪に触れる。
さやさやと、異国の布のような手触り。
「ナンセから聞いてるだろ。俺はジョーカーになるって。
おまえもお嬢ちゃんも捨てられない俺の、精いっぱいの反抗だよ」
そして、イ・サは自分自身を笑うように嘲笑した
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