第19話 ふたりのショウエル

「母様!」

「ショウエル!」


 ここはフレンジーヌが極秘であつらえたハイレッジ家の別邸兼財産保管庫だ。

 戦乱や叛逆が起きた場合には、ハイレッジ家の人間はここに逃げ込む手筈になっていた。


 そこでフレンジーヌは、彼女曰く『本物のショウエル』を抱きしめる。

 

 確かに彼女はショウエルと同じ顔をしていた。

 言動が幼いのでショウエルより年下に見えるが、きちんとした教育を施されれば、それこそどちらが『ショウエル』であるかなど、わからなくなってしまうだろう。


「よくここまで来たわね。母様は本当に心配したのよ」

「母様に会えるならなんにも怖くない。ばあやもいたし……」

「そう。ならばよかったわ。

 ___私の可愛いショウエル、もっと近くで顔を見せて頂戴な」


 フレンジーヌは、夫が死去してから、誰にも見せたことのない表情を浮かべた。もちろん文様所持者の方のショウエルにも、だ。

 それは慈愛に溢れた、本当の笑顔。


 今ここにいるのは、毒蛇のような狂気の謀略家ではなく、優しいまなざしの母親だった。


 ショウエルの頬に手を当てて、また、フレンジーヌが微笑む。


「大好きよ、ショウエル。ハイレッジ様の忘れ形見……」


「あたしも母様が大好き!」


「まあ。嬉しいことを言ってくれるのね。あんな辺鄙な領地にあなたを追いやった母親に……」

「母様はあたしのために大事なことをしてるから待てってばあやから聞いたから。だからあたし、ちゃんと我慢して待ってたよ」

「偉いわ。時流を見極めることはとても大切なことなのよ。誰も踊っていない舞踏会でひとり踊っていても見苦しいだけですもの……」


 フレンジーヌはようやく『ショウエル』から体を離し、自分に言い聞かせるようにそう言った。

 意味が分からないのか『ショウエル』はきょとんとしている。


「そういえばショウエル、舞踊や社交のお勉強はきちんとしていたかしら?時々ばあやから嘆きの手紙が届いていたのだけど……。

 言葉遣いも平民の娘のようだし……」


 『ショウエル』が体をびくっと硬直させる。


「いいのよ。母様は全部知っているわ。

 でも、ここに来てからは昔のようにしては駄目よ。貴族の娘としての立ち振る舞いをきちんと覚えなければ。

 あなたは後々それが必要になる、大変な役目を背負うことになるのですからね」


「……母様」

「なぁに?」

「大変な役目とかイヤ……。舞踊も勉強も嫌いだし、木に登ってる方がずっといい……」


「あら、じゃあ言い換えましょう。あなたはこの国で一番の地位を手に入れるの。大変なところは母様が引き受けるから、地位にふさわしい振る舞い方を身につけましょう」


「そうしたら、母様、嬉しい?」

「もちろんよ。可愛い自分の娘がこの国で一番の娘になったら、母様はとても嬉しいわ」

 

 むーっと『ショウエル』が眉間に皺を寄せた。

 いま、彼女の中では自由でいたいという思いと、大好きな母の希望をかなえたいという思いがせめぎ合っているのだろう。

 フレンジーヌはその様子を微笑みながら見守っている。


「……そうしたら、ずっと一緒にいてくれる?」

「ええ。そうなったら母様はずっとあなたの傍にいられるわ」


 その答えを聞いて、『ショウエル』の中でグラグラと揺れ動いていた天秤が、くっきりと片方に傾いた。


 フレンジーヌの言う、「この国で一番の娘」「ずっと傍にいる」そんな言葉に隠された意味も知らずに。


「じゃああたし頑張る!」


「いい子ね。もう少しの辛抱よ。母様はきっとあなたを幸せにするから……」

 

 フレンジーヌが『ショウエル』の金の髪を撫でた。


 あのお方との約束通り、あなたのその金の髪の色にも負けない、色とりどりの宝石で飾られた王冠をこの頭上に必ずかぶらせるわ。

 

 誰を犠牲にしても。何人殺しても。

 

 そう、心の中で呟きながら。

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